角砂糖はおあずけ-10

懐かしい再会

「じゃあ、今度の会議に参加するのは綾川さんということで」
 水津さんがそう言うと、その日の夕礼は締めくくられた。会議かあ、と私はやや憂鬱にため息をつく。会議自体は、そこまで嫌でもないのだけど。水津さんの同行になるのがなあ、と行き帰りの移動中での沈黙、あるいはちくちく言われるのを案じてしまう。
 私の働くレストランは全国チェーンの直営店なので、他の店舗との交流や情報交換を兼ねて、半年に一度、社員と共にバイトのひとりかふたりが参加する会議が開かれる。私は二回くらい参加したことがあって、そんなに厳しいものでなく、会食のような感じだと知っているのでそんなに構えることはもうない。同じ仕事だから、そこにいる人とはたいてい話が合うし、連絡先を交換してたまにやりとりをする人もできるくらいだ。
 でも、水津さんと一緒だと息苦しいだろうな、と今回はそこが心配だ。私のミスをほかの人に話したりするかもしれない。そう思うのは私だけではないらしく、同僚のみんなは自分が同行に当たらなくてほっとした様子だ。ここが長い私があえて背負うのも無理ないか、と思っていると、「俺も会議行きたかった」と夕礼のしばしあとに一緒に休憩に入った紅磨くんがそう言った。
「じゃあ、入れ替えてもらう?」
 私がまかないを食べながら首をかしげると、「そうじゃなくて」と紅磨くんはむくれる。
「バイトふたりでもいいなら、悠海さんだけじゃなくて俺も」
「ひとりかふたりかは、本部が決めるらしいけど」
「えー……そうなんだ」
「紅磨くん、会議行ったことあったっけ?」
「ないよ。やっぱ、悠海さんみたくフルで働いてる即戦力が行くみたいで」
「紅磨くんも今は即戦力だよ」
「悠海さん、水津さんとふたりで平気?」
「正直不安」
「俺も水津さんとはふたりきりにはなりたくないもんなあ」
「みんなそう思ってるから、私が行くしかないよ」
「悠海さんにばっかり、負担行くのやだ。何か言われても、無視して俺にメッセとかしてね」
「うん。ありがと」
「会議の日って帰り遅かったよね?」
「日づけ変わるぐらいにここにちらっと寄って、すぐ帰る感じ」
「じゃあ、俺はその日は閉店までここにいるよ」
「いいの? 中番入ってても、何時間も待つよ?」
「待ちます。前の会議のときもそうしたでしょ。その日こそ、帰り遅くて危ないんだしさ」
「そっか。ごめん」
「いいの。悠海さんに何かあったら息止まる」
 私は微笑んで、「会議の次の日はオフにしようかな」と言う。
「やっぱ疲れそう?」
「その日は紅磨くんもオフにしてもらって、一日一緒にいるの」
 紅磨くんは私を見て、嬉しそうに笑みを見せると「それいいね」と私の髪に触れた。私も咲い返し、紅磨くんの肩に頭を乗せる。水津さんとふたりきりになる時間は気鬱だ。でも、そのあと紅磨くんを一日ひとりじめできるなら、きっと頑張れる。
 会議の日は六月の第一日曜日だった。朝早く新幹線に乗って、県外に出て、ビルのフロアの一室を貸し切ったミーティングルームに集まる。新幹線が山場だな、と思っていたのだけど、水津さんは書類に目を通したりタブレットで文章作成したりといそがしそうで、私はわりとのんびり、音楽を聴きながらスマホをいじったりできた。『大丈夫?』と紅磨くんから心配のメッセが来ると、『水津さんは準備で私どころじゃなさそう』と返す余裕もあった。
 目的の駅が近づいて、イヤホンをはずして「もうすぐ降りますけど」と一応声をかけると、水津さんははっと時間を見てから、「分かってます」と散らかした紙類をばたばたと片づけた。確か、社員は今の店舗で働く感想文みたいなものを書かされて、しかも当てられたら読まされるんだよなあと思い返す。水津さんはそういうの得意って感じじゃないな、と思っていると駅に着いて、私たちは今度は迷路のような乗り換えを経て、目的のビルに到着した。
 三階にあるミーティングルームに入ると、まだ会議開始前でみんなにぎやかにしていて、「綾川ちゃん!」と私もすぐ誰かに呼ばれてそちらを振り向く。
「わ、お久しぶりです」
