ただ一途に
中学時代の恋は、結局ずっとひとりの男子への片想いで終わった。
同じクラスだったのは中一のときだけで、そのときだってそんなに接する機会があったわけじゃない。二年生のクラス替えで離れたとき、正直気持ちは勝手に冷めると思った。しかし、すがたさえ見れない状況ほど、かえって彼のことを考えてしまった。
受験生になり、高校はいよいよ別だよねと覚悟はしていたら、もっととんでもないうわさが聞こえてきた。彼は親の仕事の都合で、中学卒業と同時に海外に行ってしまうらしい。同じこの地元で偶然すれちがうとか、そんな可能性もなくなる。
表向きはしれっと受験勉強をしていても、心の中は波立って、詰んだ恋に動揺していた。
「真辺くんって、けっこうモテるんだね」
受験も追いこみになってきた冬、あたしは親友の美希音と勉強していた。美希音の部屋のフローリングにあんまり広くないローテーブルを広げて、それぞれ参考書をめくっている。暖房がめぐる部屋には、あたしと美希音、それから美希音の弟の尚里くんがいた。
真辺くん。あたしがどきりとしたのを隠すあいだに、尚里くんが読んでいた本から顔をあげる。美希音と血のつながりはないこの子は、小学四年生ながら綺麗な顔立ちの美少年だ。
「まなべくん」
知らない名前だったのか、首をかしげた尚里くんに「あたしのクラスメイトの人でね」と美希音はいちいち解説する。
「中学卒業したら、外国に行くんだって」
「外国。すごい」
「親の都合らしいから、本人はどう思ってるか知らないけど」
「そっか。日本語しゃべれないの嫌かもしれないね」
「あたしだったら絶対嫌だわ。無理だわ。英語なんて受験終わったら用済みだわ」
「高校にも英語の授業あるからね」
あたしがそう言っておくと、美希音は思いっきり嫌そうな顔をして「つきまとってくるか」とつぶやく。実際、このご時世は英語は社会人になってもつきまとってくるとは思うけれど。
「で、何で真辺くんがモテるって話になるの」
あたしが話を戻すと、「告ってる子、多いみたいだから」と美希音はおやつのアーモンドチョコレートを口に投げる。
「そうなの?」
「うん。特に、牧瀬さんのモーションがすごい」
「牧瀬……多香子?」
「そうそう。真辺くん、確かに優しそうな人だけど。人気あるのは知らなかったなあ」
「おねえちゃんも、その人のこと好きなの?」
尚里くんの質問に、「嫌いな人じゃないけどなー」と美希音はローテーブルに頬杖をつく。
「だからって、特に好きとかそういうのもないし」
「ただのクラスメイト?」
「そうだね」
「あんたには安定の相手いるからね」
あたしがさしはさんだ言葉に、「誰?」と本気で怪訝そうに美希音は眉を寄せる。
「いや、誓くんじゃん」
「はあ? チカは幼なじみだよ」
「安心してると、あの人なら簡単に女作れるからね」
「作ればいいのに。チカは初恋の話も聞いたことないのが、むしろちょっと怖いわ」
本当に何にも察してないんだなあ、とあたしはわざとらしく息をつく。
「ナオは好きな女の子とかいないよね?」と美希音は尚里くんを向き、尚里くんは肩を揺らして首をかたむける。「ナオをたぶらかす女がいたら許せん」とか言う美希音に、こいつは今は恋愛よりブラコンに走るほうが楽しいんだろうなあと思う。
だから、何となく美希音には恋愛相談はしづらかった。したって、的外れなことしか言いそうにない。何でも話せる親友だけど、どう見たって想いを寄せてきている誓くんに鈍感なところを見ても、美希音は恋愛に対してポンコツだ。だから、あたしの真辺くんへの気持ちを知っている人は、あたし以外にはいなかった。
あたしと美希音は、二月中旬に本命の高校の受験し、三月の卒業式の前に無事合格通知を受けた。ちなみに誓くんも同じ高校らしく、彼も涙ぐましく頑張るなあとあたしは秘かに思った。
肌寒いけどよく晴れた卒業式の日、ひとりずつ体育館の舞台に上がって校長から卒業証書を受け取る長丁場のあと、卒業生も保護者もごちゃ混ぜになりながら、グラウンドで記念撮影をしたり寄せ書きをしたりした。
少しだけ、考えたけど。最後に、真辺くんに告白しようかな。でも、うまくいかなかったら中学最後の想い出として最悪だし、万一うまくいったって遠く離れることになる。告白する意味なんてどこにもない。このまま、高校で新しい恋でもするほうが綺麗だ。
「ねえ、真辺くん。少し話せるかな?」
そんな声が聞こえてちらと振り向くと、後ろ向きなあたしと違って、どうやら想いを打ち明けるらしい女子が真辺くんに話しかけていた。真辺くんは「うん?」とその子に答えながらも、視線でも感じたのか、一瞬こちらを見た。
あたしはどきんとしてぱっと目をそらし、寄せ書きを頼まれている美希音に近づく。「あ、夏月さんも書いてー」と言われて、「ん、いいよー」とか答えながら、こっそりもう一度かえりみると、アスレチックが並ぶグラウンドの隅に向かっているふたりの背中が見えた。
真辺くんも、日本を離れるわけだし。いつ帰ってくるのか、そもそも帰ってくるのか、あたしは知らない。でも、たとえ海外にいるのが一年間だとしたって、置き去りにする彼女なんか作るわけないのに。
そんなことを思っていた。だから、これから食事に行くという美希音の家族が現れ、あたしと誓くんも誘われているところに、「夏月っ!」と声がかかったときには、それが真辺くんだなんて思わずにあたしは振り返った。
「あ、えと……もう帰るのか?」
あたしだけでなく、美希音たちの視線も集まったものだから、真辺くんは臆しながらもあたしにそう問うてきた。あたしは内心どぎまぎしながらも、「そうだけど」とやっぱり表面では澄ましていてかわいくなかった。それでも、真辺くんは「少し話がしたくて」とあたしをじっと見つめて、え、とあたしはさすがに動揺に目線を彷徨わせる。
「話、って──」
今ここではダメなの、とか言うのは無神経な様子だ。というか、それは最後に真辺くんとふたりで話せるなら、あたしも嬉しいし。
美希音を見て「先行っといて」とあたしが言うと、「青春だなー」とか美希音のおじさんが言って、「甘酸っぱいねえ」とおばさんまで言う。美希音と手をつなぐ尚里くんも、睫毛をぱちぱちとさせてこちらを見つめていた。
そんなのじゃない。絶対、そんなのじゃない。そんなわけ、あるはずない。たぶん、誰かに伝言を頼まれたとか、そんながっかりする話に決まっている。
自分にそう言い聞かせながら、あたしは真辺くんの隣に並ぶ。「少し歩きたいけど、いいかな」と言われて、あたしがこくりとすると、真辺くんは通学路沿いの桜の並ぶほうへと歩き出す。ひやりとした風が、セーラー服のスカーフとスカートを揺らす。
隣の真辺くんを盗み見る。さらさらした柔らかそうな髪、焦げ茶の穏やかな色合いの瞳、鼻梁や顎の線にはまだ幼い甘さが残っている。軆つきも、どちらかといえばたくましいというかスマートだ。特に脚がすらりと長くて、意外と見上げる角度がある。三年間、想い倒してしまっただけにかっこいい。
そんなことを思っていると、雪のようにひらひらと桜の花びらがちらつきはじめて、真辺くんはあたしと向かい合って立ち止まった。
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