野生の風色-40

堕ちる前に

「おじさんたちには話したのか」
「言ってない。煙草とかは知られた。かあさんが呼び出されたりしてんだよね」
「薬も時間の問題ですかね」
「かなあ。とうさんたちが知れば、即行で医者だね」
「医者でどうかなるなら、悠芽たち必要ないって感じー」
 僕は少し笑ったあと、「でも、薬はほんとに考慮外だよ」と真顔に戻る。
「絶望的になるまで、遥を知ってみるべきだって、こないだ話したよね。あれも、薬にびっくりしてそのままになってる。虐待だって僕には分かんなくても、それは、分かんなくて当然なのかも。薬は、どっちかというと、分かりたくないって感じ」
「遥くんが好きでやってるかどうかによるだろ」
「まあね。あいつ、嫌なら嫌って言いそうだけど──自分の中の何かに引きずりこまれる、みたいのはあるかな。それなら分かるよ。遥の意思で、好きでやってるなら、分かんない」
「どっちと思う? 好きか、引きずりか」
「さあ。どっちにしろ、やめたほうがいいとは思う。学校とかみたいな意味じゃなくて、あいつ、薬なんてしたら、それに振りまわされるに決まってるもん。自分の精神すらあつかえてないんだよ。あつかえないんで、やるんだろうけど」
「ふむ」と希摘は一度クローゼットを向き、「想ってますね」と振り返るのと同時ににやりとする。僕は少し臆して頬を染め、「偽善かな」と立て膝を腕にかかえる。
「僕と遥って、ほっときあって当然の他人に近いんだよね」
「俺は、悠芽は遥くんを想ってると思うよ。遥くんが受け取ってないだけで。悠芽の遥くんへの対応って、ときどき同情でできるもんじゃないのがあるもん。きつい言葉に遠慮しないとか、首絞められたのだって。殺されかけて、私情混ぜずに相手の精神を尊重するって、なかなかできませんよ」
「そ、かなあ。あのときは、遥の精神がバランス崩してるの明らかだったし」
「精神障害の無罪判決みたいなもんか。悠芽の普通は、きちんとした普通なんだよな。遥くんの角度が急激でも、ちゃんと、その通りに反射して遥くんのための態度をやる。面倒な角度をされて反射を曲げるなら、それこそ欺瞞よ」
「遥は僕を嫌ってるよ」
「傷に濁った目で先入観してんだろ」
「そうなのかなあ……」
「そこまで振りまわす傷なら、ドラッグがほんとの薬になっちまうって部分もあるかもな。いい薬じゃないよ。だけど、それしか痛みを紛らわせてくれない」
「……うん」
「薬に関して言えば、できれば止めるべきだよ。ドラッグにはまれば、癒せるものも癒せなくなったりする。俺は冷たいんで、好きでしてんならさせとけとか思いますが。ドラッグだろうと、本人の行動は本人の責任。つっても、悠芽がそれは違うかもって思うなら、俺の感覚に従うことないよ」
「遥に関して、自分の感覚なんか信じられないよ。僕が何かするほど、あいつ怒って、変になるんだもん」
「といって、俺の感覚でやったら、悠芽は遥くんに対して嘘つきになるんだぞ」
 僕のジト目と、希摘のやや厳しい目は、空で交差する。希摘が正しいのは明白で、僕がため息で折れた。「自分のこと知ってみたら」と希摘は瞳と一緒に口調もやわらげる。
「自分?」
「遥くんを知るのもいいけど、悠芽が遥くんをどう見てるかってのはもっと知っとかないと。それって、指針だよ。それひとつで、命かけてよくなったり、間接的に殺したくなったりする」
「……分かんないよ、もう。遥についてぐちゃぐちゃになってる」
「じゃ、一回、何も考えずに接してみたら?」
「え」
「頭空っぽってのは、場合によっちゃ一番賢いよ。悠芽は相手に反射できる力はあるんだ。何も考えないほうが、それがはっきりして自分がどうしたいか分かるかも。ほら、切れて頭真っ白になったときの言葉が本音、とか言うじゃん」