 そんな挨拶をしながら笑顔になっていると、「その人は新しい人?」と訊かれて「えっ」と振り返る。すると、なぜか水津さんは私の後ろについてきていた。
「あ、……と、今のうちの店長です」
「社員さん?」
「はい」
「何だ。綾川ちゃんのが堂々としてるね」
「はは……。私はバイト長いので」
「もう何年?」
「五年過ぎました」
 そんなことを話して、水津さんは会話に入ってくることはないけれど、離れていく様子もない。同期の人とかいるよね、と思って、こちらから会話に誘うことはしなかった。何となく、気を遣った途端はねつけられそうだし。
 そのあとも私は何人かと話をしたものの、水津さんは私からつかず離れず、誰のところにも行っていなかった。こういう社交的な場では内気になるのだろうか。店ではあんなに吐いてくるのに。あるいは、会議で当てられないか気になって、それどころではないとか。借りてきた猫、なんてことわざが浮かんでいたとき、「綾川さん、久しぶり」とまた声がかかった。
 はたと声のしたほうを見て、私は目を開いてしまう。
「元気にしてる?」
 そこでスーツを着てたおやかに微笑んでいるのは、水津さんの前の店長、真垣さんだった。穏やかな瞳や口調も変わらなくて、でもとても懐かしくて、思わず泣きそうになる。
「お久しぶりです……っ。真垣さんこそ、元気でしたか」
「何とかやってるよ。ひとり?」
「まさか。社員さんと」
「ああ、今は店長は水津さんだったよね」
「知り合いですか」
「うん。水津さんが入社したとき、懇親会で誰とも話してなくて、僕が相手したことがあるんだ。仕事はできる子だけど、コミュニケーションが苦手みたいだね」
「そうなんですか。じゃあ、水津さんも真垣さんには挨拶したいですかね」
 そう言って振り返ると、水津さんが壁際で見るからにそわそわとこちらを見ていた。真垣さんがくすりとして手招きすると、水津さんは人を縫ってこちらにやってくる。
「ま、真垣……さん、お久しぶりです」
 うわ、ぜんぜん口調違う。と思っても、それはこらえて私は淡々と笑顔を続ける。
「久しぶり。今の店舗には慣れた?」
「え、あ──一応。はい」
「引き継ぎのとき、綾川さんを頼りにするといいよって言ったけど。頑張ってくれる人でしょ、綾川さん」
 うん、頼りにされるどころか、こき下ろされているけれど。私はやっぱり黙って咲っておく。
「水津さんは、周りの人と打ち解ければ、仕事ももっと力が発揮できるからね。頑張って」
「は、……はい。頑張ります」
「今日一緒なのが綾川さんってことは、うまくいってるのかな。綾川さんも、水津さんのことサポートしてあげてね」
 これは、真垣さんに水津さんのこと相談しなくてよかった流れだなあ──と思っていると、「そうだ」と真垣さんは思い出した顔になる。
「木ノ村くんは元気?」
「はい、紅磨くんは今日シフト入ってます」
「そうなんだ。会いたかったな」
「紅磨くんも、真垣さんに会ったって言ったらうらやましがりそう」
「はは。彼氏としても順調?」
「まあ、何とか」
「何とか」
「いろいろありますけど、仲はいいです」
「そう。よかった」
 真垣さんがそう言って微笑するのを、水津さんがきょとんとまばたいて見つめた。その反応に私もはっとする。そうだ。真垣さんだからナチュラルに返してしまったけれど、私は店では紅磨くんとのつきあいを伏せている──
「え……えっ? 木ノ村くんが、彼氏って……」
 そんな水津さんに真垣さんもまじろぎ、「もしかして水津さんにも伏せてた?」と確かめる。「伏せてました……」と私が言うと、「えっ」と水津さんがもう一度声を出す。
「あ、綾川さん、木ノ村くんと」
「つきあって……ます」
 水津さんがみるみる目を開く。やばい。これはやばい。この場はともかく、これはあとから猛烈に責められる。
 私がそう危懼するのを悟ったのか、「ふたりのことは見守ってあげてほしいんだけど」と一応真垣さんが水津さんに言ってくれた。けども、頬を真っ赤にする水津さんの耳には入ったのかどうか。

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