野生の風色-6

一番の親友【2】

「そんな過去があるって意識はしてないよ。意識するには、しゃべらないんであんまり実感がない。どんな奴なのかも分かんない。もろに心閉ざしてて、一緒にいるとストレス溜まる。むずかしいよ」
「そういう奴って、当たり障りなくがよさそうで、それが一番通用しないんだよな。そういう手軽なつきあいができないんで、そいつもこもるんだろうし」
 そうだよな、と納得する。正確にはこの状態は、僕が遥と接することができないのでなく、遥が僕と接することができないというのかもしれない。
「そいつ、暗い?」
「暗いというか、取っつきにくい。無表情だし、口きいても皮肉だし」
「防御か攻撃なのですね。単純っちゃ単純か。仲良しにはなれそう?」
「なれません。向こう、僕のこと嫌ってんじゃないかな。何となくそんな感じ」
「同い年の他人って、何か微妙だもんなー。悠芽のおじさんたちも変わってんね。普通、気にして引き合わせないんじゃないかな」
「うん」と僕は足元に転がるCDロムを見つめる。ちなみに僕は、希摘には遥の細かい事情を話している。吹聴というより、知っておいてもらい、相談相手になってほしかったのだ。
「どうつきあったらいいのか分かんない。普通の接し方じゃ応えてくれないんだ。でも、実感ないぐらいあいつの過去は僕には漠然としてんのに、どんなふうに接したらいいかなんて測れなくて」
「詳しく知ったら、接し方も見つかると思う?」
「さあ。理解で大らかにはなれるんじゃないかな。咲いかけて咲い返されなくても、あんなので咲えなくなってるんだって許せる。何にも分かんないままそっぽされたら、やっぱムカつくよ」
「虐待されてたっていう事実じゃ、ダメなのか」
「僕、虐待とかされたことないもん。それがどんなにひどくて、心に刺さってくるかなんて分かんない。分かるって言うほうが、ほんとにされた人の気に障ると思う。分かんないのに、とりあえず可哀想だって態度はできないよ」
「ふんふん」と希摘は満足そうに首肯し、「いいんじゃない」と僕にそのまま笑みを作った。
「それだけ思ってるなら。同情とか偽善に突っ走って、とにかく優しくするよりずっといいよ。そうやって噛み砕くほうが、そういう心に接するのには向いてると思う」
「そうかな」
「いきなり仲良くならなくてもいいじゃん。ていうか、すぐに打ち解けられなくて当然なんだ。さっさと仲良くなったほうが、上っ面で足早いよ」
 僕は希摘と見合って、「うん」と微笑んだ。希摘も咲い、「そこまで考えられるってすごいよ」と言う。
「おじさんたちも、悠芽のそのへんを分かって、いとこくんを引き取ったのかもな」
「考えてるだけだよ。答えを見つけて実行はしてない。理屈ばっかり」
「考えなしの偽善者よりいいよ。悠芽がそこまで考えてるのが伝わったら、いとこくんの反応も変わってくるかも」
「そうかなあ。知ったかぶりとか言われそう」
「そういうひねくれが続くなら、仲良くなるの放棄してもいいと思うよ。反りが合わなかったら合わなかったで、それも運命。どうやっても仲良くなろうって躍起になるほうが、見境なくてやばいよ」
 僕は希摘を見る。「何?」と無垢なまばたきで首をかたむけられ、かぶりを振って正面にあるクローゼットを見やる。
 希摘らしい意見だ。非常識にまでに客観的。仲良くならなくてもいい。視点が鋭くて見切りが早い。
「仕方がない関係ってのもあるよ。和解しようとするだけ、逆にこじれる」
「親が分かってくれるかな」
「分かってくれなくても、やなもんはやだでいいんだよ。義理の演技でにこにこしてたら、あとで切れるの自分じゃん」
「でも一緒に暮らしてるんだし、できればぎくしゃくしないほうが」
「ま、そうだな。分かんないじゃん。仲良くなれるかもしれない。今んとこ様子見ておけば? うまくいかないのは悠芽のせいじゃないよ。いとこくんが悪いんでもなくても、彼次第なんじゃないかな」
 僕は考えて、こくんとした。僕も遥にうまくは接せられていなくても、僕を受容するか拒絶するかは、遥が決める領分だ。受容させる、なんて侵害は最もやってはいけない。
「えらそうにしました」とふと照れる希摘に僕は首を振り、「相談できるの心強いよ」と礼を述べる。
「本来なら、虐待とか勝手に漏らせなくて、ひとりで悩まなきゃいけないんだよね。僕には希摘がいる。貴重だよ」
「へへ。ま、そうだよな。ほんとなら、重い過去がある人間とつきあうのって、こっちこそ孤独感におちいる。相手は自分をはけ口にできても、自分は預けられた相手の過去の重さを外に愚痴れないし」
「ほんとに重すぎること知って、さすがに言えなかったらごめんね」