 何も考えず接する。ヤケにも見えても、それは斬新な名案だ。
 確かに、僕は相手によって微妙に感触を変える。そして、考えれば、遥に対して自分がどんな感触をかたちづくるかは知らない。何も考えず、無意識になったとき自分が遥にどう出るか──それを知れば、新しい視点も見つかるだろうか。
 何にせよ、遥が危険な地点に至りはじめているのは事実だ。慎重にはならないと、遥をさらに追いつめてしまう。
 考えようと思えば、注射の痕なんてさまざまなものにこじつけられるのに、僕は遥は薬をしていると思っている。遥には薬に手を出す可能性があると思うからだ。
「希摘の言う通りだね」
「え」
「遥は居場所がないって」
「……んなの、言ったっけ」
「言ったよ。前、遥に自分を作らせるより、作れるような環境に置くべきだって。遥はまともな世界に居場所があると思えなくて、落ちようとしてんのかな。で、落ちる勇気──というか、無鉄砲を薬にもらってる」
「……うん」
「やっぱ、僕たちのせいもあるんだよね。遥が僕たちを受け止めようとしなかったのもあるけど、僕たちだって遥を圧倒しすぎたんだ」
 希摘はあきれたように負けた瞳で僕を見つめ、「優しいのね」と言った。僕は身を起こして親友の腕をはたき、壁にもたれなおす。
「ま、後悔しかないほど、ひとりで背負いこむ失敗でもないかな。もつれあった中のひとつだよね」
「うん」
「へへ、ありがと。楽になった。むずかしいって避けててもしょうがないね。向き合うかほっとくか、その判断はしないと」
「空っぽでね」
 僕は希摘と笑みを絡めてうなずき、「そういえばね」と実は持ってきた例の新品のゲームをリュックから引っ張り出した。受け取った希摘は、「CMで観た」と説明書を抜き出す。遥のことはじゅうぶん聞いてもらったし、くだらない話の気晴らしをしてもいい頃だ。
「悠芽に借りたの終わりそうだよ」
「僕、これ買ったんで、希摘に借りたの止まりそう」
「いいよ、貸しとく」
「何か持ってくる?」
「つーか、俺も何か買おうかなー」
「夏休みなら一緒に行ってもいいよ」と言うと、物語を読んでいた希摘はいったん顔を上げても、「夏休みだよな」と整った眉に不安と嫌悪を綯い混ぜにする。
「同世代が、うようよしてない?」
「あ、そっか。してるね。ごめん」
「いや。みんなが学校にいるあいだに行かないと」
「あ、七月の始めはやめといたほうがいいよ。期末で終業早くて、みんな午後には遊びに出るし。僕も試験週間なんだよね」
「えー、こないだ中間じゃなかった?」
「ほんとだよ。家帰ったら、今んとこ、遥より勉強でもある」
「いそがしいですねえ」
「ねえ。夏休みにはゆっくりできるかな」
「俺んとこは、いつでも来ていいよ」
「また泊まったりするかな。いい?」
「もちろん」と希摘は笑んで、キャラクター紹介にページを飛ばす。
 希摘が僕の家に来るのは滅多に、というか今やぜんぜんないけれど、僕は希摘の家に泊まったりする。普通の日でも泊まるのだから、夏休みや冬休みは、二、三回泊まって、夜更けまで学校でやりあえない雑談をする。
 もし遥と絶望的になったらここにお世話になりそうだな、と冷気に癒された肌を感じていると、希摘に呼ばれて僕たちはキャラクターの容姿や能力を語り合った。
 飄々とした親友に助言をもらって、僕はやっと遥の薬物使用について冷静になってきた。仮にあの傷が薬を打ったものでなかったとしても、遥がそういうものに手を出す可能性は大きい。考えておいて、杞憂に没する話ではない。
 やっぱり遥に触れてみよう。せっかくそううなずけたというのに、僕はまたも、遥に傷んだ心の重みを振りかざされ、決意を粉々のとまどいに変えてしまうのだけど。

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