角砂糖はおあずけ-4

大人になっていく

 昨夜、紅磨くんは私を部屋に送ると、ぎゅっとハグをしてから家に帰っていった。
「明日、朝に迎えに来るね」と言われて、「ほんとに私も一緒でいいの?」と心配してしまうと、「彼女連れていかないと、昔みたいに茉莉紗とつきあえって揶揄われるから!」と紅磨くんは断言していた。やっぱり昔から周りにはそれを期待されてたんだな、とちょっと落ちこんでしまうと、「俺には悠海さんだから、自慢させて」とそっとキスされて、私は紅磨くんの瞳を見つめてこくんとした。
 そんなわけで、今年の成人の日はバイトも休んで、紅磨くんの成人式に付き添うことにした。
 私もスーツとか着ておいたほうがいいのかなあ、と服をあさって、困ったときの一着として持っていたライムグリーンのワンピーススーツが見つかった。入るかな、と若干不安だったけど、さいわいサイズはちょうどよかった。成人式の朝、私が正装しても仕方ないんだけどね、と思いつつそれを着て、きちんと化粧もする。
 朝食にはマーガリンを塗ったトーストを食べて、ミルクティーミックスを溶かして軆を温めた。そして食器を洗ったり歯を磨いたり、いろいろしているとドアフォンが鳴った。化粧を見直していた私はテレビを消して、「はあい」と声を出して玄関に向かう。
「悠海さん、おはよ」
 私はドアの向こうにいた紅磨くんのすがたにまばたきした。いや、スーツを着てくることは聞いていたけど。いつもは無造作な髪もセットされて、何か、すごく──
「悠海さん」
 きょとんと覗きこまれてはっとして、元からけっこうかっこいいからなあ、と頬を染めてしまう。「悠海さんもスーツだ」と紅磨くんはにっこりする。
「あ、うん。お祝いだし、普段着は失礼かなと思って」
「初めて見た。OLとかよりお嬢様っぽい」
「そうかな。まあ、ホステスに見えないなら」
「はは。俺は家族に『ホストだなあ』って言われた」
「急に大人びて見えるからかも。大丈夫、しっかりして見える」
「へへ、そっか。じゃあ行こっか」
「このあたりの成人式なら、私は市の公民館だったけど」
「俺もそうだよ。電車に乗ってく」
「待って、バッグと上着取ってくるね」
「うん」
 私は一度部屋に戻り、用意していたバッグの中身を確かめた。白のコートを羽織り、充電からちぎったスマホを持って玄関に戻る。いつもと違うヒールの靴を履いて、廊下に出ると鍵を締めた。
「悠海さん」
「うん?」
「悠海さんは、成人式って振り袖着た?」
「あー、レンタルだけど着たかなあ。紫の。朝早くから美容室で髪もセットして」
 おぼろげな記憶で言うと、「見たかった……っ」と紅磨くんは心から悔しそうにつぶやいた。その口ぶりについ笑ってしまう。
「たぶんPCにデータ入ってるよ」
「えっ、見たい。今度見せてよ」
「じゃあ、夜に探してみるね」
「よしっ。めっちゃ楽しみ」
 そう言って、紅磨くんは私と手をつないで歩き出す。私も紅磨くんの隣に並び、一階に降りると外に出た。
 空はちょっと曇っているけれど、朝の天気予報では曇りのち晴れだったから、雪や雨は大丈夫だろう。朝だから空気は冷え切っていて、着こんでいても肌がこわばり、息も薄く色づく。風はそんなになくて、紅磨くんにくっついていれば寒くなかった。
 足元にヒーターがついた電車に乗ると、ほかにも新成人らしき若い男の子や女の子がちらほらしていた。私はあれが七年前なのかあ、と思うと、さすがに紅磨くんとの年の差を感じたりする。
 でも、確かに紅磨くんがひとりで成人式に行くのは不安だったかも。茉莉紗さんとは何もないと分かっていても、ほかにも女の子はいるわけで。こんなにかっこよくなった同級生、それはそれはきっとモテると思うのだ。
 一緒に行ったからって、私は紅磨くんについてくる視線を追いはらえる強さはなくても、彼女として存在主張ぐらいしないと。たぶん、そのためについていくのだと思うし。強引な子がいても、紅磨くんが浮気するとかは思わない。ただ、言い寄るような子がいたら、紅磨くんが楽にそれを拒絶できるようにそばにいたい。
 公民館所在の最寄り駅で降りると、色鮮やかな振り袖や凛とした袴、折り目正しいスーツ、きらきらしていたすがたのいろんな若い子があふれていた。混雑は緩やかに公民館へと流れていて、私ひとりおばさんだ、と妙に恥ずかしくなってしまう。
