さいれんと・さいれん-4

品定めの時間

 曇り空が晴れた翌朝、咲世と駅に着くと桃寧が待ってくれていたので、びっくりしてしまった。
 でも、そうだ。よく考えたら、一緒に下校できるのだから、一緒に登校もできる。なぜ俺が気づいてもっと早く来なかった、と失態にうめいていると、「ちゃんと痴漢から守ってやれよー」と咲世が先に改札を抜けていってしまったので、「ごめん、待たせたりして」と俺は挨拶の前に謝ってしまう。桃寧はかぶりを振り、「水雫くんをびっくりさせてみたくて」なんて言ってくれる。
 マジでもうかわいいなこの子。
「びっくりした」と俺は正直に照れ咲うと、「行こうか」と思い切って桃寧の手を取ってみた。すると桃寧もはにかんで微笑み、「うん」と俺の手を握り返した。
「朝もひとりで登校してるのか?」
 ひとりでスマホをいじって、構わなくていいオーラを出してくれている咲世に甘えさせてもらい、俺と桃寧はひとつずれた車両の列に並ぶ。手をつないだままなのが、はたからは絶対うざいと思うが、知ったことか。
 俺がそう問うてみると、桃寧は「朝はいつもは友達とだよ」と返ってきた。
「え、そうなのか。よかったのか、今日」
「昨日、中学から好きだった人とつきあえることになったって伝えたら、一緒に登校しなさいって言われた」
「そっか。……中学から」
 まさかとは思うが、俺が中学時代からの本命だったせいで、彼氏と続かなかったとか、そんな夢展開なのか。そうだったら、神社に行って、神に礼を言ったほうがいいかもしれない。
「水雫くん、私と同じ高校を意識したって言ってたでしょ」
「うん」
「私もね、そうなの」
「えっ」
「私の志望校、三年生で担任だった宮内みやうち先生にこっそり訊いたでしょ?」
「はっ? 知ってんの?」
「教えていいかなって確認されたから」
 宮内先生!! どこか茶目っ気のあった中三の担任の女教師の笑顔がよぎる。そこは察して、こっそり教えてくれたと思っていたのに。よく考えれば、個人情報だの何だののこの時代に都合が良すぎるが。
「教えていい、って言ってくれたんだ」
「うん。代わりに、立川くんもそこを志望するのかどうか教えてくださいって」
 セピア色の中学時代を回想し、桃寧の志望校を教えてくれた宮内先生に、確かに「君もそこ志望するのかい?」と訊かれた記憶が思い返る。
「だから、一緒に登校してる同じ中学の子たちも、水雫くんのこと知ってると思ったんだけど。憶えてないとか言われて、ちょっと怒っちゃった」
 ふくれっ面を見せる桃寧に、「俺とか憶えてる奴のが少ないだろ」と俺は苦笑してしまう。
「そうなのかな。でも、すごくかっこいいんだよって言ったら、今日見れるの楽しみにしてるって」
 俺は、すずめが横切って白雲の浮かぶ青空を遠く見た。すごく、かっこい──くは、ないと思うのだが。というか、楽しみにされているのか。落胆する面持ちがありありと浮かぶ。
「俺、そんなかっこいい奴じゃないけど……」
「かっこいいよっ。優しいし」
 桃寧を見つめると、何となく空いている右手で彼女の頭をぽんぽんとした。桃寧がきょとんと俺を見上げる。
 そう、桃寧は彼氏にはずいぶん尽くしてくれるのだっけ。でも、俺にそういう気遣いは必要ない。目移りするなんて、そんな心配はしなくていい。
「大丈夫だよ」
「えっ──」
「俺は桃寧のことだけ好きだから、安心して」
 ここで現実が割りこみ、後ろに並んでいた大学生っぽい野郎がうざったそうに舌打ちした。
 しかし、桃寧はそんなの聞こえなかったようで、俺を見つめてうるっと瞳を揺らし、「やっぱり、優しいよ」と繰り返す。俺は大学生を気にしつつも、「桃寧以外には大して優しくから、友達はがっかりするかもな」と予防線を張っておいた。
「そう、なのかなあ」
「俺のことは桃寧だけ分かってくれてたらいい」
「……うん。ごめんね、水雫くんはあんまり彼氏とか周りに言ってほしくない?」
