長いあいだ-3

親友の恋模様

「彩季は、好きでもない人には取り合わないタイプだったけどなー」
 夏に二十七歳になるのをひかえた雨の少ない梅雨の頃、あたしは相変わらず友情が続いている美希音と飲んでいた。
 金曜日の夜だから、明日は二日酔いだろうが何だろうが部屋で死ねる。帰りも終電にさえ間に合えばいいし、何ならタクシーだってある。
 網の上の焼き鳥が香ばしいカウンターで、ずいぶん飲めるようになったお酒を胃に流しこみながら、あたしが同僚が鬱陶しいと語ると、美希音もだいぶ飲みながらそう言った。
「学生時代みたいにはいかないわ。澄ましてはねつけてたら、嫌がらせが仕事への妨害だから」
「仕事への妨害」と繰り返す美希音は、昔はみつあみにまとめるほど長かった髪を今はボブくらいにしている。あたしは赤茶っぽく染めた、ちょっと後れ毛が跳ねるセミロングだ。
「ミス押しつけられて、成績とか給料とかに響いて、最終的には生活が苦しくなる」
「うわっ、怖いな化粧品メーカー。女多そうだもんなあ」
「ミスの細工を先回りして片づけるくらい、仕事ができたらいいんだけどね」
「あたしの職場、スタッフ少ないだけアットホームでよかった」
 美希音は駅ビルの中に入っている、コスメや雑貨から、限定のキャラクターグッズまで取り揃えたショップのスタッフだ。確か文具フロアを担当していたと思う。ひとり暮らしのあたしと違って実家暮らしなので、正社員にかじりつかず、のんびりバイト雇用で何とかなっているらしい。
「真辺くんって、何気に十年以上帰国してないよね」
「十一年と二ヵ月」
「彩季もよく心変わりしないね」
「自分でもそう思う」
「あのチカがあたしをあきらめて、彼女作って、もう結婚したくらいなんだよ」
「あー、誓くん結婚したんだよね」
「マリちゃんいい子だからよかったよ」
「誓くんは、ほんとにあんたが好きだったのにねえ」
「仕方ないじゃん。あたし、ナオしか無理だしさ」
 あたしはオレンジ色のスクリュードライバーをすすり、「仲良しですねえ」と言って「仲良しですよお」と返され、ため息をつく。
 そう、美希音といえば、重症のブラコンだった。弟の尚里くんのほうも、そうとうなシスコンだった。でも、今はふたりは姉弟ではない。美希音が大学生のとき、ふたりは恋人同士になったのだ。
「美希音は、尚里くんと結婚するんだよね」
「今の彩季にその話題は地雷じゃないの?」
「身内なら祝福するわ、普通に」
「そんなもんか。まあ、ナオは今大学四回生でして、卒業したらおとうさんとおかあさんが勤めてる図書館にも就職します」
「はい」
「だから、ナオが大学卒業したらって話はしてる」
「来年かー」
「どうだろ、準備とかいろいろあるし、再来年くらいにはなるのかも」
「でも三十路前だね」
「何とか」
「あたしはどうなるんだろ。本気でこのまま真辺くん帰ってこない可能性ってありそうで」
「帰ってくるって約束したんでしょ」
「中学生のたわごとだよ」
「『寂しい』とか言ってみないの?」
「重いでしょ」
「つきあってるんだから、そばにいなくて寂しいのは普通じゃん」
「そうなのかなあ。真辺くんの今の状態も分からないのに、あたしの感情押しつけていいのかな」
「彩季って、あたしにはずけずけ言うのに、真辺くんには奥ゆかしいよね」
「褒めてんのかよ」
「素直じゃないとも言う」
「……素直、なんて」
 あたしは口ごもり、食べかけだったおつまみのだしまきたまごを箸ですくって口にふくむ。美希音もグラスをあおって空にすると、カウンター内のご主人に焼き鳥とドリンクを追加注文する。
 そのあともあたしは美希音とだらだら飲んでしゃべって、時刻はあっという間に零時をまわった。今からまたひとりきりの部屋かあ、と思うとわずかに滅入って、「美希音の家に泊まろうかなあ」とつぶやいてみると、「宅飲み続けますか!」と美希音はあっさりうなずいてくれた。
「邪魔じゃない?」
「ぜんぜん。たまには彩季の愚痴は聞いておきたいわ。あんた、あんまり言わないからねー」
 そう言ってあたしの肩をばしばしたたく美希音は、やっぱりいい奴だ。そんなわけで、分けておいたお勘定をそれぞれ済ますと、ぎりぎり終電に乗ってあたしたちは地元に向かった。
 あたしの実家もある土地だけど、何だかんだで帰らないことが多い。おかあさんが、心配してくれているのは分かるけど、真辺くんを待っていることにいい顔をしていないのだ。
 足元がふらつくので、駅から美希音の家まではタクシーに乗った。そしてワンメーターはらうと、美希音は庭を横切って玄関のドアを開けた。家からまだ明かりがもれているのに気づいていると、「ただいまー!」と美希音は酔っぱらった高調子で家に上がる。
「彩季をお持ち帰りしたよー!」
 美希音の声を聞きつけ、真っ先に出迎えってくれたのは、二階から降りてきた尚里くんだ。女の子顔負けの美少年だった尚里くんも、いつのまにか筋骨のあるしっかりとかっこいい男の子になった。「ナオー!」と美希音は尚里くんに抱きついて、尚里くんはそれを「おかえり」と抱き留めながら、「彩季さん、こんばんは」とあたしにも挨拶してくれる。
「こんばんは。今夜、お邪魔していいかな」
「はい、もちろん。おねえちゃん、お水いる?」
「いるー。でも、ナオとのハグがもっといる……」
 甘ったれる美希音に尚里くんは苦笑しつつ、「よしよし」と美希音の頭をぽんぽんしている。そうこうしていると、リビングからおじさんとおばさんも顔を出して、「ミキ、ただの酔っぱらいじゃないか」「彩季ちゃん、久しぶりねえ」とそれぞれにあたしたちに笑ってくれる。この家の雰囲気は、いつも温かいなあと感じる。
 美希音と尚里くんが、姉弟を超えて恋人同士になったこと。それは、おじさんもおばさんも承知している。
 初めはかなり驚いて、烈火のごとく反対こそしないものの、どう受け止めればいいのか困惑はしたようだった。ふたりとも、美希音の相手は誓くんだろうと思っていたのもある。その誓くんも力添えして、美希音の相手は尚里くんだときっぱりふたりに告げた。
「子供の頃から、僕の手を握って安心させてくれるおねえちゃんが好きだったんだ」と尚里くんも永年の想いを語り、美希音も正直に「ナオを誰にも取られたくないと思うの」と打ち明けた。
 半年くらいはぎこちなかったと聞いている。しかし、美希音と尚里くんの気持ちが本物だと感じて、ようやくおじさんとおばさんはふたりの関係を受け入れてくれたそうだ。それからはまた元通り、なごやかな家庭で美希音と尚里くんの結婚を待ちわびるほどになっている。

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