指先に触れる君が-9

いつまでも

 俺は聖真を睨みつけ、「もう聖真とはやらねえから」と言い切る。聖真は俺を見て、「期待してたのになあ」と人を食った笑顔を見せる。
 中学一年生のときだった。その頃、俺は聖真に無邪気に懐いていて、聖真も俺とゲームの対戦をしたり、勉強を教えたり、弟分としてかわいがってくれていた。
 休みが続く夏休みの日中、この俺の部屋だった。とうさんは仕事、かあさんは買い物、姉貴は高校受験をひかえて塾に行っていた。聖真とふたりきりで、俺は夏休みの宿題に疲れてベッドに倒れこんだ。「ちゃんと片づけていかないと」と聖真は言ったけど、「もう分かんねー」とか甘えたことを言って俺は背を向けた。聖真はため息をついてベッドサイドに移ってくると、「少し気分転換させてやるよ」と言った。
 ゲームかと思った俺が、現金にぱっと顔を向けると、聖真は突然俺に覆いかぶさってスウェットの上からそれのかたちに手を添えてきた。え、と身を硬くすると、聖真の手が俺をしごく。下半身に芽生えた感覚にとまどい、「ちょっ、」と俺は聖真の腕をつかんだ。
「な……何やってんの、聖真──」
「映乃も、そろそろ興味あるだろ?」
「え……っ、いや、俺男だし、」
「男同士でもできるんだよ」
「何言ってんだよ聖真、ちょっと、やめ──」
 かすれる声を少し笑って、聖真はスウェットをずらして下着から俺の反応を帯びたものを取り出した。聖真は躊躇いなくそれを口に含み、襲ってきた濡れた快感に俺はびくんと軆を脈打たせた。
 熱い。柔らかい。吸いついてくる。すぐに聖真の口の中で俺は大きく腫れあがった。その安直な反応が恥ずかしくて、言葉も出せずに目を伏せていると、「映乃は痛くないから」と聖真が俺の腰にまたがった。
「えっ……な、何、何すんの」
「俺の中に映乃を入れる」
「はっ? 聖真も男じゃん」
「できるんだよ。中一じゃそこまで知識ないか」
 とまどっていると、俺のものがじゅうぶん硬くなったのを確かめ、聖真はゆっくり腰を落とした。その「中」が「どこ」なのかを悟ると、「待って、」と俺は焦って泣きそうになってくる。
「そんなとこ入るわけないよ。痛いだろ」
「初めてじゃないから」
「はあ……っ?」
「俺、女みたいにかわいいじゃん。先輩に目えつけられてさあ……っ」
「嫌じゃないのかよ、そんな──」
「映乃が相手だったら、って考えて、ずっと我慢してて」
「聖真……」
「だから、映乃として……先輩とか、忘れたい」
 聖真は俺を全部軆の中に受け止め、甘い吐息をついた。俺は聖真を拒絶しなくてはと理性では考えても、気持ちよくて声がまとまらない。聖真は俺を締めつけながら腰を動かしはじめ、それに合わせて俺は声をもらしてしまう。その声に聖真の喘ぎも重なり、何だか頭が快感でぐちゃぐちゃになってくる。
 やばい。気持ちいいとか、ダメなのに。どうしても血が下半身に集まってたぎってくる。聖真の体内にこすられて、敏感に反応してしまう。
「映乃、」
 俺の唇にキスをして、聖真が蕩けた表情でささやいてくる。
「中で……出していいから」
「で、でも……っ」
「綺麗にしてるから大丈夫」
「聖真、俺、……あ、っ」
「出して、映乃。俺に、出し──」
 聖真が言い終わる前に、俺ははちきれてその中に射精してしまった。聖真が声を出して震え、俺の軆にしがみついてくる。どくん、どくん、と鼓動が残って、息切れが部屋を巡る。先に動いたのは聖真で、膝立ちになって俺を引き抜くと後始末をした。それから自分も片づけて、隣に横たわってくる。
「ずっと、映乃が好きだったんだ」
 俺は聖真を見た。
「先輩に、されたからとかじゃなくて。ガキの頃から、映乃が好きだった」
「……俺、は」
「俺とつきあってよ」
「………、」
「セックスできたじゃん。映乃も男いけるんじゃないの」
「けど……俺は、聖真のこと好きなのか分からない」
「分かってるよ、それでもいいから」
「俺に好きな奴ができたらどうするんだよ」
「そのときはあきらめる」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「……約束だから、な」
 聖真は微笑み、俺に抱きついた。そして、俺と聖真はつきあいはじめた。俺は聖真が好きなのか分からないままだった。聖真が引っ越すことになっても、いなくなるのはつまらなかったけど、寂しいとは思わなかった。
 セフレに近かった俺たちに、メールの交換だけの関係は白々しかった。やがて高校生になった俺は真冬に出逢い、初めて人を好きだと思った。でも好きな人ができたとは言わず、『もうメールやめよう』とだけ聖真に送って、すぐにアドレスを変えた。
 聖真とは、それっきりだった。
「好きな人、死んだんだろ?」
 聖真はベッドサイドに腰を下ろして、壁にもたれる俺を眺めた。
「何なら、俺のところに帰ってきてもいいんだよ?」
「……そういう言い方すんな」
「俺はまだ、映乃のこと好きだし──」