「ん、んー、そういうわけじゃないけど、周りはあんまり納得しないかもな」
「そんなの関係ないよ。私──」
 そのとき、電車がやってくるメロディが流れて、白線まで下がれとかの案内も流れる。満員電車がホームにすべりこんできて、このすし詰めの戦場から女の子を守るには、勇気を出して腕の中に閉じこめるしかない。
 ちっちゃい桃寧は俺の腕でも抱きしめることができて、疾走している鼓動もたぶん伝わってしまっているけど、彼女を痴漢から守ることには代えられない。桃寧は俺の胸に顔を埋め、小さくブレザーの裾をつかんでくれる。満員電車ってとにかく暑くて、運が悪いと誰かの臭いが気になったりするけど、今の俺は桃寧の温柔と優しいシトラスの香りしか分からない。
「水雫くん」と不意に桃寧が俺を制服を引っ張る。
「ん?」
「私しか水雫くんの魅力を知らないのも、何か嬉しいね」
 そう言って、桃寧は頬に紅色を差し、照れ咲いすると俺の胸板にぎゅっとしがみついた。俺は桃寧のさらさらと流れる髪を見つめ、筋肉が弛緩するような痺れを感じたものの、何とか軟体状態にはならずに桃寧を抱きしめる。
 きっと、学校では俺はさんざん「よりによって何でお前が」という視線にさらされる。けれど、もうどうでもいい。だって、一番大切な彼女は、確かに俺を愛してくれていて、それに変わりはない。
 桃寧の友人によって、彼女に新しい彼氏ができたことはすでに校内に拡散していた。
 クラスメイトからさえ認識がぼんやりしている俺だったが、まあ顔を見れば「ああ、あの根暗っぽい奴か」くらいには思われる。そんなわけで、桃寧と手をつないだまま校門をくぐると、一瞬にして視線が集まって衝撃が走るのが分かった。
「ももの彼氏って、え、この人……?」
 靴箱でそわそわと待機していた桃寧の数名の友人は、俺を見て案の定とまどいを見せた。対する桃寧は全開の笑顔で、「私もずっと好きだったの」とのろけてくれる。「ふ、ふうん……」と友人連中はじろじろと俺を観察して、「あ、でもさっ」とひとりが突然俺の顔面に手を伸ばし、前髪をはらいのける。
「前髪ないと、そこまで暗くないかも!」
「あー、何かベビーフェイスかもねー」
「にこって咲って? そしたらかわいいかもしれない」
『かも』を連発していることに気づいているかね、君たち。俺が例によって視線を狼狽えさせて、それでも引き攣った笑顔を作っていると、「もう、水雫くんはそんな軽い男の子じゃないんだからっ」と桃寧が助けてくれる。
「水雫くんなら、今度こそほかの子を好きになったとかは言わないと思うの」
 桃寧が言うと友人連中は俺をなおも眺め、「確かにまじめそう」「うん、まじめ」「まじめなのは分かるわ」と今度は「まじめ」を連発した。そして、「そうだよね」とひとりが桃寧に向かってうなずく。
「今までの男はほんとひどいもん」
「この人が心変わりしないなら、それが一番だわ」
「あたしたちは応援するから!」
 友人連中がそう理解してみせると、桃寧は嬉しそうに微笑んで「ありがとう」と言った。もっと反対されるかと思ったが、桃寧の友人なのだから、桃寧が幸せというならそれを否定はしてこないか。
「教室行こっか」と俺が見計らって声をかけると、桃寧はこくんとして「またね」と友人たちに手を振った。
「友達、分かってくれてよかったな」
 俺が言うと桃寧は笑顔でうなずき、「ほかの人も分かってくれるよ」と言った。そうかなあ、と思ったものの、桃寧の『中学から好きだった人』という発言も合わせて拡散されていたため、男子には「花村には本命がいたのか!」というショックがでかかったらしく、結局その本命が根暗かどうかなんて話題にものぼらなかった。
 むしろ、クラスの男子の中には「お前、すげえなあ」と話しかけてくる奴もいて、相変わらず俺は目線をキョドらせながら笑っていた。

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