泡姫の微笑

 深夜、往来がほとんど途絶えた道路で、かあさんやその仲間は車が通るのを待ち伏せている。
 たまに車が通ると、無理やり停めさせて窓から車内を覗きこむ。乗っているのが男だけだったら、こんこんとノックした窓を開けさせて言う。
「おにいさん、若い子もかわいい子もいるよ。寄ってかない?」
 そして、男は何でもないアパートの一室に案内される。そこで待っているのがまだ中学生のあたしや、家出したお姐さんや、親に売られた女の子だ。
 男は好きな子をえらんで、同じアパートの二階の部屋に移動し、女の子を好きなようにする。最後までOK。縛るのもOK。店が用意した薬なら飲ませてもOK。とにかく、あたしたちを殺さなければOK。
 男たちは欲望のまま白濁を吐き、格安の料金をはらうと帰っていく。残された女の子は抜け殻みたいな目のまま、その部屋でシャワーを浴び、また一階の一室でぼんやりと男が来るのを待機する。
 あたしは十三歳から十八歳まで、夜はその置屋で過ごした。休めるのは生理のときだけ。
 かあさんの命令だった。「あたしもこうやって働いて、あんたを食わせてきたんだから」と言われた。かあさんはあたしと入れ違いに引退し、自分の客だった男はみんなあたしに投げた。今は夜な夜な仲間と車にたかっている。
 昼間のあたしは、女子学生でもあった。かあさんが言うには、「制服を着てほしいって客は多いからね」だそうだ。だから、制服のためだけに中学にも高校にも行けた。
 まあ、深夜ずっと働いているから、日中の授業なんて爆睡だったけど。中学のときは教頭が置屋の常連だったし、高校でも学年主任あたり誘惑しておけと言われていたのでそうして、あたしの無頓着っぷりはスルーされていた。
 高校を卒業する頃には、あたしは古株で気のいい常連くらいしか取れなくなり、女の子のお世話をやるほうが多かった。売り物にならないあたしにかあさんは舌打ちし、「もうあんたは好きに生きな」と家から追い出した。持たされたのは、たったの五万円だった。
 こんな手切れ金じゃ、寮がある風俗店くらいしか行けない。あたしはその赤線が残る町を出て、都会の街をふらついた。
 服がないので、卒業した高校の制服を着たままだった。にやにやしながら声をかけてきた男に、「このへんで働けるとこ教えてくれたら、やらせるよ」と言うと、そいつはヘルスやソープの店をいくつか挙げ、あたしをホテルに連れこんだ。
 そこでやることをやらせると、あたしは教えてもらった店を覗きにいった。制服が災いして追いはらってくる堅いところもあったけど、「どうかしたのかい?」と招き入れてくれたソープがあって、あたしはそこで働けることになった。
 二年間、お金を稼いだ。置屋ではどんなにやってもあたしにまわってくるお金はなかった。でも、ソープはちゃんとあたしにお給料がある。口座に貯まっていくお金を見つめ、最低限の生活費以外は使い道が分からずにいると、「大学に行ってみたら?」とオーナーが煙草をくわえるまま提案してきた。
「あたし、勉強できないです」
「できないから行くんだろ」
「……そういうもんですか」
「お前は普通の感覚が麻痺してるからな。友達を作るだけでも違うぞ」
 友達かあ、と漠然と思い、あたしはオーナー名義で持たされているスマホで大学について調べた。通信制なら入試もないとオーナーは言っていた。あたしは検索を重ね、資料を取り寄せたりした結果、二十歳の春から隣県にキャンパスがある大学の通信課程を受講することにした。
 まばゆい青空から熱気がむせかえる夏、試験期間にキャンパスにおもむいたのだけど、あまりに広くて迷子になってしまった。思い切って歩いている人に尋ねたら、「私もそこに行きたいのに分かんなくて!」という迷子同士だった。
