君の心にいるのは
厄介ごとはさっさと済ますタイプだ。さっそく、翌日から誓くんが目に留まらないか気をつけた。取っている講義が同じとかではないので、そんなによく会える人でもないのだ。なかなか視界に引っかからない、しかしどうしてもつかまえたいときの最終奥義は、サークルの部室が入ったプレハブ前で待つこと。
何で私にこんな最終奥義が身についているのか、本当に謎だけど、とにかく今回も映画サークルに入っている誓くんをプレハブの前で待った。ちなみにサークルのドアの前で待っていたら、見学と思われて引きずりこまれるので行かない。ひかえめにきょろきょろしながら誓くんのすがたを探していたら、人通りの中にあの背の高い男の子を発見した。
私や純奈と同い年の誓くんは、なかなかの美青年だ。ストレートのさらさら黒髪、きりっとした眉やくっきりした目鼻立ちは凛としている。口許は穏やかに笑んでいることが多く、筋骨もしっかりした軆だと思う。ファンはきっと、純奈や浅山さんだけではない。
それでも彼に浮いた話が出てこないのは、やっぱり長川さんがいつか彼女になるだろうなとみんな思っているからだ。その長川さんや、浅山さんや、とにかく誰かと一緒ではないのを確認してから、「誓くん!」と私は声をかけた。
「実鞠ちゃん」
ね、絶対おかしいでしょ。私が名前で呼ばれる誓くんの友達になっているの、おかしい。
ちなみに誓くんは、純奈の名前のほうははっきり憶えていない。いつも誓くんのことを知りたがる「友達」が私にいることはよく知っているけれど。私は笑顔を貼りつけながら、「ちょっといいかな」と目の前で足を止めてくれた誓くんに訊く。誓くんはきょとんと私を見たあと、くすりと含み咲った。
「何でもどうぞ」
ああ、これは察してるな。また「友達」の話をされるともう分かっている感じだ。
「あの、ですね」
「はい」
「友達が」
「いつもの」
「はい、いつものあの子が」
「うん」
「誓くんは、クリスマスに予定あるかどうかを知りたがってまして」
誓くんは私を見つめて、「あー」と天を仰いだあと、また私に目を戻した。
「あります」
予定あるんだって、純奈。よかったね、大当たりだね。私もデートを代理で申し込まずに済むよ。
「というかさ、たまに話してる俺の幼なじみいるじゃん」
「長川美希音さん」
「俺、そいつに告白してさ。クリスマスイヴには、デートすることになって」
うわあ。これは超弩級が来た。でも、私に想いを寄せてくるよりはずっといい。
「OKもらったってこと?」
「返事は保留」
「そうなんだ。意外」
「意外?」
「長川さんも、誓くんだと思ってたから」
「いや、あいつは……ちょっと、手ごわいのがいるんだよな」
「手ごわい」
「正直、俺の勝ち目はそいつより少ないと思う」
「……ふうん」
長川さん、モテるんだなあ。確かにかわいいけどね、と長くゆったりしたみつあみに束ねた髪を肩に流す長川さんを思い返す。
「でも、長川さんのクリスマスイヴは誓くんが勝ち取ったんだよね」
「ん、まあ。そうだけどな」
「じゃあ、頑張って」
「それ、友達さんに薄情じゃない?」
笑いを噛んだ誓くんに、「そうかもしれない」と私は鉄面皮の真顔でうなずく。
「でも、友達とは別に、誓くんが長川さん好きなのは分かってたので」
「そっか。うん、頑張るよ」
「友達には、誓くんは予定があるとだけ言っとくね。長川さん、変な嫉妬されてもわけ分かんないだろうし」
「ありがとう。そうしてくれると助かる」
「今からサークル?」
「夕方からみんなで映画観て、飯も食ってくる」
「そっか。私は通話で、その友達の愚痴でも聞こうかな。ありがとう、教えてくれて」
「いえいえ」
苦笑混じりの誓くんにへらっと咲うと、私はその場から歩き出した。校門へと流れるみんなに混ざると、ああもう、といまさら頬が熱くなってくるのを感じる。
恥ずかしかった! 私がやんわり振られたみたいで、めちゃくちゃ恥ずかしかった!!
