スノードーム-3

動き出すために

 さすがに、そんなことを伝えるために誓くんを探しにいくまではやらない。ただ、偶然見かけたときに話しかけて、「友達が誓くんと浅山さんの仲を心配してたよ」と言っておいた。「あー、理香りかか」と誓くんはやっぱり苦笑いを見せる。
 理香だって。呼び捨てになるまで仲は進行しているようですよ、純奈さん。
「理香は最近すごいよな、やっぱ。友達にも言われる」
「え、やめとけって?」
「逆。いい加減、応えてやれって」
 ですよね。友達はそう言いますよね。昼休みの生徒が行き交う、春の陽光が射す廊下の窓辺で、私は生温かい笑顔を浮かべる。
「それか、察してやれとかも言われる」
「察する」
「その、実鞠ちゃん──」
「私は友達に言われてるだけだよ」
「そうだよな。実鞠ちゃんは違うだろって、俺も言うんだけど」
「………、周りに勘違いさせてる自覚はあるけど、本当に友達が──」
「分かってる。いつも一緒にいるあの子だろ」
「え」
「巻いた髪が肩くらいの、けっこうお洒落な子」
「知ってたんだ」と私が本気でまじろぐと、「たぶん話したことはないけどな」と誓くんはくすりとする。
「見かける感じだと、実鞠ちゃんが言ってる友達ってあの子かなとは思ってた」
「そっか。うん、まあ──あの子だね。……えと、あの子、誓くんとしてはどうかな……?」
 誓くんはまた苦笑して、「今はそういうこと自体をあんまり考えたくなくて」と少し睫毛を伏せる。
「子供の頃から、ずっとミキが好きだった。女って、あいつ以外考えたことなかった。だから、ほかの女の子をどう見たらいいのか、よく分からないんだ」
「……そっか」
「もちろん嬉しいよ。理香もそうだけど。あんまりぼやぼやしてたら、いざって思ったときにはほかの男に取られてるとか、あるかもしれないって焦りもある」
「うん」
「ミキもさ、ほかの男に取られたんだよな」
「えっ」
「実鞠ちゃん、口堅そうだから話すけど。ミキは今、義理の弟とつきあってるんだ」
「義理の弟……」
「俺の弟分みたいな感じでもあるけど。俺はミキへの想いなら誰にも負けないって思ってきた。そいつには、初めて敵わないんじゃないかって思った」
 誓くんは物憂げに息を吐き、義理の弟とつきあってる、というパワーワードに私は少々混乱する。そんなことって実際にあるのか。漫画の中だけかと思っていた。
「だから、ミキも弟のほうに気持ちが引っ張られたみたいで。女って、自分を一番幸せにする男を見抜くのかな。俺は、敵わないって揺れちゃったから。そこで揺らがなかったら、もうちょっと張り合えたんだろうなと思うよ」
「……そっか」と私は話したこともない長川さんを思い返す。弟と恋をするなんて大変そうだし、誓くんとつきあったほうがきっと楽だったのに。それでも弟を選ぶくらい、長川さんにとって弟の存在が幸せだったのか。
「しかし、義理の姉弟とか漫画みたいな話だよな」
「あ、私も思った」
「まあ、今のミキ幸せそうだから。俺はそれでいいよ」
「強いね」
「どうかな。それでいいとかさ。それって、ミキに気持ちが残ってる裏返しだし。勝手にやってろ、俺は知らねえってなりたい」
「はは」
「だから、いつかちゃんと考えるよ。実鞠ちゃんの友達も、悪いけど理香のことも」
「うん。そうだね」
「待っててくれとかは言わなくても、俺の気持ちが立ち直ったとき、まだこっち見てくれてたら真剣に考える」
「伝えておく。長川さんも、何かと障害あるかもだけど、ずっと幸せだといいね」
 私が微笑んだとき、バックの中でバイブにしているスマホが震えた。「ん」と私はバッグを覗いたものの、スマホを取り出す前に「じゃあ、またあの子に頼まれたら」と誓くんに笑みを作る。
 誓くんはうなずき、「またな」と私の頭をぽんとしてすれちがっていく。頭ぽんなんて子供あつかいだけど、この低身長でよくされるので気にしてはいけない。
 私はスマホを取り出し、純奈のメッセ着信があることを確認した。
『ランチ来ないの?
 テラスで待ってるよ!』
 ついでに、手をつけていないサンドイッチの写真もついている。はいはい、と心の中で答えて、『急ぎます』のスタンプを送信しておくと、私は大学構内のテラスに向かった。
