君をさらう日
雪理は八月十四日の昼、家から母親の墓参りへと連れ出されることになった。
場所は雪瑠が知っていると雪理は言ったが、「おとうさんの車で行ったからなー」と記憶が曖昧らしくて雪瑠は唸っていた。「町の名前も分かんないの?」と未都さんが訊くと、それには雪瑠は答える。すると、「どのみち下見に行ったほうがいいでしょ」と未都さんはスマホのマップで検索して、俺たちは実際その町に行ってみることになった。
車は未都さんの店の常連客の男が出してくれた。いつもカップルで来る客で、そういう客には雪瑠の事情はわりと知られているので、いちいち説明しなくても協力してもらえた。「もしかして十四日も車出せる?」と未都さんが尋ねると、「どうせ彼女は実家に帰っちまってヒマだから」とあっさり応じてくれた。
窓の向こうを見つめていた雪瑠が、見憶えに声を上げたのは、海が近くにある田舎町だった。庶民的な家並みが続いてから、海岸沿いに出ると、海水浴や屋台でけっこう賑わっていた。
霊園は海岸沿いの道なりに接していた。俺たちは駐車場に停めた車を降りて、濃い匂いの潮風に髪をなびかせながら歩いた。時期も時期だし、思ったより墓参りの人がいた。人目の中、親父からさらうように引きはがすのはむずかしいかもしれない。
相談しながら、霊園以外の町並みも見てまわり、砂浜に出て、暑かったので四人とも海の家でかき氷を買った。波打ち際で子供がはしゃいだり、カップルがビーチボードにつかまって波間に浮かんだりしている。メロン味のかき氷で、舌から胃を癒していると、「人多いなあ」といちご味の雪瑠は首をかたむけた。
「人目はないほうがいいよな」
「誘拐みたいなもんだしね」
俺と雪瑠が考えこむと、「でも、人混みは逆に考えると使えるぞ」と雪瑠と同じいちご味の未都さんが言った。
「はぐれやすいってことになるだろ。海岸に出てもらって、混雑でうまく引き離せるかもしれない」
「おとうさん、雪理の手を離さないと思うけど」
「適当にあたしがぶつかったりすればいいんじゃない。手さえ離れれば、片割れは自分から逃げてもいいとは言ってんだろ」
「あー、一応言ってましたね」
「そこは片割れに頑張ってもらうしかない」
「雪理にあんまり負担はかけたくないんだけどなあ」
「でも、家の前とかなら俺が出ていって引っ張っていけるけどさ。ここでは俺が出ていったら不自然だし、雪理が自分で親父を離れるのは仕方ないんじゃないか」
「そうかなあ」
渋る雪瑠に未都さんは舌打ちして、「もっと信じてやればいいのに」と赤い氷を口に放る。
氷をもぐもぐとする俺は、砂浜で幼い女の子が「ママ」と母親に駆け寄っていくのを見つめる。それを眺めていて、ふと思いついた作戦に俺は口を開いた。
「あのさ」
「ん?」
「雪瑠が怖かったら無理しなくていいんだけど、あれ、使えるかもしれない」
「『あれ』?」
母親の元にたどりついて、その膝にしがみつく女の子をしめした。雪瑠たちもそれを見て、でも、よく分からなかったのか首をかしげる。
「親子?」
「いや、雪瑠が逃げる方向にすがた出せば、雪理も勇気が出るんじゃないか」
「あー、なるほどな」
「え、……それ、同時に僕もおとうさんに見つからない?」
「うん、だからすぐに車に乗って逃げるとか、できないといけないけど」
「とりあえず撒ければいいだろ。ここ、家多いから死角は多いぞ」
俺たちは顔を合わせた。何となく無言が流れる。「何かそれしかないよねー」と運転してきた客がレモンのかき氷を平らげながら言った。俺と未都さんは雪瑠を見て、雪瑠は目をつぶって考えたけど、はあっと息を吐いて「分かった」とうなずいた。
その翌日が十二日だった。明日から盆休みで時間がなかったので、親父はぎりぎりいなくても、お袋は一階にいる中で雪理に作戦を伝えた。
とりあえず、町に着いたら霊園に行く。
海に出たいと言って、親父と砂浜に出る。
未都さん、そしてそれがうまくいかなかったときは、次点として運転手がふたりにぶつかって、恐らくつながれている手を離す。
