波の模様-4

ありのままのすがた

 それから数日過ぎた週末、来週は渚と鮎見先輩のとこ行けるかな、とか思いながら南くんが用意した朝食を取っていた。ベーコンエッグとバタートースト、温野菜のサラダとコーンポタージュ。どれも匂いが優しくておいしい。
 今朝もロードワークに出ていた授くんは、がつがつ食べているみたいに見えるけど、やっぱり野菜をメインに食べている。その隣、俺の向かいにいる響くんはふわふわのたまごが絡みつくベーコンをしっかり咀嚼している。飲み物をひとりずつ用意して、テーブルに並べた南くんは、俺と司くんのあいだに腰を下ろした。
「大丈夫か?」と司くんが何やら南くんに問いかけていて、南くんは微笑んでうなずく。
「南くん、どうかしたの?」
 目敏くやりとりに気づいた俺に、「え、何で」と南くんはきょとんとする。
「司くんが心配してるから」
「あ、ああ。昨夜、徹夜して寝てないんだよね」
「作業?」
「ちょっとスランプかも。まだ仕上がってなくて」
「ふうん……」
「司も一緒に起きてたの?」
 響くんに問われた司くんは、「俺にはお楽しみでもあったけどなー」とにやにやしながら言った。響くんは変な顔をして、南くんは司くんをはたく。授くんはげらげら笑って、お楽しみ、と俺は反芻して、しばらくしてからその意味に気づく。
「酒とか煙草よりいいんじゃないですか」
 授くんが温野菜にケチャップをかけながら言うと、「だろ」と司くんはにやりとする。
「南、こいつら分かってるから」
「……だからって、わざわざ言わなくても」
「南くん、事後にちゃんと作業進んだの?」
「事後って、奏まで。……まあ、ちょっと落ち着いたから、構図の候補くらいなら」
「今日は一日、その作業?」
「そうだね。土曜だから、司もそばにいてくれるし。今日中にペン入れだけでも仕上げなきゃ」
「そっか」と俺は、甘味が染み出している温野菜をもぐもぐ食べる。
 本当は、ちょっと司くんと南くんと話したかった。渚と鮎見先輩のことを応援したいけど、さすがに出しゃばってしまったかもしれない。どう渚に切り出せば、誤解されずに鮎見先輩と再会させてあげられるか──。
 ぽん、と頭に手を置かれて隣を見ると、南くんが首をかしげてきている。
「奏こそ、何かあった?」
 俺は南くんを見上げて、曖昧に咲ってしまう。
「んー、あとで話す」
「そう。抱えこまないようにね」
「ありがと。作業落ち着いたら教えて」
 南くんはうなずき、俺はそれに笑みを返してから、少し蜂蜜をかけたトーストにさくっと咬みつく。バターの塩味と蜂蜜の甘味が広がって、やっぱトーストはこれだなあと思う。
 そのあと、響くんが食器洗いを申し出て、南くんは洗濯物を乾燥までかけると、司くんと作業部屋に行ってしまった。俺は宿題面倒だなあとか思って、授くんとゲームで対戦しようとしていた。
「何やる?」と訊かれて、俺のほうがよくプレイしてるのに、なぜか授くんに勝てない格闘ゲームを選ぶ。「負けず嫌いですなあ」とか言いながら授くんがディスクをセットしていると、ふとカウチに放っていた俺のケータイが鳴った。
 ん、と手に取ってみると、クラスメイトからのメッセだ。
『久賀って昼からヒマ?
 宿題みんなでやったあと、遊ぼうかってなってんだけど。』
 む、とちょっと考える。宿題を片づけられるのはいい話だ。分からなくても、俺には響くんがいるけれど。今日は、南くんも司くんも俺とはゆっくり話せないっぽい。
『ヒマだけど、どこに集まんの?』
 素早くフリック入力して返信した。すると、通学に使っている路線の大きな駅の名前が返ってくる。定期で行けるなら行ってもいいかな、と心が決まると、何時に何番出口に集まるかは訊いておき、ケータイを置いた。
「何? 彼女?」
 コントローラーを構える授くんが言って、「彼女いないし」と俺はふくれる。
「まだいないの? 中一終わりますよ」
「中一で彼女いるほうがすごいよ」
「最近、小学生でもつきあってるじゃん」
「好きな子がいたら、つきあいたいけどさ。いないもん」
「好きな子は欲しいの?」
「欲しい」
「告られたりせんの?」
「んー、されたことないなあ」
「そっかあ。奏はさ、もうちょっと背が伸びたらモテるよ」
「るさいっ。ほら、対戦しよ」
 そう言って俺もコント―ローラーをつかみ、授くんはスタート画面から対戦モードを選ぶ。
「ケータイいいの?」
「昼から友達と宿題やりにいく。そのあと遊ぶっぽい」
「渚くんも?」
「渚はクラス違うから、来ないと思う」
「呼んであげればいいのに」
「ひとりクラス違うって、気まずいでしょ」
「そうかあ? 俺は桃とばっかり一緒にいるから、よく分からんな」
「授くんって、友達いるの?」
「部活仲間のほうが多いですね。──よしっ、始めるぞ」
 カウントダウン三秒の間があって、俺と授くんは画面の中で取っ組み合いを始めた。コントローラーをがちゃがちゃと操作して、声も上げながら相手にすかさず技をかけようとする。食器洗いを終えた響くんは、そんな俺たちに肩をすくめて、カウチで本を読みはじめた。
 結局、やっぱり授くんには勝てなかった。十一時過ぎくらいに、「もう出かける」とむすっと言った俺は、コントローラーを置いて出かける支度を始めた。緩かった服を着替え、財布やケータイ、今週末の宿題をリュックに詰める。司くんと南くんには、響くんに外出を伝言しておいた。
