信じたいのに
「な、何してんの? ひとり?」
思わずどもりながら問うと、「悪かったな、ひとりで」と聖真は肩をすくめる。
「参考書揃ってる本屋は、このへんまで出ないとないだろ。これでも受験生な」
「そっ、か」
「そっち、友達?」
「うん、まあ」
「ふうん……友達と手つなぐ歳だっけ?」
気づいてんじゃねえか、と俺は舌打ちしたくなったものの、それは抑えて「聖真には関係ない」と身を返して真冬を引っ張ろうとした。が、「この人」と真冬が不安そうに俺を見上げてくるから、仕方なく紹介する。
「一個上の幼なじみだよ。最近、引っ越し先から帰ってきたんだ」
「……幼なじみ」
「っていうか、元彼でもあるかなー?」
聖真がくすくす笑いながらいらないことを言って、「そうなの?」と真冬が俺の手を握りしめてくる。俺がため息をついて、「ぜんぜん俺のほうは好きじゃなかったけど」と言うと、「そうなんだよねえ」と聖真はにっこりする。
「映乃はぜんぜん好きじゃない男とも寝れる男なんだよね。だから、君のことも分かんないね?」
「うるさいな、真冬は聖真とは違う」
「好きな人、死んだんじゃなかった? もうほかの男とデートできてんの」
「………っ、真冬、行こう」
何だかんだ言ってみても、口ではこいつに勝てない。だから俺がとっとと立ち去ろうとすると、真冬は立ち止まったまま聖真を睨む。「真冬」と名前を呼ぶと、真冬は急に俺から手を離し、聖真に向かっていくと強く突き飛ばした。
「嫉妬してんじゃねえよ、クズが」
「なっ……」
「映乃は俺のもんだ。俺が……死んでも、映乃は俺のものなんだ」
俺がぽかんとしていると、真冬は俺の腕をつかんでつかつかと歩き出した。俺はそれに引っ張られてついていく。「真冬」と呼んでも真冬は振り向かなかったけど、改札前まで来てやっと立ち止まってこちらを見た。
その泣きそうな表情を見て、やはり傷つけてしまったのを悟ると、「ごめん」と俺は言う。真冬はうつむいてから、「本当なのか」と俺の手をつかんでくる。
「えっ」
「好きじゃないのにつきあってたのか」
「………、よく分かってなかったから」
「俺のことも──」
「真冬は違う。ほんとに、好きになったから」
「………、」
「真冬のこと好きになって、あいつとの関係も間違いだって気づけたんだ。俺が初めて好きになったのは、真冬だよ」
「……でも、してたんだ」
「あいつが、俺の軆を使ってただけだよ」
「使う……」
「俺から求めたことはなかったし。心はこもってなかった」
「俺の、ことは」
「真冬は、かわいいと思ってた。大事に抱いてたつもりだし。今は、できないけど」
「……そっか」
「ほんとだよ。好きになったのは、真冬だけだから」
俺がそう言うと、真冬はやっとこくりとして、「誰かとつきあってたとか知らなかったから」と小さな声で言う。
「ちょっと、びっくりした」
「ごめん。俺も忘れたくて忘れてた」
「何か、嫌な奴だったし」
「もともとはそんな奴じゃなかった気がするけど、俺との関係に関しては何かな」
「ほんとに、あいつのこと好きじゃない?」
「うん」
「好きにならない?」
「うん」
「俺がいなくなっても──」
「真冬が好きだよ。あんな奴に乗り換えたりはしない」
真冬は安心を確かめるように息を吐いて、俺と指を絡めると「帰らなきゃな」と言った。「家まで送ろうか」と訊いてみると、真冬は首を振りかけたけど、俺を見上げて「送って」と言った。俺は微笑み、「うん」と真冬の頭を撫でてから改札へとうながした。真冬は改札を抜けると俺の腕にしがみついてきて、俺たちは一緒にホームへと階段を降りていった。
そうして真冬をマンションまで送ると、俺は夜道を歩いて駅に戻り、地元に帰ってきた。時刻は十九時をまわっていて、夕食に間に合うかな、と案じながら家に急ぐ。真っ暗になった十九時半頃に家に到着して、「ただいま」と声をかけると、「おかえりなさい」とかあさんが出迎えてくれた。「ごはんできてるわよ」と言われて「食べる」と返すと、「風邪が流行りはじめてきたから、手を洗ってきなさい」と洗面所をしめされる。俺は素直にそうして、上着を脱ぎながらおいしそうな匂いがしているダイニングに向かった。
そして、思わず顔が引き攣る。俺の席に聖真がいて、にこにことして手を振ってきたからだ。
「何で、聖真がいるんだよ」
「うーん、少し気になることがあって?」
「何だよ。つか、そこ座ってられると飯食えねえし」
「じゃあ、映乃の部屋行ってる」
「勝手に物触るなよ」
「了解」
聖真は俺の席を立ち上がり、飄々と脇をすりぬけてダイニングを出ていった。俺はそれを顰め面で見送り、ほっといてほしいなあ、と家の中は暖かいのに頭痛なんか覚えてしまう。
