角砂糖はおあずけ-3

祝福を受けて

「悠海さんの家、ここから十分くらいだよね」
 門扉を抜けながら紅磨くんが言って、知られているのは知っていたので私はそれにこくんとして、いったん中学のほうに引き返すことにした。校門の脇の坂をのぼって、家が入り組んでちょっと狭い小道の中に私の実家はある。
 空は凛と澄んで、月と星がさらさらと輝いていた。温まっていた軆は冷気に侵されても、つないだ手には熱が残っている。
 実家の鍵は持っているけれど、一応ドアフォンを鳴らすと、『はい、もしもし?』とおかあさんの受け答えが聞こえた。
「あ、おかあさん。私だよ。お正月だから帰ってきた」
『あら、悠海。帰ってこないかと思った』
「ん、まあ一応。おとうさんもいるよね」
『いるよ。寒いでしょう、早く入ってきなさい』
「あ、あのっ」
『うん?』
「つ、連れてきてる人……が、います、ので」
『お友達? 南乃ちゃん?』
「いや、その……彼氏、というか」
『ああ、話してくれてた男の子?』
「そう。いいかな、彼も一緒に」
『もちろん。入っておいで』
 私は紅磨くんを見て「大丈夫」と言い、「ぽいね」と紅磨くんもうなずいた。それから、石段を数段のぼってドアの前に立ったところで、かちゃっと鍵の開く音がした。
 ドアが開いて、わりと久しぶりに会うおかあさんがそこにいた。
「あけましておめでとう」
 まず一番にそう言われて、「おめでとう」と私も答える。
「わりと近いのに、ぜんぜん帰ってこないんだから」
「バイトがいそがしいの。それで──この人がね、木ノ村紅磨くんっていって。バイトも同じとこなんだけど」
 私が腕を引くと、紅磨くんは玄関に入ってきて、おかあさんに頭を下げる。
「初めまして。悠海さんとおつきあいさせてもらってます」
 おかあさんは笑みを浮かべて「初めまして」と言葉を返す。
「お話だけ伺ってます。この子がご迷惑かけたのが切っかけみたいで」
「いえっ。俺こそ、何というか──助けたくて」
「ふふ、ありがとうございます。感謝してます。どうぞ、主人も挨拶したいと思うので」
「はいっ」
 私は紅磨くんを見つめて、緊張してるな、と思った。私もだけど。恋愛なんてもうしない、彼氏も作らない、両親には以前そんな宣言もしたことがある。それでもいいよ、とも言ってもらったのに、結局彼氏を連れてくることになるとは。私の視線に気づいた紅磨くんが首をかたむけてきて、私はかぶりを振ると「入ろ」と手をつないだ。
 おとうさんはダイニングにいて、食べ終わった食器を片づけていた。「おとうさん、ただいま」と声をかけると、振り返ってきて「おかえり、悠海」と眼鏡越しに微笑む。「今日、おとうさんが当番?」と訊くと「そうだよ」と言ってから紅磨くんを見た。
「この人、今つきあってる人で」
「ああ、連れてきてくれたんだ」
「そろそろ紹介してもいいかなって」
「そっか。──初めまして、悠海の父です」
「初めまして。悠海さんとおつきあいさせてもらってる木ノ村紅磨です」
「紅磨くんか。話は聞いてるよ。悠海のこと、支えてくれてるみたいでありがとう」
「あ、いや。俺も悠海さんに癒されてるんで」
「はは、そっか。少し待ってね、ここ片づけるから」
 そう言って、おとうさんは重ねた食器をキッチンのシンクに持っていく。「おとうさんも家事するんだ」と紅磨くんがつぶやいて、「うちは昔からこうだよ」と私はうなずく。
「言っていい?」
「うん」
「おとうさん、雰囲気が真垣さんっぽい」
 私は噴き出して、「そうかなあ」と首をかしげる。「でも、俺も結婚したら家事するよ」と紅磨くんが言ってつい笑っていると、そのあいだにおかあさんがコーヒーを淹れてくれた。
「紅磨くん砂糖ふたつだよ」と私が言うと、「何かすごいガキみたいで恥ずかしい」と紅磨くんは頬を染め、おかあさんは「おいしく飲めるのが一番ですよ」とくすくす咲った。
 ダイニングのテーブルが片づくと、両親と向かい合って私と紅磨くんも椅子に腰かける。それから四人でまったりと話をした。私の両親は穏やかだから、紅磨くんも自然とリラックスできてきたみたいだった。「あのとき、悠海を助けてくれたっていう男の子の話は聞いてて」とおとうさんはコーヒーを飲む。
「お礼をしたいとは言ったんたけど、教えられないって言われて」
「あ、俺もどうなったかは教えられないって言われました。でも心配で、うわさとかたぐって」