純奈の奴、このたまらない恥辱感を、全部私に味わわせやがって──本当に、何で親友なのか分からない。
その夜、私は純奈に『チカイくん、予定ありでした。』とだけメッセを送っておいた。そうしたら、案の定通話着信が来て、『予定って家族? 友達? まさか彼女なの?』と怒涛の愚痴を聞かされた。長川さんのこと言っちゃったほうが早いかな、と思ったものの、やはり彼女を巻きこんで嫉妬の対象にするのは良くない気がした。
私は生返事をしながら、誓くんはちゃんと長川さんに告白したんだよなあと思った。そのへんがしっかりした男の子が、すべて人任せで顔さえ見せない純奈を選ぶことは、どのみちない気がした。『実鞠、聞いてる?』と言われて、「誓くんよりいい男の子とかいないの?」と私がやっと意見を述べると、「いるわけないじゃん」と即答されて、まだこいつの片想いは続くのかと若干辟易とした。
クリスマスイヴ、誓くんと長川さんがどんなデートをしたのかは、無論私は知らない。その後、誓くんと話す機会がなかったわけではない。そのとき、なぜか長川さんの話題が出ないので、私も訊きづらかった。
バレンタインなどは、チョコレートを渡しておいてくれとまた純奈にどうしようもない懇願をされて、「私からのチョコになっちゃうから!」ときつく断ったものの、結局私はチョコを預かってしまった。誓くんはそのチョコを受け取ってくれたけど、目に見えて嬉しそうという感じではなく、「何かごめんな」とか私が言われた。それは純奈に言ってやってくれと思いつつ、私も「友達には言わないから、何ならサークルのみんなと食べちゃっていいよ」と言っておいてしまった。
だって、君が長川さんのチョコでしか喜ばないのを、私はよく知っている。なぜか私が深く承知している。でも、誓くんと長川さんがつきあいはじめたって話は出てこないんだよなあ、なんて思っていた春休みが終わり、二回生として大学にまた通いはじめた頃、長川さんが誓くんを振ったといううわさがささやかにながら流れてきた。
「マジか、長川美希音!」
そのうわさを耳にした純奈は、カフェでカプチーノのカップをビールのジョッキよろしくテーブルにたたきつけた。私はほのかに甘いカフェモカを飲みながら、震えている親友に上目遣いをする。
「何なの、誓くんを振るって。どんな感覚してるの」
「長川さんとつきあってほしかったの?」
「いや、振ってくれてありがたいけど。そこはよくやったと言いたい」
「純奈って、いつも支離滅裂だよね」
「でも、誓くんに告白されて断るか、普通。あれだけスペック高い男の子なんだよ?」
「長川さんの自由でしょ」
「あの子に誓くん以上の男が現れると思う?」
「さあ。何、長川さんが逃した魚の心配してるの?」
「してないけど! ただ分かんないの、あたしには理解ができない。そんな贅沢してて、幸せになれると思ってるの?」
あんたもなかなかわがままだけどね。
私はため息をついて、カフェモカと一緒にテイクアウトしたミルクレープにフォークを刺しこむ。純奈はチョコクロワッサンに咬みつき、「分かんないわ」と繰り返す。
「誓くんとつきあってもさ、あとで『やっぱり好き』とか言い出して寝取ってこないかな?」
「長川さん、そういう陰湿なタイプには見えないけど」
「長川さんの性格は知らないけど、誓くんを振ったら誰でも後悔するでしょ」
「誰でもってことはないかと」
「何か長川さんの味方するじゃん。友達だっけ?」
「話したこともない。私は客観的なだけだよ」
「客観的に見たら、誓くんに告られたらつきあうよね?」
「すっごい主観だから、それ」
「実鞠なら?」
「は?」
「実鞠も、誓くんに告られたらつきあうでしょ」