 ふたりであわあわしながら駆けまわり、さいわい目的の教室を見つけて試験を受けた。暑い中を走ったせいで頭がくらくらしていて、ちゃんと解答できたのか自信がない。再試かなあと思いながら、荷物を片づけて教室を出ようしたら肩をたたかれ、振り返ると迷子同士の女の子だった。
 聖子せいこと名乗った彼女は、「さっきは焦ったねえ」と屈託なく咲って、「そうだね」とあたしはうなずいた。無表情のあたしに、「声かけたの迷惑だった?」と聖子はちょっとしゅんとする。「そんなことないよ」とあたしが答えると、聖子はこちらをちらりと見て、「私、この大学でまだ友達いなくて」と続ける。
「よかったら、ランチ一緒しない?」
 あたしは聖子の横顔を見ると、断る理由もなかったので「うん、いいよ」とうなずいた。聖子はぱあっと笑顔になって、純粋なんだなあとあたしは思った。
 午前の試験が終わると、食堂であたしと聖子は落ち合い、一緒に昼食を食べた。あたしは鯖味噌定食。聖子はハヤシライス。
 ふたつ年下の聖子は、無邪気に懐いてあたしにいろいろしゃべった。一番の親友は留学してしまったこと。高校時代の先輩とつきあっていること。あたしは自分のことをあまり話せず、ただ「家出して働いてる」とだけ言った。その言い方で聖子は一応察してくれて、あたしのプライベートをつついてくることはなかった。
 午後の試験が終わり、試験中に滞在するビジネスホテルに戻ろうと校門を通りかかると、聖子がいた。無視するのもどうかと思ったので、「帰らないの?」と声をかけると、聖子はあたしに笑顔を向けて「彼氏が車で迎えにくるの」と言った。「そうなんだ」と納得したあたしを聖子はつかまえ、「友達できたって彼氏に自慢していい?」と目をきらきらさせる。
 友達。自慢。ピンと来なかったものの、拒否するのも感じが悪いのでこくりとする。そんなわけで、蝉の声が反響する空がほんのり暮れてきた頃、やってきた聖子の彼氏さんにあたしは挨拶した。
「この子ね、今日一緒にランチ食べてくれたりしたの!」
 はしゃいであたしを紹介する聖子に、車を降りた彼氏さんは「へえ」と笑みを見せる。
「そうなのか。──ありがとうございます。聖子って馴れ馴れしいから大変だったでしょ」
じゅんくん、馴れ馴れしいって何よ」
「えー、ずうずうしいですよねえ?」
 彼氏の純さんは笑いながら言って、どう返したらいいのか分からなかったけど、「人懐っこくてかわいいと思います」と言ってみた。聖子は「そうだよね!」と胸を張る。あんまり、そこにふくらみはない。
 それから、聖子は純さんの車の助手席に乗ると、「また明日ねっ」と手を振って去っていった。あたしは茜色が濃くなる空に染められながら、あんなふうでも、ふたりは今夜セックスするんだろうなあと思った。
 試験期間が終わっても、聖子とは連絡が続いた。あたしが自分のことをあまり話さなくても、聖子はあれこれと語ってくれる。自分から気を遣わなくていいのは思いのほか楽だったので、聖子とつながっているのは嫌じゃなかった。
 夜には秋風がひんやりしてきた頃、寮から出勤したあたしは、待機しながらスマホをいじっていた。 お店から持たされているブログだけでなく、SNSでも待機中であることを発信しておく。そしたらだいたい指名が入るくらいには、あたしのことをチェックしてくれているなじみの客も増えた。
 その日も指名が入ったとボーイさんに呼ばれ、常連が連れてきた初会の客だとささやかれた。つなぎとめろってことね、と解釈し、どうせすぐ脱いでしまうけどベビードールを着るとその男を迎える。
「あ、やっぱり君だ」
 笑顔を作って指名のお礼と挨拶したあたしに、相手の男はそう言った。あたしは彼を見つめ、返す言葉に迷う。あたしは顔バレするも何もないので、客に心当たりがあるってことはないはずだけれど──
「俺だよ」とその男はあたしを覗きこんだ。