 ランチでは周りに人がいるから何となくひかえておいたけど、いつもの大学のそばのカフェでお茶しつつ、私は純奈に誓くんの話を伝えた。長川さんの恋愛事情は置いておいたけど、純奈の存在を知っていること、今は恋愛のことを考えられないこと、そしていずれは真剣に向かい合うつもりであること。
 めずらしくおとなしく聞いていた純奈は、次第に頬を上気させると「ふあ……っ」とおかしな声を出して、どんどんとテーブルに拳を打ちつけた。
「やっぱ誓くんかっこいいわっ。やばい。そのまじめなとこが、ほんともう好きすぎてつらい」
「よかったね、存在知られてて」
「それだわ。うわあ、見られたときあたしちゃんとしてたかなあ。寝ぐせとかついてなかったかな。あくびしてるとこじゃなかったよね?」
「お洒落な子って言ってたから」
「そんな。全部誓くんのためですから」
「でも、浅山さん、わりと本気で気をつけたほうがよさそうだね」
「『理香』って何。そう呼ばせてんの?」
「いや、それだけ誓くんと親しくなってるんだと思うよ」
「えー。やばいじゃん。あたしのことも考えようとしてくれてるなら、あたしもちゃんとしなきゃダメだよね」
「ちゃんとしてない自覚あったんだね」と私は淡々と述べ、今日はロイヤルミルクティーを飲んでいる。
「今は考えられない、かあ。てことは、今話しかけたらうざいってことかな」
「話しかけるくらいはいいんじゃない?」
「間違えて失恋ルートにしたくないよ」
「進まないと浅山さんに取られるからね」
「それがなあ。浅山さんマジで邪魔。あの人いなかったら、ゆっくりやってても勝算あったのに」
「誓くん狙ってる女の子って、別に純奈と浅山さんのふたりだけでもないでしょ」
「え、そう……なの?」
「そうでしょ。あれだけ常に誓くんの魅力を力説してて、それは考えないの?」
「いや、……まあ、確かにいるか。うじゃうじゃいるよね」
「虫あつかいやめてあげて」
「どうすればいいの。どんどん競争率高くなっちゃう。今のうち? もしかして、あたしって今のうちに動くべき?」
「今というか──」
 純奈はホットチョコレートをごくんと飲んで、「誓くんはあたしをもう知ってる」とぶつぶつひとりで繰り返しはじめた。ちょっと気味悪いかもと思いはじめたとき、純奈は決然と顔をあげて私を見つめた。
「実鞠」
「はい」
「あたしは決めた」
「はい」
「誓くんを、デートに誘う」
 何かまた言い出した。いや、自分で誓くんを誘うならいいと思う。でも、これは絶対に──
「だからね、実鞠」
「……待って、私は」
「呼び出して」
「うん?」
「誓くんを、呼び出してくださいっ! お願いしますっ!!」
 ぱちぱちとまばたきをして、頭を下げる純奈を見つめた。だって、今回のおねだりが若干予想外だったから。いつもの純奈なら、私に代わりにデートを申しこんでこいと言うと思うのだ。それが、誓くんを呼び出せと。
 これは──かなり、成長じゃない?
 やはり、誓くんに自分を知られていると思うと、覇気が変わってくるのか。純奈はそろそろと上目をしてきて、「ダメかなあああ」と泣きそうな声を出した。私は思わず「そんなことないよ」と答えてしまう。
「誓くんを、呼び出せばいいの?」
「うんっ」
「それぐらいなら、まあ──ぜんぜん、簡単だし」
「うん」
「デートは自分で申し込むわけだよね?」
「もちろんっ」
「私が代理でデートに誘うということは」
「ないっ」
「そうなんだ。じゃあ、構わないよ」
「ほんとっ?」
「いつもそれぐらいライトなお願いにしてよ、ほんと──」
「わあいっ、ありがとう実鞠っ。あたし、頑張るね。マジで頑張るわ」
 聞いていないようだけど、まあいいか。やっと純奈が誓くんに接触する勇気が出たのなら、何よりだ。これでもし、本当に純奈と誓くんがうまくいったりしたら──
 私は、もう誓くんといちいち話す機会もなくなるわけか。
 一瞬ロイヤルミルクティーの水面に視線が落ちたけど、そのために恥ずかしくても情けなくても誓くんに話しかけてきたんだもんな、と静かに思った。

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