長いあいだ-5

同窓会

 そのあとはもう記憶になくて、気づけばすずめが鳴いている朝で、あたしはいつのまにか敷布団と掛布団のあいだにいた。美希音はベッドに寝ていて、尚里くんは部屋に戻ったのか、いなくなっていた。
 あたしは床に放置していたスマホを手に取る。時刻は八時が近い。というか、充電せずに放っていたから電池残量がやばい。急いでバッグの中のポータブルチャージャーにつないで充電を始めながら、ひとつあくびをして、少し頭が痛いかなあとぼんやり考えた。
 思っていたよりひどい二日酔いではなさそうだ。美希音が起きたら礼言って帰るか、と伸びをして、真辺くんは今頃寝てるかなと実は暗記している時差を思い、どうしてもあの人中心である自分に吐息がこぼれた。
 週末を自分の部屋でほぼぐったりして過ごしたら、あっという間にメンタルがブルーになる月曜日だ。仕事そのものは楽しいけど、本当に人間関係が面倒臭い。外回りの日はまだいいけれど、今日は内勤だ。誰が誰とつきあってるとか、あの同僚が揉めたらしいとか、何があって辞めていくとか。そんな知ったことではないうわさが耳について、余計にいらいらしてくる。
 スルースキル発動、とややゲーム脳なところがあるあたしは思って、午前中は乗り切るけども、たいていランチタイムにうんざりする。社外のカフェにでも入ってゆったりすればいいのかもしれないけれど、外回りでもないときまで外食するほど、お財布にゆとりがあるわけでもない。
 何とか社食を逃れて職場に戻り、午後長いなあとため息をついていたら、「浮かない顔はやめとけ」と上司に注意されてしまった。何だよ、お前こないだ離婚とかしたくせに。聞きたくもないうわさで知ったその男上司の情報を内心毒づいても、「すみません」としおらしく言って、そんな裏表にまたストレスが募った。
 すぐ七月になった。その往復はがきが実家から転送されてきたのは、ちょうど梅雨が明けた日だった。
 同窓会のお知らせ。本当は去年、卒業から十年の節目に行う予定だったけど、クラスを担任していた先生に不幸があって流れていたらしい。去年が十年だったってことは、と確認すると、やっぱり中学校の同窓会だった。
 美希音とは違うクラスだったしなあ、とあまり乗り気がしなかったけど、クラス同窓会でなく、学年での同窓会みたいだ。じゃあ真辺くんはどうするんだろう、と当然思ったけれど、あたしは十一年と三ヵ月待たされて、同窓会のためになら帰国されたら逆に哀しい。
 シャワーを浴びてクーラーで軆を冷ましたあと、とりあえず美希音に連絡した。美希音も例のはがきは受け取っていて、『お盆の頃だからあたしはパス。』と返ってきた。
『じゃああたしもやめとこうかな。』と送ると、『真辺くん来たらどうすんだよ!!』と食い気味な感じでレスが来た。『同窓会なら帰ってくるとか、むしろつらいわ。』と送信すると、『寂しいも言わないあんたに会いにいける口実だと思われてたらどうすんだよ!』と美希音は力説し、そんなもんかなあとあたしは首をかしげる。
『とりあえず行っとけ』と美希音が強く勧めるので、『はいはい』と適当な返事でメッセを止め、まあ帰省しない言い訳になるかなとあたしは参加するに丸をつけ、翌日の出勤途中、返信用はがきを投函しておいた。
 今年の夏も、毎日煮えたぎるような日射しで、少し水分を忘れただけで頭痛やめまいが襲ってきた。熱中症で搬送とか死亡とかのニュースはどんどん増えて、それでもあたしはスーツで営業だ。内勤の憂鬱に較べれば、外回りのほうが時間もあっという間なのでよかった。
 化粧品メーカーだけあって、汗で崩れない最新の化粧品が割引やサンプルで手に入るのはありがたい。むわっと照り返すアスファルトをヒールで駆けまわり、取引先に着いたら先にトイレを借りてシトラス系のミストで汗を抑え、営業スマイルを引き出す。そしてアポの十分前に顔を出して、夏のラインナップの売れ行きだけでなく、早くも秋の新作の話もしたりする。
 蒸した空が何日も続く中、気まぐれに台風が通ったり逸れたりしながら通過した。暴風雨が直撃したときには、めずらしく一週間経たずに真辺くんから『日本大変そうだけど、大丈夫?』とメッセも届いた。その日出勤しなかったあたしは、『窓割れそうなのがさすがに怖い。』と返したものの、本当は、真辺くんは同窓会をどうするのか知らないから訊きたかった。
 何て訊けばいいのかな。そもそも同窓会のこと知ってるかな。あたしへのはがきも実家に来たから、卒業後に海外に渡った真辺くんにははがきが届いていないかもしれない。それとも、当時の友人が伝えているかもしれない。でもやっぱ知ってたらあたしに話題振ってくるよなとも思う。あたしが教えてもいいのかな。そしたらついでに、さらっと「久しぶりに会いたいね」くらい言えるかな。
 いろいろ考えていたけど、真辺くんの返事は『気をつけて。日本の台風の被害は、こっちでも話題になるくらいだから。』というもので、ここからどう同窓会につなげるのか思いつかず、『分かった。そっちもハリケーンとか気をつけて。』としかあたしは送れなかった。
 八月のお盆は、さいわい台風にも見舞われず、青空が突き抜けて視界が白くなりそうに太陽がまばゆかった。同窓会は八月十七日の十八時からで、場所は隣の駅にある料亭のようだ。
 あたしは気分転換の買い物で、この日のために新しい服を買っておいた。のちのちにも使うためにスーツだけど、いつも黒やキャメルが多いので、モーヴピンクにしてみた。この歳というか、そもそもきつめの顔立ちでベビーピンクは無理だけど、モーヴピンクなら落ち着くから何とか着こなせる。
 化粧もパープルでまとめて、髪を軽くヘアアイロンで巻く。姿見で念入りに確認してから、「よし」とつぶやくと、バッグの中身も確かめて十七時前には部屋を出た。
 空はまだ青く、暮れる気配はない。マンションから駅まで歩きながら、もし真辺くんがいたらどんな顔をすればいいんだろうと考える。
 美希音の言葉を思い返し、寂しいも言わないあたしに別れを切り出すってないよね、と不安になる。というか、やっぱり、来るなら前もってひと言くれる気がする。みんなの前でサプライズで現れても、そんなの公然プロポーズという隠し玉でもない限り──
 あたしは自分でどきっとして、いや、でも、それは、とひとりで狼狽える。そんなことをしてくれたら、さすがに嬉しいけども、まあ真辺くんってそういうキャラではないよねと天に息を吐く。
 電車に揺られて、地元の一歩手前の駅で降りた。料亭までは、スマホのマップの機能であるナビに案内してもらった。松の木と燈篭が配置された石畳の庭に面した、落ち着いた料亭だった。入口のところの案内板に、あたしが卒業した中学の名前と、同窓会という文字がある。

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