野生の風色-74

野生の風へ

 ぐずついた天気の翌日も僕は学校を休んだが、午後、ひとつの思惑を連れて学校に行った。
 ちょうど昼休みどきで、桐越たちを騒がしい廊下に呼んだ。廊下を行き交う生徒たちは冬服に染まり、やってきた三人も冬服だ。僕も制服ながら、手ぶらだった。「何してんの」と三人は怪訝そうに似たような顔をする。
「君、高熱で寝こんでんじゃなかったのか」
「それ嘘」
「嘘」
「授業には出ないで帰るよ」
「いつからそんな不良になったの」と成海が眉を寄せ、「事情があるんだよ」と僕は答え、廊下の人混みに僕の顔を知る教師が混ざっていないか気にする。
「月城んとこで、登校拒否に染まったんじゃないだろうな」
 疑ってくる桐越の切れ長の目に、「違います」と否定もする。
「もう希摘んちは出た。実は、遥がいなくなってあいつを探してるんだよ」
「また?」
「そう、また」
「またグレたの?」
「ごたごたで飛び出しちゃって。警察とかには頼ってないんだ」
「何で?」
「僕が見つけたいから」
「やっぱ熱あるだろ」
「ありません」と僕は額に触れてきた桐越の手をはらい、「あのね」と僕と桐越のやりとりに笑う日暮を向く。
「それで、日暮にお願いがあるんだ」
「お、俺? 俺はあいつのことなんて何にも知らないぜ」
「分かってるよ。バンド、やってんだよね」
「ん? まあな」
「夜の街とか歩いたことある?」
「そりゃあ何度も」
「じゃあお願い、そのへんを僕に案内してほしいんだ」
「案内」と日暮はこまねき、うなずく僕を桐越と成海も見る。
「遥はグレたとき、そのへんもぶらついたと思う。家出じゃなくて非行に戻ったのもありうる。でも、僕そういうとこ分かんないし、因縁つけられたりするだけの気がするんだよね」
「んー、そんな怖いもんでもないけどなあ」
「今日か明日か、一日だけでもいい。ごちゃごちゃした危ないとこも行くでしょ?」
「俺たちの音は、そういう地域にフライヤーばらまくほうが効果あるしな」
「お願い。今度ライヴ行くから」
「………、何でそこまでして見つけたいの」
「家族だもん」
 日暮もほかのふたりも鼻白み、僕も勢いに乗った自分の台詞にばつが悪くなった。
 家族。そういう言葉は、希摘や両親の前では当たり前でも、一般的な同年代の前では胡散臭い骨頂だ。が、「俺たちのチケットは競争率高いよ」と日暮はにやっとして、僕は彼を見つめてほっと微笑んだ。
 そんなわけで、その夜は日暮の引率でイルミネーションの街に出た。はっきりいって生まれて初めてで、両親はなかなか承諾しなかった。せめてつきそわせろと言われたけれど、「大人がいたら逆に行動しづらいんだ」と日暮に受けていた注意を繰り返す。かくて、心配そうな両親に見送られ、僕は待ち合わせのバス停で私服が見慣れない日暮と落ち合った。
「メンバーに話したら、みんなおもしろがってさ。一緒につきあってくれるって」
「メンバー」
「大学生と高校生ふたり。全員男で、けっこう凄みあります」
「大人の人とやってるんだ」
「ま、ね。その大学生の奴の女が、俺の姉貴なんだ」
「はあ。何か世界違う。女、とか」
「ま、ビビらず粋がらずにいたら平気だよ」
 僕はうなずき、やってきたバスに乗りこんだ。終点の駅前にいた日暮のバンドメンバーは、「お前、こんなんとつきあってんの」と僕の箱入りっぽさにげらげら笑った。「おとなしそうできついことも言うんだぞ」と日暮は三人に対等の口調で僕をかばう。
 まあ、髪を染めたりピアスをしたりの三人も、僕に嫌悪があるわけではなさそうだ。「じゃあ参りましょうか」と親しく呼びかけて、僕はネオンと喧騒が入り乱れる街並みに出た。
 夜の街というのは、予想以上に人がぐちゃぐちゃで見通しが悪かった。降りそそぐきらびやかな電燈に、明るさには事欠かなくても、年末の買い物みたいに人間があふれている。上着や恋人で防寒し、笑い声や話し声が錯乱し、人いきれが暑い。いくらネオンがまばゆくも、路地裏なんかはぱっと見では奥を確認できない。香水や、食べ物や、汗のにおいがくらくらした。
「模索じゃキリがないよ」と大学生の人は顔見知りの店を梯子し、店員や客に遥の特徴を僕に言わせまくった。「これで勝手に情報が来る」と言われ、尾鰭つくんじゃないかな、と思ってもそのほかにどうすればいいのか分からないので、そうさせてもらった。
「もしここにいとこくんがいて、天ケ瀬が自分を探してるってうわさが耳に入って、逆に隠れたり消えたとかいううわさが流れ出したら、もう捜さないほうがいいよ」
 ひと息ついたファーストフードで、日暮は学校で見るより大人びて鋭い表情で言った。外を歩きまわってこわばっていた体温が、暖房にほどけていく。親連れてこなくてよかった、と切実に安堵するほど、周りのざわめきは若い人ばかりだ。