 少し顔を伏せがちに歩いていると、「紅磨じゃね?」と突然背後から声がかかった。振り返った紅磨くんは、「うわ、慎一しんいち!」とすぐ答えて笑顔になる。
「電車降りたときから紅磨だって思ってたわ」
「マジで。気づかなかった」
「久しぶりだなー。中学の卒業式が最後だよな」
「ああ。お前、高校どこ行ったっけ?」
 こういうのは邪魔しないほうがいいか、と私は口を挟まず、同い年の子と話す紅磨くんってあんまり見たことないんだよな、と思った。こうして見ると、ぜんぜん無邪気で瑞々しくて、私といるときは落ち着かせちゃってるのかなあ、と思う。
 二十歳だもんな、と距離感を覚えていると、「この人は?」と不意にそのスーツを着た眼鏡の男の子が私を見て、私はどきっとして紅磨くんにちょっと隠れる。
「この人は俺の彼女ー」
「ないわー、彼女連れてくるとか」
「だって、彼女いること言わないと、茉莉紗とどうこう言われそうじゃん」
「結局つきあった?」
「ねえよ。俺、中学のときからこの人が好きだったもん」
「え、タメ──ではないだろ」
 う、と胸にぐさっと刺さるものを感じていると、「年上の彼女なんて、お前にはレベル高すぎて理解できんだろ」と紅磨くんはにやにやしてみせた。するとその男の子は、「そう言われるといっそう悔しくなってくるわ」と腕組みをする。
 再び歩きはじめて、公民館の敷地内に着くあいだに「紅磨ー!」とか「木ノ村じゃん!」とか、たくさん声がかかった。紅磨くんはそれに笑顔で応えていて、確かに人気者そうだよなあ、なんて私は思う。
 話しかけてくる中には女の子もいて、そういう子はたいてい私に目を留めて、案の定茉莉紗さんのことを訊いてきた。「茉莉紗のことは茉莉紗に訊け」と紅磨くんは女の子のことはやっぱりわりと手早く追いはらってしまう。やっと人との会話が途切れると、紅磨くんは私の手を引っ張って花壇のふちに腰かけた。
 私は紅磨くんの正面に立って覗きこみ、「大丈夫?」と訊いてみる。紅磨くんは私の目を見て、小さく咲うと「みんな昔のテンションのまま話しかけてくるなー」と言った。
「紅磨くんもテンション高かったよ」
「頑張って合わせてんじゃん」
「そうなの?」
「俺は悠海さんとゆっくりするほうが好き」
 私は紅磨くんを見つめて、じわりと感じた幸せに、つないだ手をぎゅっとつかんだ。
「ちょっと怖くなった」
「え」
「紅磨くんは、やっぱり、同世代の子といるほうが自然なのかなって」
「え……」
「紅磨くんの気持ち、分かってるんだけどね。でも、こんなに若い子に囲まれると」
「……嫌だった?」
「ううん。ただ、紅磨くんも無理しないでね。周りに合わせてると、あとで疲れちゃうよ」
 紅磨くんは私をじっと見て、「ふたりきりだったらぎゅってするのに」とむくれた顔になる。私は咲って、「またいつでもふたりきりになれるよ」と紅磨くんの頭をぽんぽんとした。
 そうしていたとき、また「木ノ村くん?」という女の子の声がした。紅磨くんは首をかたむけて声の主を見て、「もしかして戸宮とみや?」と確認する。
「そうっ。わ、久しぶりだね!」
「だな。え、いつぶり?」
「中三ではクラス違ったし、中二かな? 元気だった?」
「元気元気」
 そんなやりとりをするふたりを見ていると、十時半からの式典に合わせて、十時になって公民館の扉が開くアナウンスが流れた。女の子は友達らしき同じく振り袖の女の子に呼ばれて、「じゃあっ」と紅磨くんに手を振ってそちらに行ってしまった。紅磨くんはそれに軽く手を振り返すと、「行きますか」と立ち上がる。
 もちろん式典にはついていけないので、「ここで待ってる」と私が言うと、「何かあったらかけていいから」と紅磨くんはスマホの音を消してバイブにした。
「終わったら、今日はごはんおごってあげるね」
「いいの?」
「お祝いだから。あ、でも同級生にカラオケとか誘われるかな」
「行かなくていいよ。どうせみんなの前で歌うとかやだし」
「そっか。じゃあ、式典行っておいで」
「ん。悠海さんもナンパとか気をつけて」
 若い子たちの中でそれはないよ、と思ったものの、口にはせずに紅磨くんを見送った。公民館の前はどんどん新成人の子たちであふれかえってきて、ざわめきが広がっていく。暴れ出すような子はいない様子でも、やっぱり二十歳の子がこんなにいるとパワーがある。

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