雪瑠は目印として赤と黒のボーダーのTシャツを着ている。
どのくらいの距離かは分からなくても、雪理はそれを目指してとにかく走る。
雪理と雪瑠が手をつないだら、親父が雪瑠の顔にも気づいてしまう前に、死角に入る。
あとは車に乗りこんで逃げる。
雪理はしばらく黙りこんで、「走れるかな」とやはりそこが不安そうにつぶやいた。「それを雪理に頑張ってもらうのが最善だと思う」と俺は言ってから、もちろんいくつかほかの案も伝えた。それも聞いた雪理は、「確かに最初のが一番良さそうだね」と納得して、「頑張る」と言ってくれた。
十三日から十七日までの盆は未都さんの店も休みで、十四日の金曜日、朝から俺たちは同じ面々で例の町に向かった。
今日も猛暑で蝉がうるさく、爽快な青空が突き抜けていた。昼前に到着した潮風の町は、帰省した家族がかなり多いようで、予想以上に人通りがあった。
目印のボーダーを着た雪瑠は、親父と顔を合わせるかもしれない危険に、さすがに憂鬱になっている。数年も離れられていたぶん、もう顔を見たくなくてたまらないようだ。
まあそうだよな、と雪瑠が親父にされたことを思って、つい俺は無神経な提案をしてしまったと詫びてしまう。雪瑠は俺を見て、首を横に振ると、「雪理に会いたいから」と自分に言い聞かせるように深呼吸する。
昨日は俺は雪理とは話せなかった。今朝も親父と時間がかぶるわけにはいかないのでとっとと家を出てきた。それでも、雪理も雪瑠と同じ気持ちを支えに、今頃こちらに向かっていると思う。
まずは、霊園で二手に分かれた。俺と未都さんは霊園に残り、雪瑠と町田という運転手をやってくれている客は混雑する海岸に出る。
雪理と雪瑠の母親の墓がどれかは聞いていて、そこに親父と雪理がやってくるのを窺うのは、人がけっこういて墓石もひしめいているので陰が多く問題ない。ふたりの容姿を俺と共に確認次第、未都さんは海岸に移り、俺は雪瑠とスマホで連絡を取りながら雪理たちを尾行する。
そしてふたりも海岸に出たら、俺も海岸に混ざって雪瑠と合流し、それをスマホで伝えたのを合図に未都さんが行動を起こす。
そういう予定だった。首尾よく完璧にうまくいくなんて確信はなかったが、やるしかないときは十五時前に訪れた。
「すげ。そっくりだな」
どこの家か知らないが、妙に大きな墓があったので、そこに身を隠して水分補給していた。気づいたのは俺で、親父の声がしたからだった。
そっと目的の墓の前を覗くと、あの日と変わらず痩せ細った印象の雪理と、異様に笑顔の親父がいた。「どれどれ」と未都さんは雪理の横顔を窺い、ごく抑えた声でそうつぶやいた。
「でも痩せ方が病的」
「あいつのせいですよ」
「颯乃はちょっと親父に似てる」
「やめてくださいよ」
「ふたごには血出てないな」
「ふたりとも母親似らしいです」
「投影できるんだもんな」
未都さんはペットボトルのレモンウォーターをひと口飲み、「じゃああたし行っとくわ」と立ち上がって、ワインレッドのマキシスカートをはたいた。
「颯乃の尾行も重要だからな。ばれるよりは見失え」
「分かりました」
未都さんはサングラスもかけて、毅然と霊園を出ていった。
俺は周りの人に怪しまれないように移動しつつ、無数の墓石の陰から雪理と親父の背中を見守る。視線感じられてもやばいよな、とそれにも気をつけながら、ふたりが動き出すのを待った。
親父がかなり念入りに墓を洗っていて、ちょっといらいらした。雪瑠が言うには、あの墓は親父が立てたものであるらしい。ふたりの母親は、親に身売りさせられていたわけだし、そんな親が墓なんか立てるはずもない。
ただ突っ立っていて、たまに空を仰ぐ雪理は灼熱に倒れそうに見えた。親父もそう感じたのか、やっと墓掃除を終えて花と線香を供えた。「車に戻ろう」という親父の声がして、雪理がそれに首を振るのを見て、来た、と思った。
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