「そんなに気にしてくれたんだね。ありがとう」
「悠海からその男の子の話が出たときはびっくりしましたよね」
 コーヒーをすするおかあさんがそう言って、「うん」とおとうさんはうなずく。
「悠海ははっきり憶えてないみたいだったし」
「今は少し思い出してるよ」
「思い当たったときはびっくりしただろう?」
「うん。紅磨くんがいたから私は今生きてるんだなあって」
 私の言葉に、おとうさんとおかあさんは微笑みあい、「本当にありがとう」と紅磨くんに改めて頭を下げた。「俺はストーカーみたいに悠海さんのこと探し当てただけで」と紅磨くんは首を横に振り、「紅磨くんはストーカーじゃないよ」と私は苦笑する。
「そ、そうかなあ」
「ストーカーだったらつきあってないし。私に会いたいから、会いに来てくれただけでしょ」
「そう取ってくれると嬉しい」
「ちゃんと分かってるよ」
 紅磨くんは照れたように咲って、コーヒーを飲んだ。「苦くない?」と心配すると、「……ちょっと苦い」と紅磨くんは正直につぶやく。「砂糖もうひとつ入れます?」とおかあさんに訊かれると、紅磨くんは「いえ、頑張ります」と紅磨くんはもうひと口コーヒーを飲んだ。
「紅磨くんの家も、この近くだって聞いてるけど」
「歩いて十分くらいです」
「そうなんだ。──ご挨拶できたらしたいね」
「そうですね。紅磨くん、もし機会があれば」
「はい。俺んち騒々しくて、びっくりするかもしれないですけど」
「悠海は行ったことあるの?」
「さっき初めて行ってきたよ」
「あら。ちゃんとご両親にご挨拶できた?」
「たぶん……」
「できてたよ、悠海さん」
「紅磨くんみたいにしっかりしてるなら、うちはつきあってもらえるの歓迎だね」
「ふふ、そうですね。悠海、愛想尽かされないようにね」
「分かってますー」
 私はむくれて答えて、コーヒーを飲む。コーヒーミックスで作る私の部屋のコーヒーより、確かに濃くて苦い。これなら紅磨くんはお砂糖みっつでもよかったかも、と思った。
 それから、私と紅磨くんは二十一時になる前に席を立った。「これからも悠海を見守ってやってください」と私の両親に言われた紅磨くんは笑顔でうなずいて、「悠海さんのこと、大切にします」と約束していた。
 その言葉に私ははにかんでしまっても、嬉しくて、家を出ると紅磨くんと手をつないだ。紅磨くんは手を握り返して、「ご両親おっとりしてたね」と言う。「『羨ましい』ってよく言われる」と駅へと歩き出しながら私は咲う。
「でも、紅磨くんのご両親もおもしろかったよ」
「息子からすると、ちょっと落ち着いてほしい」
「私は新鮮だったなあ」
「俺も悠海さんのご両親、新鮮だったよ」
「ふふ。よかった。これで親公認だ」
「そっか。そうだよね。反対されなくてよかったー」
「このまま、いつか結婚できるといいね」
「俺が大学卒業したらしたい」
「まず同棲じゃなくて?」
「今同棲してるみたいな感じじゃん」
「そだね。夕ごはん、何か買って帰らないと」
「悠海さんちのそばのスーパー、正月だけどやってる? 零時までやってるとこ」
「どうかな。やってそうだけど──」
「どっかで食べて帰ってもいいよ」
「食べて帰ろうか。ここの駅前のロータリーっていろいろあったよね」
「うん。あー、腹減った! 正直コーヒー飲みながら空腹ごまかしてた」
「あれ苦かったでしょ。いつもうちで飲んでるのはミックスだから、ミルクも混ざってるし」
「多少苦くても、我慢して飲むときもあるんです」
 私は咲って、紅磨くんは甘党でいいのに、と思った。もちろん、私の両親の前で背伸びしたかったのは何となく分かる。いつか背伸びもせず両親と話せるようになってほしいなと思う。
 紅磨くんとは、お砂糖が多めの恋をしていたい。そう思っていても、末永くそばにいたらそうじゃないときもあるのかな。紅磨くんといて、苦い想いをすることもあるのだろうか。今までは、いつだって、甘かったけど──
「紅磨くん」
「うん?」
「何か、言えてなかったけど。今年もよろしくね」
 紅磨くんは私を見下ろして、にこっと微笑むと「こちらこそよろしく」ときゅっと私の手を握りなおした。できれば、このまま私たちは甘やかだといいな。そう思って、私も紅磨くんの手を握ってその肩に寄り添った。

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