「やめろっ。俺は聖真のことそういう意味では好きじゃない。昔は分かってなかったけど、今は、好きじゃない奴とするのは嫌だ」
「貞淑になったなあ」
 聖真は楽しそうにくすくす笑って、ベッドを立ち上がった。そして俺のそばに来ると、耳元でささやいた。
「でも、いくら男らしくなっても、かわいいところは変わんない」
 聖真の息遣いが耳にかかる。
「寂しくなったら、いつでも俺のとこおいで?」
 俺は聖真を睨みつけた。「怖ーい」と聖真は笑うと、「またな」と俺の肩をたたいて部屋を出ていった。
 俺は唇を噛んでうつむき、真冬に会いたい、と切実に思った。真冬を抱きしめたい。記憶が気持ち悪い。せっかく忘れていた、心をともなわない行為への嫌悪がぶり返してくる。真冬とキスしたい。「好きだよ」ってささやきあいたい。……深くまで、つながりたい。
 翌日、俺は早めに学校に向かった。真冬はたいてい俺より早く学校に来ている。その日もすでに教室にすがたがあり、俺を見て咲ってくれた顔を見ただけで泣きそうになった。
 仁奈子ちゃんがそばにいたけど、構わずに「ちょっと」と強引に真冬の手首をつかんで教室を出た。仁奈子ちゃんが背後で何か言っても、聞かない。「どうしたの」と真冬がまごついた声で聞いても答えない。
 朝の屋上には、人がいなくてさいわいだった。「映乃、」と言いかけた真冬を俺は抱きしめて、いらいらするほど吐きそうだった気分が安らぐのを祈った。
「映乃、何かあったの?」
「……気持ち悪くて」
「えっ」
「真冬が、そばにいないと不安で。怖いんだ。吐きそうなくらい怖い。どうしたらいいのか分からない」
「映乃……」
「真冬がいないと、俺はダメだよ。そばにいて。俺をひとりにしないで。真冬以外じゃダメなんだ。真冬がいなくなるなんて、そんなの、死んだほうがマシだ」
 真冬は俺の腕の中でしばらく動かなかったけど、ふと身動きして軆に隙間を作ると、俺の額に触れた。触れた指はひやりと冷たいけど、俺の体温に染まって温まっていく。
「俺、戻ってこないほうがよかった?」
「えっ」
「戻ってこないほうが、よっぽどあきらめられたかな」
「い……いや、それは、」
「ごめんね。俺は映乃に会いたくて。自分のことしか考えてなくて」
「俺もこうやって真冬と会えて嬉しいよ」
「ほんと?」
「うん。このまま、離れたくないくらい……会いにきてくれてよかった」
「そっか」
「真冬……もし、俺も死んだら?」
「え」
「俺も死んだら、真冬のところに行ける?」
「……分かんない」
「それなら、死ぬんだけどな」
「ただ、自殺したらその魂は消えるとは聞いた」
「え」と俺が目をしばたくと、真冬は静かに俺の頬に手をすべらせる。
「俺の魂は残って、映乃の魂は消えることになる」
「……あ、」
「だから、そんな……なら、俺、来ないほうがよかったね」
「いや、……違う、そうじゃなくて。それなら、死ぬとか言わないから。真冬をひとりにはしない」
「………、」
「ごめん。ひどいこと言った。死ぬなんて、真冬が一番つらいの知ってるのに」
 真冬は哀しそうにうつむき、俺はまどろっこしい感情をどう説明したらいいのか分からない。吐きそうに苦しいのに。頭が痛むほど考えるのに。言葉として答えが出ない。ただつらい。つらくて仕方ない。真冬が死んで、いつかこの奇跡も引き離されて、俺はひとりで生きていかなくてはならない。
 聖真のことを気持ち悪いと思った。それは、過去の心ない行為のせいだと思った。違う。そうじゃない。俺は自分が気持ち悪いのだ。ある日、死んだ真冬を忘れ、たとえ聖真じゃなくても、他の人を愛するかもしれない自分に、ひどい吐き気がする。真冬じゃない誰かを抱きしめるかもしれない自分が、気持ち悪い。
 聖真にそれを突きつけられ、そんな自分を認めたくなくて、全力で現実を否定して、……少し疲れた。
 俺は真冬を抱きしめなおした。真冬は黙って俺の背中に腕をまわした。
「真冬が、生きてたらとか、死んでなかったらとかじゃなくて」
「……うん」
「ただ、ずっとこうしてたい」
「………、そうだね」
「真冬のそばにいたい……」
 頬にひと筋、涙が伝っていく。真冬は背伸びして俺の頭を撫でてくれた。真冬の制服に、ぱたりとひと粒が落ちる。
「映乃」
「うん」
「大丈夫だよ」
「……真冬、」
「大丈夫だから。俺から映乃を離れることはないから」
 俺は目をつぶって、真冬の軆を腕に刻みこむ。真冬から俺を離れることはない。それが確信できることが、なぜこんなにも痛いのだろう。そんな幸せはないはずなのに、哀しくてたまらない。真冬から俺を離れることはない。俺から真冬を離れることはあるかもしれない。その歯車の掛け違いが、生と死が、むごたらしく俺たちを引き剥がす。
 俺も真冬を永遠に愛することができるだろうか?
 せめてそれを確かめることができれば、真冬の手を放す勇気が、咲って見送れる優しさが、持てるかもしれないのに。

第十章へ

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