私は変な顔になって、一瞬想像しそうになったものの、その前に私にいろいろ訊かれるたびに苦笑する誓くんが浮かぶ。あれは私はないよってことでしょう。
「私が誓くんに告られる場合というのが、まずありえない」
「……まあそうだけど」
柔らかなミルクレープには必要ない力をこめ、奥歯をぎりぎり噛みしめる。さらっと失礼だな、本当に。
「あー」と声を出して、純奈はテーブルに突っ伏す。
「まあ、長川さんはそもそも視野に入れてなかったし、いいんだけどさー」
そこが第一におかしい。絶対に、ライバル視すべきなのは長川さんだったのに。
「浅山さんがますます誓くんにモーションかけてて、それ見るのがあたしつらい……」
私はカフェモカをすすって、「こうなってくると、誓くん、浅山さんとつきあうかもね」と冷静に意見した。「だよね!?」と純奈はがばっと顔をあげた。
「やだー。嫌だよお。それだけはほんと、マジ勘弁」
「浅山さんは、少なくともちゃんとしてるしね」
「あんな、好きな男の子に話しかけられる軽い女の、どこがちゃんとしてるの?」
君が好きな男の子に話しかけられない重い女なんだよ、と思ったものの、さすがにぐさっといきそうなので黙っておく。
「とりあえず、純奈も頑張ってみなよ」
「頑張る? 何を?」
私にしたら、その反応が分からない。
「あのね、まさか待ってれば誓くんから告ってくれるとか思ってる?」
「思ってないよ」
「よかった、それなら──」
「でも、告白は誓くんからがいいなあ」
「一緒じゃん! あのね、はっきり言うと、純奈は誓くんに認識されるとこから始めなきゃいけないの」
「認……識」
何で片言かなあ。私は熱の取れてきたカフェモカを大きく飲み、
「あのね」とかたんとカップを置く。
「誓くんが純奈について知ってるのは、私の友達っていうことだけだから。名前も知らないかもしれないよ」
「伝えてよ」
「自己紹介に行きなさい」
「いや、いまさら『初めまして』とか言っちゃうの?」
「そうだよ、『初めまして』って言わなきゃいけないレベルだよ」
「あれこれ訊いておいて?」
「訊いたのは全部私です。だから、誓くんは私のことは普通に『実鞠ちゃん』って呼ぶし──」
「はあ!? あたし、誓くんに名前なんて呼ばれたことないっ」
「そりゃ、話したことないだろうからそうだと思うよ」
「ずるいよお。あたしも『純奈ちゃん』とか呼ばれたいー」
「呼んでくれるから。『初めまして』って挨拶して、何度か話してれば呼んでくれる」
「ええー。でも、でも、あたしちゃんと話せるかなあ。噛んだりしたら、一生の傷になるよ」
ならないよ。たぶんだけど。いや、純奈の性格ならかすり傷にもならないほうに賭ける。
「とにかく、浅山さんに負けたくなければ、自分も誓くんが好きってことを知ってもらわなきゃ」
「すすす好きなんて知られたら、恥ずかしくてダメだよ。死ぬよ」
「純奈がどうしたいのか、私、ちょっと分かんなくなってきた」
「誓くんの彼女になりたいの」
「それ、誓くんが好きって気持ち知られてなきゃ、根本的に成り立たない奴でしょ」
「そ、そっか……分かった、知られても耐える!」
耐えるって。それはどうなのかな。まったくこの親友は、ずうずうしいのか奥ゆかしいのか──いや、明らかにずうずうしいのだろうけど、本人は奥ゆかしさと思っているのだろう。
「ねえ、実鞠」
「何?」
「浅山さんはやめといてねって誓くんに言っておいてね」
だから、何で私? それ自分で言っちゃおう? そうしたら、話はスムーズなのに。
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