「いいよ。そこは悠芽といとこくんの領域だし。俺は、俺と悠芽の領域で仲良くしてもらえれば」
 僕がうなずくと、希摘は照れ咲って、「ゲームでもしましょうか」とベッドを降りた。湿っぽい音がすると思ったら、いつのまにか雨が降り出している。「降り出した」と僕が言って、テレビとハードの電源を入れる希摘も雨音に気づいた。
「一週間はこうかな」
「降らないと思った。傘持ってくるの忘れたなあ」
「俺の貸すよ」
「いいの?」
「いいよ。どうせ外なんか出ないし。それより、何か新しいゲーム買った?」
「まだ今の終わってないし。昨日、最後の島に行ける港がある町に着いた」
「終わったら貸してよ」
「うん。今度来るときには、終わってると思う」
「今度はもう四月か」
「新学期も始まってるかな。春休みにも来るかもしれない。いい?」
「もちろん」と希摘は僕の足元にあぐらをかき、コントローラーを持つ。
「そういや、俺と悠芽って二年も同じクラスなんだって」
「え、何で知ってんの」
「こないだ担任がうちに来てさ。諸事情を考慮して特別にって。俺は部屋に隠れてて、かあさんが聞いたんだけど」
「そういうの有りなんだ」
「みたいね。ごめんな、せっかく同じクラスで学校行けなくて」
 希摘は僕を仰いで、何となく弱く笑むと、操作でオープニングを飛ばす。
 希摘は、登校拒否を自分の精神には間違っていないとあっけらかんとしている。ただ、僕を教室に放置していることには多少の罪悪感があるようだ。しかし、希摘が学校と絶望的に反りが合わないのは、実際教室を浮いていた希摘を見たこともあって、僕は理解している。あえてイジメなんか受けてまでも逃げ出すのだから、希摘の学校アレルギーは本物だ。
 勘違いされているけど、希摘はイジメられたので学校を嫌っているのではない。本人はそう主張している。イジメられたとは思ってない、とも言っていた。自分でそうなるよう仕向けたのだから、厳密な被害者は、罠にはまって自分をイジメて加害者と白眼視されるようになったクラスメイトだろうと。
 希摘は学校に行かない上、できる限り家に引きこもっている。希摘曰く、鉢合わせて気まずい相手がいるわけでなく、外出のヒマがあったら絵を描いていたいだけだそうだが。
「希摘」
「んー」
「何か絵、できた?」
「今はデッサン」
「今度どんな絵」
「蛇の絵」
「……蛇」
「できたら見せるよ」と希摘はデータを引き出して街に出て、装備や状態を確認すると地図に出る。「今どこ?」と僕は上体をかがめて画面を覗き、「ここ」と希摘は西の洞窟を指さす。一行がそこに入って探検を開始すると、僕は身を起こして、スケッチブックや鉛筆が散らかる希摘のつくえを向く。
 部屋にこもって、希摘が日々何をしているのかといえば、ひたすら絵を描いている。昔は趣味の落書きだったが、登校拒否で時間を持てあまして本格的になったらしい。鉛筆やコンテで書いて、白黒でとってあるものもあれば、絵の具やクレヨン、色鉛筆で色彩を添えられたものもある。今のところ、希摘はプロ用の高い画材は使っていない。
 希摘の絵は、奇妙なものが多い。対象を写真を撮るように模写するのでなく、心象を元にした不思議な絵だ。背後の壁にうなだれた影を映す笑うピエロだとか、赤い雫をこぼす瞳だとか、一色で塗られて濃淡のみで浮かびあがった女の子の後ろすがただとか──
 僕の中で一番衝撃的だったのは、腹を裂かれて綿をくりぬかれた白猫のぬいぐるみが、鉛筆で喉をはりつけにされた絵だ。「何でこんなの描いたの?」と訊いたら、「からっぽを抜け出せない感じ」と返ってきた。
「愚痴りたくなったら、いつでも来なよ」
 日は長くなってきたとはいえ、雨ですでに薄暗い五時過ぎに、僕はしぶしぶ腰をあげた。ちょうど雨がひと息ついて、小降りになっている。玄関まで見送って傘を貸してくれた希摘は、スニーカーに足をさしこむ僕に言う。
「いとこくんとか、学校とか」
「うん」
「俺はいつもここにいるし。悠芽が来てくれると嬉しいよ」
 上着を着てリュックを背負った僕は微笑み、「希摘もね」と傘の紐のマジックテープをはがす。
「何かあったら、電話とかしていいんだよ」
「うん」
「いとこには、ゆとり持つようにしてみる。いらついて焦りだしたら、希摘になだめにもらいにくるよ」
「はは。待ってます。ま、悠芽が思うように接したらいいよ。それで通じなかったら、縁がなかったんだ」
 僕はこっくりとして、「じゃあ、またね」とドアノブを下ろした。湿った冷たい空気が隙間に忍びこむ。
 希摘は笑みで僕を見送る。僕は水色に魚が泳ぐ傘を開くと、希摘の家をあとにした。

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