「気をつけて」と響くんは微笑み、「いってらー」とゲームを続ける授くんは手を振る。「もしかしたら、夕飯も食ってくるかもしんないから」と言い添えると、俺は玄関でスニーカーを履いて外に出た。
 一月の冷たい風が、すっきり晴れた空から吹きつけてくる。大きめのフードパーカーの中に縮んで、駅までの道を早足で歩く。雪が降りそうな寒さではなくても、体温が奪われて指先や爪先が凍えていった。
 こんなに寒い中で外で遊ぶ子供もいまどきいなくて、住宅街の道路は静かだ。でも、駅が近づくほど、人や車のざわめきが生まれてきて、駅前はぶあつく着こんだ人たちが行き交っていた。俺は定期ICで改札を抜けると、吹きさらしのホームから今度は暑苦しいほど暖房がかかる電車に乗り、目的の駅まで来た。
 地下に降りる出口でいつもの三人と落ち合うと、ランチタイムが始まったばかりのファミレスに行って、順番待ちをしたあと四人がけの席に案内された。最近のファミレスやカフェは、ずうずうしく居座っても文句は言われないし、むしろ「ごゆっくり」なんてお代わりの水をついでくれる。
 まずは軽食とドリンクバーだけ注文して、食事は宿題をやっつけてからにしようと俺たちは決めた。軽食は四人でつまめるフライドポテトとひと口チキンの盛り合わせ、ドリンクバーは俺は炭酸のグレープジュースをなみなみにする。そして、テーブルにノートやプリントを広げて、答えを相談しながら書きこんでいった。
 私立だからなのか分からないけど、俺たちの中学は宿題がたっぷり出る。二時間くらいかけてやっと全部片づくと、十五時にランチタイムが終わってしまう前に料理を注文した。
 俺は照り焼きチキンとライスとサラダのセットにした。こういうとき、「サラダはつけなくていいんじゃね」と言う野菜嫌いの奴もいるけど、家の食事ではよくサラダが出るし、できれば軆は授くんみたいになりたいから食べる。
 しゃべりながら食べると一時間くらいすぐで、俺たちは結局三時間も居座ってファミレスをあとにした。地上に出ると、この近くなら一番の遊び場であるモールに入って、無駄にショップをふらふらしたあとゲーセンに入る。
 家では授くんになかなか勝てないけど、友達となら俺はゲームは強い。「あーっ、くそ、もう一回!」と挑んでくる友達に、俺はからから笑いつつ相手をする。
 何度か千円札を両替して、広いスペースにかなりの数が揃うゲームで遊んでいると、夕方をとっくに過ぎていた。「そろそろ帰んないとやばいかなー」とひとりが言い出すと、みんなそんな空気になったので、俺たちはゲーセンとモールを出てイルミネーションの下を歩き、駅で別れた。
 俺は改札の手前で立ち止まり、ケータイで時刻を確かめた。十九時半。夕飯いらないかもって言ってきちゃったなあ、と思い出したので、軽く食べて帰ることにした。
 駅の地下に、ハンバーガーもチキンもドーナツもある。チキンは昼に食べたし、甘いものって気分じゃないし、ハンバーガーでいいか。そう思って俺はハンバーガーのチェーンに向かい、チーズバーガーとコーラを注文して、空いていたふたり掛けの席の椅子に腰を下ろした。
 ケータイをいじりながら黙々と食べていると、「ここ座っていい?」という男の声がした。ちらりと振り返ると、壁に面したカウンター席にいた女の人に、トレイを持った男が声をかけている。ファーストフードでナンパとか安いなあ、とすぐ目をそらそうとして、ん、と俺はもう一度振り返った。
 困った様子で、男を見て首をかしげている女の子に、見憶えがあったのだ。でも、誰なのかぱっと思い出せない。
 私服のせいかもしれない。ピンクのモヘアセーターにワインのロングスカート。足元は茶色のブーツだ。髪はゆらゆらしたウェーヴのロングヘアで、もしかして、あれを学校では結っているのだろうか。しかし、化粧もしていて、本当に誰なのか分からない。
 クラスメイト、ではないと思うけど、たとえば隣のクラスとかで、廊下で見たことがあるのだろうか。というか、俺が見憶えがあるなら、あの子は中学一年生ではないか。それにしては大人っぽいかも──
 いろいろ考えて、そのふたりのやりとりを眺めていると、その女の子がふと俺の視線に気づいた。そして、驚いたように目を開く。
「……久賀、くん」
 その途端、俺は飲んでいたコーラを噴きそうになった。その声で、その子が誰なのか分かったからだ。
 男が怪訝そうに俺を見て、「彼氏なの?」と急に不機嫌な声で言う。その子は男にまた困った目を向けて、しょうがないか、と俺はコーラを置いて席を立った。
「すれちがったかと思った。こっち来なよ」
 そう言って笑顔でその子に歩み寄り、手をさしだす。その子は躊躇ったものの、男に小さく頭を下げ、かたわらのバッグを取って俺の手を握り返した。
 すると、「何だよ……」と男は露骨な舌打ちをして、この場にいるのは気まずかったのか、地下二階への階段へと歩いていった。
 俺とその子はそれを見送って、「ごめんなさい」と不意にその子が手を引っこめてかぼそい声で言う。俺は自分より背の高いその子を見上げると、「先輩ですよね」と首をかたむけた。
「鮎見先輩」
 その子は俺を見ると、何だか申し訳なさそうに、こくんとうなずいた。

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