「そしたら、あいつは天ケ瀬の家に帰りたくないってことなんだ。それを無理に帰すのは家族じゃないよ。家族だからって理由で縛られるの、一番ムカつくだろ」
 僕は日暮を見つめ、「うん」と甘ったるい香りのホットカフェオレを飲んだ。日暮はレタスがはみでたハンバーガーに食らいつく。僕たちはカウンターにいて、ほかの三人は窓辺のテーブルでやりあっている。「混じらなくていいの?」と気にすると、「俺が欠けてるときは、R指定な話するんだ」と日暮は肩をすくめた。
 無論、その日そこで遥が見つかったりはしなかった。が、だいぶ根は張り巡らせた。あとは情報がかかるのを待てばいい。日暮と三人は明け方までつきあってくれた。僕は眠気を殺してお礼を言い、「見つかるといいね」と励まされる。僕は笑んでその言葉を素直に受け取り、始発で帰宅すると、昼まで部屋でどろどろに寝た。
 のっそり起き出して昼下がりに朝食を取り、シャワーを浴びようと着替えを探した僕は、希摘の家に着替えもろもろを放りっぱなしなのを思い出した。おまけに、あんな半端なかたちで出てきたまんまだ。ちゃんとお礼言わなきゃ、とシャワーを浴びて身なりを整えた僕は、前置きの電話を入れて、かあさんの運転で月城家に向かった。
 その日とうさんは出勤していたが、家を留守にしても、遥がみずから帰ってくるのはもうありえそうにないと判断した。今日は風は強くも晴れていて、雲も白くちぎれている。筋肉痛や頭痛に虚脱する助手席の僕は、純粋に希摘に会いたかった。
 窓の向こうに流れる家並みに、僕は自分で見ても不安になる陰った瞳をそそぐ。遥はどこに行ってしまったのだろう。見当もなく、臆測も立たず、来週になれば、やはり警察に届けると親にも言い渡された。自殺されたら元も子もないので、さすがに僕もうなずいた。
 のんびりしていられないのは事実だ。自殺される前に、僕は遥と話がしたかった。医者が介入してきた場合、あの連中が許すか分からないが。もしくは、遥はすでにどこかで息を引き取っているのだろうか。
 ぞっと細胞が萎縮する。遥の死には、実感はなくても、信憑性はある。金を持って出ていったのだし、多少なりとも生き伸びる覚悟で出ていったと思いたいが──
 初めはそうでも、ふらついているうちに死にそれる恐れも高い。何せ、遥の蒸発が消滅に突き抜けるのは、僕の悲観的な杞憂ではないのだ。遥が死ねば、今度は僕が心に生涯引きずる傷を負う。
 だが、今、僕が遥を捜しているのは、保身ではなく後悔だ。遥に謝りたかった。自分の何が悪かったのか分かったから、いつかのようにあやふやなままでなく、自覚しながら謝りたい。遥に死んでほしくなかった。僕の謝罪を聞き、こちらに戻ってきてほしい。あの血まみれの中で言った通り、遥には死ぬ義務なんてない。
 月城家では、おばさんはもちろん、希摘も起きて待っていてくれた。電話をかけたときは、希摘は風呂に浸かっていたそうだ。暖房のかかったリビングに通され、僕とかあさんは緑茶を出される。かあさんがおばさんに謝辞を言っている隣で、「痩せたね」と希摘は含み笑いで僕を覗きこんだ。
「そ、そうかな」
「頬がこけてる。隈もある」
「昨日、徹夜で捜してたんだ。さっきまで寝てた」
「見つかんないの?」
「うん。あの日から、学校サボって捜しまわってるんだけど」
「そういや、今学校だよね。見つかるまで登校拒否?」
「分かんない。来週には行くかも。今んとこ警察動いてなくても、来週には届けるって。のろのろしてたら、自殺とかもありうるしね」
「そっか」と希摘は渋く考えこむ瞳で頬杖をつき、僕は湯気の立つお茶を舌を気にしつつすする。
 久々にくつろぐ僕を、かあさんはいっときそっとしておいたけど、頃合いを見て「荷物まとめながら話しなさい」とたしなめた。「はあい」と本来の目的を思い出した僕は、希摘と共に彼の部屋に移った。
 暖房のかかっていない寒い部屋で、僕の荷物はちゃんとクローゼット前にあった。着替えはたたまれて重ねられている。希摘はリモコンで暖房を入れた。
「ほんとごめんね、ずっと忘れてて」
「いいよ。悠芽が今度こそって必死になってんの、分かってたもん」
「……うん」
「で、ずっと探してたってどこ捜してんの?」
「このへんとか、駅前とか」
 飛び出すときに引っかきまわしたせいで、かばんの中はめちゃくちゃだ。いったんすべて引き出して整頓しつつ、僕は希摘にあの日以降の遥の捜索を語った。僕にしては行動的な数日間に、「へえ」と希摘は感嘆する。
「バンドやってる友達なんかいたんだ」
