野生の風色-12

イジメと虐待

 ひと通り始業式の放課後のいきさつを話すと、ココナツドーナツを食べる希摘は、痛快そうに笑った。
「笑いますか」とベッドサイドに腰かける僕はチュロスをかじり、「遥くん、いい味出してんじゃん」とパーカーにジーンズの希摘は、床で二年の教科書をめくる。
「遥は笑いごとじゃないよ。ぞっとしちゃったよ」
「そお?」
「あいつが状況にコメントするって、これまでなかったもん」
「コメント」
「嗤ってたし。鬱状態が切れたのかな」
「始業式のあと、遥くんは教室でどうなの?」
「むすっとしてる。席から動かないし、誰ともしゃべらない。早く帰りたいっておどおどしてるわけでもなくて、クラスからかけはなれてる。希摘みたい」
「俺は早く帰りたかったけどね。先公はどう?」
「怯えた目を向けてる。僕にも」
「君もきついもん」
「あれぐらい言いたくなったんだよ。かあさんも、あの先生には期待しないほうがよさそうって言ってたし」
「そうかあ。悠芽が切れるかあ。決まり、俺の今年度の目標は、その先公と顔を合わせないことだ」
 ひとり納得した希摘は、ドーナツにぱくつく。僕の手みやげだ。昨日も学校が休みだったので、駅前に行って、ドーナツショップで買ってきた。
 今日は日曜日で、場所は昼下がりの希摘の部屋だ。ベッドが少しくしゃくしゃで、つくえには色鉛筆が散らかっている。窓に映るのは晴天で、雨の心配はなく、僕は自転車でやってきた。
 今、希摘が手にする教科書などは、金曜日に担任が持ってきたそうだ。だから、僕が持ってくるものは何もなかったけれど、手荷物がなくても、もちろん希摘のところには来る。
「僕、あの先生嫌いだな。言葉遣いとか小学生相手みたい。自分のこと『先生』って言ってたし」
「自称が先生の先公はやだね。かといって、『俺』でも青春ドラマみたいで嫌。何がいいって、しょせん生徒は、先公のやることなすことすべてが気に入らないのよ」
 シナモンが甘く香るチュロスを食べながら、僕は親友の意見に笑う。
「話聞いてても嫌な感じだな。遥くんのひと言、けっこう爽快だったんじゃない?」
「そうかなあ。希摘が言ったら爽快だった。遥はやっぱ、しゃべった驚きが強くて」
「赤子か。俺は遥くんに実感ないしなあ」
「希摘と遥は仲良くなれるかも。何となく」
「そうかあ? 俺のほうが、話せるか分かんない。君とは普通に話してても、俺、他人とはわりと問題ありよ」
「そうだっけ」
「そうなんですねえ。悠芽と話してると普通なんで、俺もびっくりする」
 希摘は理科の教科書を乱暴に放り、国語の教科書をめくる。美術の教科書は、もらったその日に破り捨てたらしい。変に影響されるのが嫌なのだそうだ。
「教科書使う?」
「目障りだし、部屋の外に置いとく」
「そっか。学校も来ないよね」
「何をいまさら」
「あの先生が、僕に希摘のこと訊いたのって、僕を使って希摘を学校に来させようとしたからっぽいし」
「そうなのか」
「希摘がいなきゃ寂しいんじゃないかとか言ってた。そりゃ、希摘がいたら楽しいけど、僕は希摘が学校が嫌なの分かってるし、私情を強要したくないと思う。で、希摘は学校来ないと思いますよって言ったら」
「ぎくっとしたんだっけ。あらら、自爆」
「あの先生、しばらくうるさいと思うよ。何かにつけて、学校に来るチャンスだったとか言いそう」
「やだなあ。俺が学校に行きたいとか決めつけてんだもんなあ。そこまではっきり、俺が学校に行きたいとか言い切れるのすごい」
 希摘はドーナツを口に投げこみ、「次はどれかなあ」とはずんだ声で、僕の足元にある箱を覗きこむ。四十センチはある僕のチュロスは、そうまたたく間にはなくならない。
「イジメと友情はごっちゃにできないってのには、よく分かんない顔してたよ」
「それは君もしましたね」
「しました。いきなりそう言われたら、わけ分かんないよ」
「意味説明した?」
「してない。友情浅いと思われたかも」
「明らかに思われたと思うよ。俺もその結論に達したとき、自分で衝撃受けたもんなあ」
 ──小学校のときの話だ。希摘へのイジメに何もできず、親友を登校拒否に追いこんだことに、僕はうじうじした時期があった。そのとき希摘は、「学校行きたくないんで都合よかった」という明快な言葉と、「イジメに友情は通用しないから」という謎な言葉で僕を励ました。ぽかんした当時の僕に、希摘は平べったく言い直した。
「イジメられてる奴を友情かぶってかばうだけ、イジメはただ人に感染して拡大するんだよ。虚しくてもね」