今日の夕食はビーフシチューのようで、かあさんが俺の席にもほかほかと匂いと湯気が立ちのぼる皿を置いた。俺が椅子に座ろうとすると、「聖ちゃんに聞いてたけど」と姉貴が俺を肘で突いてきた。
「デートしてるらしいじゃん」
「はっ?」
「ここんとこ、週末はいっつも出かけてるもんねえ」
何。まさか聖真の奴、俺が真冬といたところをしゃべったのか。血の気が引くのを感じたが、「映乃についに彼女かー」ととうさんがしみじみと言う。
「家にも連れてきていいんだぞ」
「……彼女」
「彼女といるとこ邪魔したから切れられた、って聖ちゃん言ってたよ。ほんっと心狭いな」
「彼女といるところは邪魔されたくないよなあ」
「そうよ、映奈。せっかくのデート中だったんだから」
俺は銀のスプーンを持ち上げ、相手が男なのは言ってないみたいだな、とこわごわ察する。なら、まあ──まだマシか。いや、でもこれから家に連れて来いとかうるさいのかな、と思うと息をついてしまった。
ビーフシチューの肉はほろほろで、相変わらず丁寧に作られた夕食を食べ終わると、俺は風呂は後まわしにして部屋に向かった。ドアを開けると、聖真は勉強づくえの椅子に腰かけて本をめくっていた。何か勝手に読まれているのかと思ったが、参考書のようだ。
買いにいったのは嘘じゃないんだな、と思いつつ「俺がデートしてたって言っただろ」と俺が不機嫌な開口をすると、「映奈たちがあんまり映乃を心配するから」と聖真は参考書を閉じる。
「デートの相手がいるくらいには、元気になってるよって言いたくて」
「………、で、気になることって何だよ」
聖真は参考書をつくえに置いて、俺をかえりみる。
「さっきの男、何者だ?」
「は?」
訊かれ方がよく分からなくてまじろぐと、「新しい恋人じゃないだろ」と聖真はこまねく。
「どういう、」
「『真冬』」
「え」
「それ、死んだ奴の名前らしいじゃん」
俺はどきんとして、視線を狼狽えさせる。
「で、弟っていうのはふたごの片割れなんだってな。俺がこんなこと訊いたから、映奈たちもお前が心配だって暗くなっちまったんだけど」
「何が、言いたいんだよ」
「お前、死んだ『真冬』っていう恋人のふたごの弟に、身代わり強要してるんじゃないよな」
「ふざけんなっ」
「じゃあ、ふたりで死んだ『真冬』ごっこでもしてる?」
「そんなこと、」
「でもあいつ言ったよなあ、死んでも映乃は俺のものだって」
「……それは、」
「まさかとは思うけど、あの弟、自分のこと死んだ片割れだと思いこんだりしてる?」
「思いこみじゃないっ、あれは──」
俺がそこまで言って口ごもると、聖真は椅子を立ち上がり、大股に近づいてきた。そして俺の腕をぐいっと引っ張り、その反動で俺をベッドに倒して乗りかかってくる。
「あれは、『真冬』なのか?」
俺は眉を顰めて、顔を背けた。聖真の長い髪がさらさらと頬に当たる。
「なあ、映乃。事情はよく分かんねえけど、あいつはやめとけよ」
「何……で、」
「『真冬』は死んだんだ。この世にいるはずないんだよ」
「分かってる、でも──」
「分かってないよ。あいつに『真冬』が憑依してるとでもいうのか? ありえないよ。おおよそ、弟がショックのあまり自分を『真冬』だと思いこんでるんだ」
「そんなの、」
「落ち着けよ。『真冬』がいなくなってつらいのは分かる。どれだけつらいかは分からなくても、好きな奴が死ぬなんてすげえショックだよ。でも、だからって妄想に迷いこむな。それくらいなら、俺が映乃のそばにいてやるから」
「妄想なんかじゃ」
「じゃあ、せめて『真冬』が死んだことを受け入れるんだ。今のお前はイカれてるよ」
俺は聖真を見た。聖真は真剣な瞳で俺を見つめていた。妄想? 思いこんでる? いや、あれは真冬だ。真冬が帰ってきてくれたのだ。深冬の心が傷ついて、軆を彷徨い出てしまったから、応急処置で真冬の魂が──
いや、そんなこと、ある……のか? 聖真の言うことのほうが正しい? あの真冬は無意識に深冬が演じているだけの真冬?
分からない。何だか、分からなくなってきた。もしや、イカれた深冬に、俺もイカれてしまっているだけなのか?
「俺は、いつでも映乃を待ってるから。ちゃんと現実が分かって、つらかったら俺のところに来い」
そう言って、聖真は軆を起こすと、つくえに置いた参考書を取って部屋を出ていった。俺はベッドに倒れたまま、茫然と天井を見つめていた。
何。何だよ。何でそんなこと言うんだ。俺を不安にさせるんじゃねえよ。真冬だ。あれは真冬だ。深冬が演じるにしたって、限界があるだろ。あれのどこが真冬じゃないっていうんだ。笑顔も、言葉も、キスも、些細なところまでちゃんと真冬なのに──なぜ俺は、こんなに搔き乱されて不安になってるんだ。
真冬に会いたい。しかし、あの真冬は本当に俺が愛した真冬なのか。分からない。怖い。まさか、俺はひとりで妄想の霧の中を迷っているだけなのか?
【第十二章へ】