「うん。って、話してなかったっけ」
「知らん」
「いたんです。で、ああいうとこ初めて歩いた。夜の街って怖いね」
「人間いっぱいいた?」
「うじゃうじゃと」
「……吐く」
 思わず笑っても、希摘にはあんな場所は深刻な嫌悪対象だろう。服をかばんに押しこみ、次に押しこむ服を取ろうとすると、「はい」と希摘が先に取ってくれる。
「ありがと。で、それに遥の情報が引っかかるといいんだけど。どうだか。今あいつが何してんのか、見当もつかない。生きてるかな」
 希摘は僕を眺める。「そう思っちゃうんだもん」と僕は何も言われないうちに弁解する。
「絶対に悲観的じゃないよ。ありうるよ。遥は自分が邪魔だって感じて出ていったんだよ」
「……まあね」
「希摘は生きてると思うの?」
「どうだろ。悠芽の言葉を信じてたら、生きてるかもね」
「僕の?」
「前言ったんだろ、死んでほしくないって。手首切ったとき」
「………、あんなの忘れられてるよ。憶えてても信じないよ」
「悠芽がそんな気持ちでいるなら、いっそ見つかんないほうがいいんじゃない?」
 僕は希摘を見た。希摘は肩をすくめる。
 希摘の冷たい客観は久しぶりだ。相変わらず否定できない。そうだ。僕がこうして卑屈で尻込みばかりしていたので、遥は僕を信じていいのか分からなかった。
「もっと早く帰ってればよかったのかな」と僕はかばんに服をつめる。
「そしたら生半可で、どっちみち崩れてたと思うよ」
「……うん。怖いんだ。ほんとに──遥が僕を受け入れようとしてたって思うほど、自殺してそうで。僕がこっちに来たのを、遥は顔も見たくない拒絶と思ったかもしれない」
「絶対思ったと思うよ」
「な、何で」
「君、立ち去り際、遥くんに顔見たくないって言ってたじゃん」
 僕ははっと希摘と顔を合わせた。そして、温風に和らいできた室温に反してすうっと蒼ざめ、「そうだ」とうめいて床に伏せる。
「そうだ。そうだよ。今思い出した。うわあ。もうやだ。僕のせいだ。絶対僕のせいだ」
「部屋にさ、捜さないでください的な手がかりとかなかったの」
「なかったよ。もうダメだ。遥死んでるよ。死んでるに決まってる。僕が殺したようなもんだよ」
「じゃ、遥くんが死のうと思って、行くとこを当たれば」
「え」と僕はどんぞこに這いつくばっていた身を起こす。
「死んでやる、と思って、遥くんが行きそうなとこ」
「………、どこ」
「知りませんよ」
「屋上? 線路か。道路……海、山──」
 眉間に皺を寄せて、ぶつぶつする僕に希摘はあきれた息をつき、「賭けに出たのかもね」と代わりにかばんに服を入れる。
「賭け」
「悠芽を試そうって。悠芽が探しにくるのを待ってるのかもしれない」
「………、」
「女々しいけどさ。女々しくなるほど、遥くんが不安になってたのは分かってるだろ」
「……うん」
「手がかりもなく出ていった自分の行き先を見つけられるかって、試してるんだよ」
「無謀だよ」
「んなこともないよ。きっと、悠芽がこれまで遥くんに言ったことに、実は手がかりがある。悠芽が自分の言葉を憶えてて、それが本当で、責任を取るかどうかの試験なんだ。自分が遥くんに言ったりやったりしたこと、思い返してみなよ」
 真織さんにももらった助言だ。真織さんが思い返すのを勧めたのは、遥の行動だったけれど。遥の行動はじゅうぶん思い返した。今度は、それに対する自分の態度だ。
 僕はそのとき、遥に何と言っただろう。信じてみようかと遥に迷わせる言葉を言ったことはあっただろうか。
「俺は遥くんは生きてると思うよ」
 僕は希摘に、気弱に惑う顔を上げる。
「よく考えてみなよ。死ぬんだったら、遥くんはどこにも行かずに、めいっぱいの皮肉をこめて悠芽んちで死んでるよ。死にたくないから出てったんじゃないかな」
 僕は親友を見つめる。希摘は微笑み、「生きてるよ」と今度は言い切った。
「で、待ってると思うな。遥くんは、悠芽たちが自分の家族かどうか知りにいったんだ。ボス戦に行ったんだよ」
 僕はなおも躊躇いかけても、振り切ってうなずいた。
 そうだ。希摘風に言えば、遥はボス戦に行った。遥風に言えば、遥は風に当たりにいった。
 冷たい、怖い、何を巻き起こすか知れない風。僕たちが暖かいそよ風で迎えにくると、頼りなく信じるのをばねにして──
 その心象に、弛緩しかけていた僕の胸が吸気に引き締まっていく。決意に唇の端を結んで服を取ると、「見つけなくちゃね」と希摘に笑みを作った。希摘も笑顔になってうなずき、僕はそれで疲れかけていた気持ちに新たな気力をもらった。

第七十五章へ

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