 そう、イジメからかばったら、かばった人間もイジメられるだけなのだ。もし身代わりになった場合でも、今度はそれで助かった人が、友人のために究極の選択を迫られる。かばってもう一度イジメられるか、友情を捨てて逃げ出すか。
「こんなむごい意見は、実際イジメられたから言えるんだけどね」と希摘はそのとき咲っていたっけ。
「僕が希摘にできるのは、希摘が自分で問題を改善させたあと、そばにいることなんだよね」
「そうそう。それって、かばって助けるより友情だと思う。そばにいる持久力って、友達じゃなきゃできない。イジメの真骨頂って、実際されてるときより、ずっと残る記憶だろうし。それにつきあうのは、勇気以上に根気がいるのです。だから、君はすごいぞ」
 ショコラドーナツを選んだ希摘に脚をはたかれ、僕はおもはゆさにどんな顔をすればいいのか咲ってしまう。
「僕、希摘に何かできてるかな。ここ来て、いろいろ愚痴ってるだけのような」
「いつもたわいない話してくれるじゃん。イジメられっこって、もっとこう、あるよな。殴られなかったせいか? 物的には何もされなかったんだよな。教科書を墨で塗られるとかもなかった。ただ嫌われて、外されてただけで──やっぱイジメじゃないよなあ。イジメというと、殴って蹴ってつるしあげ?」
「精神的なものだったわけでしょ」と僕は紅茶を飲む。これは希摘の家で淹れてもらったものだ。
「精神的って、肉体的より深いよ。見た目がないんで、気づいてくれる人も、イジメだって認める人も少ない。希摘は登校を拒否するって道を自分で進んだから、引きこもってても強いんだよ」
「そうかなあ。そのへんはよく分からん」
 希摘はショコラドーナツに咬みつき、あふれたクリームに焦る。僕は紅茶で口の中のシナモンを一度流し、再度チュロスに挑む。「虐待もそうなのかな」と僕がつぶやくと、「ん」とティッシュで口元をぬぐう希摘は僕を見た。
「虐待?」
「うん。虐待も他人は何もできないのかな」
「むしろ反対じゃない? 本来味方になるのが、どうこうやってくるわけだし。外部が手をさしのべるしか、救いようがないよ」
 希摘はティッシュをゴミ箱に投げる。
「虐待は内情だからね、守ろうとしたら踏みこむことになる。かばうなら、根気もってそばにいる覚悟も同時にできてると思う」
「なるほど。後遺症が長びくのは同じだよね」
「だね。俺は社会とかに不信感があるけど、虐待は家庭とかに不信感が出るのかな。大人とか。俺は親が良かったんで、大人に嫌悪はない。むしろ同世代に嫌悪。友達は悠芽がいても、人間関係は腐り落ちました」
「希摘は気持ちを開けた人とはきちんとつきあえるよ」
「そっかなー。だったら、悠芽のおかげだね。悠芽が俺に心開くのを教えといてくれたんで」
 褒め言葉に僕が照れ咲いをすると、希摘も同じように咲う。それから真顔になって、「虐待って遥くんだよな」と希摘は確かめてくる。僕はうなずき、「むずかしいね」と息をつく。
「突然ぜんぜん知らない家庭に連れてきたのは、正しくなかったのかな」
「友達とか恋愛から、人との交流を知ったほうがよかったかもなー。遥くんにとって、家庭を受け入れるのはラスボスみたいなもんだと思うし。ゲームを比喩にするのは不謹慎かもですが」
「いや、そうだと思う。レベル一でボスと戦っても、とまどいもできずに死んじゃうよね」
「学校も楽しくなさそうなんだろ。悠芽の言う通り、遥くん、やばいかもな。けっこう、追いつめられてるかもしれない」
 僕は空中に瞳を置き、教室でいらだっていた遥を想う。なじめない家庭と、なじめない教室にはさまれ、遥がどこに行ってしまうかしれないのは確かだ。その場に居場所がなければ、誰だってそこは退場して、ほかに居場所を探しにいく。
「学校で友達できればいいのにな」
「うん」
「都合いいかな」
「……だね」
「学校はあんまり期待できないよなー。いや、俺と悠芽は学校で逢ったのか」
「僕たち、学校での友達って感じしないよ。希摘が学校行かなくなっても変わんないし」
「うむ。ま、今は見守ることじゃない? 厚意だとしても、無理に立ち入るのは暴力が心理的になっただけで、元の家庭と一緒かもしれないしね。片想いでも、家族として見守っとけば」
 僕はうやむやにうなずき、チュロスを胃におさめる。
 家族として片想い。何か不毛だなあ、と思っても、そういう想いが遥を家庭に居心地悪くさせているのだろうか。
 僕と遥のつきあいの一歩は、僕が遥を好きになることなのかもしれない。けれど、野性の目やトゲのある言葉を思い返すと、陰気な吐息が出る。だから、せっかくいろいろアドバイスをくれた親友には、苦笑を返してしまった。

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