「聖子とは今でも連絡取ってるんだろ?」
 はっとして彼を見た。そうだ。この男、聖子の彼氏だ。
 純さん……だっただろうか。何でこんなところに──
「……聖子って下手くそだからさ」
 純さんは声を低くして、あたしの腰を引き寄せる。
「友達にそれ愚痴ったら、すっげえうまい女の子知ってるって言われて」
「……そう、ですか」
「店の写真見て、もしかしてと思って。でも、君がそういう女の子っていうのは意外だな」
 あなたに、そういうゲスなところがあるのも意外だけど。もちろんそれは言わず、あたしは笑顔を作り直し、「一緒にシャワー浴びましょう」と純さんを広い浴室に案内した。
 泡立てた軆をマットの上で重ね、純さんの軆を洗っていく。乳房で肩甲骨をさすり、脚には脚を絡め、腕は素股していく。そして純さんを仰向けにして、早くも硬くなってきたものを胸にはさむ。聖子は平たい胸をしていたから、こういうことはしてあげられないと思う。思った通り、純さんはこらえきれないように腰を動かして、あたしの胸にすぐ射精した。
「気持ちいい」と甘えるように言われてあたしは微笑み、純さんと舌をむさぼるようなキスを交わす。
「やばい……君のこと好きになりそう」
 あたしはその言葉に笑みを浮かべながら、純さんのものを食んで湿った音を立ててしゃぶる。そしてじゅうぶん張りつめたものを体内に導き、上になると腰をくねらせて締めつけた。泡まみれのあたしの胸をまさぐりながら、純さんは浮かされたような言葉をこぼす。
「すげ……聖子は痛いってあんまり上になってくれないんだよね……なっても、腰使い下手だし。君はちゃんとここも見える……」
 純さんの指があたしの脚のあいだに忍びこみ、核をぬるっと撫でる。思わず喘いでしまうと、「やば、エロ……」と純さんはなおもあたしをいじり、いじられるほどにあたしは甘い嬌声をあげて腰の動きを乱す。
 純さんは起き上がってあたしを抱きしめると、下から強く突き上げてきた。あたしも純さんの首に腕をまわして腰を揺する。「気持ちいい?」と耳たぶを噛まれ、何度もうなずきながら、純さんの硬直がいっそう腫れあがって反り返ったのを感じ取る。それに合わせて腰を深く沈めた瞬間、純さんもぴったりとあたしに腰をあてて、中にどくんと吐き出した。
 冬が深まって後期の試験期間になり、あたしはキャンパスで聖子に再会した。会ってすぐ、「聞いてよ、信じらんないの!」と聖子は不機嫌そうにふくれっ面を作る。
「純くん、風俗にハマったみたいなんだよ。あたしとデートするより、その女に貢いでるみたいなの。今回は車も出してくれなかったし。ありえなくない?」
「ほんとだね」と答えながら、あたしは聖子の隣を歩く。
 純さんが持ってきたプレゼントは、笑顔で受け取っておいたあと、すべてオーナーに渡している。差し入れは禁止だと言っているのにせっせとブランドのバッグやアクセを持ってくるのは、正直困っている。たぶん質に出されて、オーナーの煙草代にでもなっているのだろうけど。
 女を買う男なんて昔からみんな同じだ。聖子、いい子なのにね。この子を幸せにするほうが、あなたも幸せなのにね。どうして男は、あたしのような女に夢中になるのだろう。
 あたしは泡の姫なのだ。どんなに理想的な女に見えても、それは儚い泡でしかない。たったそれだけのことも、男たちは見抜けない。
 バカみたい。気持ちいいかって? 演技に決まってんだろ。お前らなんか、せいぜいだらしない顔して、金を落としていけばいいんだよ。
「風俗やってる女なんて、マジ最低だよね」
 そう言う聖子に、あたしは微笑みながらうなずく。何も知らないみたいに、ただ静かに咲っている。

 FIN

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