手の甲に、ぐさりと釘を刺す。まるでそんな感じだった。手を重ねているだけなのに、その体温に縛られ、今日も苔生す公園のベンチに向かう。
彼に逢ったのは学校への通り道にある公園だった。陽のあたる場所では、けっこういろんな人がくつろいでいる。
でも、緑が増えて陰る奥に進むと、土の匂いが鬱蒼として肌寒い。人もほとんど来ない。面した湖に水鳥が浮かぶくらいで、桜の葉擦れ以外は静かだ。一応設置されたベンチに腰かけると、ため息をついて湖を見やる。
先月、中学二年生に進級した。学校は楽しくなかった。一年生のときは、担任がマシだったから別室登校ぐらいしていたけど、二年の担任は息が臭くて、その息を振りまきながらこう言った。
「教室に戻るチャンスだったんだぞ。進級でクラスも変わるだろ? チャンスだったのに、何で学校に来ないんだ。ほんとにチャンスだったのに」
チャンスチャンス、うるさい。まあある意味、あなたに失望して、登校拒否に踏みきるチャンスにはなったけれど。
別にイジメられたわけじゃない。嫌われて無視はされたものの、自業自得だ。
私は女の子同士のにぎやかさが苦手だ。だからどのグループにも属さなかった。なので浮いて、話しかけてくる子もいなくなって、無視になった。ほとんど自分で仕向けたようなものだ。
親には「いってきます」とセーラー服で家を出る。知られているのか、知られていないのか。放課後まで、私はここで水面が穏やかに揺らぐ湖を眺め、時間をつぶしている。
「そこの中学の制服だね」
彼が声をかけてきたのは、二週間くらい前だった。時刻は南中頃だったけど、特に暖かくもなく、じめじめした空気が肌を舐めていた。
私は顔も動かさず、一瞥だけくれた。グレイのパーカーのフードを目深にかぶった、顔も分からない男だった。
私は答えず、湖を揺蕩う白い鳥を再び眺めた。藻の臭いがする。隣に腰かけられた気配を感じても、動じず無感覚だった。
が、無造作にベンチについていた手に手を重ねられ、その冷めかけたお茶のような体温に、わずかに硬直した。
「僕も嫌いだったよ、学校」
ちょっと語調がつたない。手は重なったまま、特に握ってこないし、まさかスカートの中に忍びこんでくることもない。
「あんなの、なくなればいいのに」
声変わりはしている。いくつぐらいだろう。分からないけど、また見るのが妙に怖くて、私は湖に瞳を刺している。
「学校なんてくだらないよ」
……痴漢?
「君もそう思わない?」
何も言えず、ただ視線を紺のプリーツスカートに落とした。視界の左端に、だぶついたブルージーンズと黒いスニーカーがちらつく。
何だろう。そのあとは彼も何も言わなかった。ただ体温が重く手の甲に感染していった。抑えつけることもなく、本当に乗っているだけなのに、その手に金縛りにされる。
唇からもれる息が震えかけ、ぎゅっと歯を噛んだ。このままここにいたら、何となく、やばい。伝わってくるのは手汗くらいだったけど、私は彼なんていないかのように、ぱっと手を振りはらって立ち上がると公園をあとにした。
翌日、躊躇ったものの、やっぱり学校より公園に行った。ほかに行く場所はないし、制服でうろうろすることもできない。いつものベンチは空席でほっとした──のに、お昼頃になると、土を踏む足音が近づいてきた。何の言葉もない。ただ彼は私の隣に座って、今日は膝に置いていた私の手に手を置いた。
何、なのだろう。やっぱり、変質者なのだろうか。でも何も卑猥なことはされないし、言われない。ただ手に手を置いてくるだけだ。握りすらしない。
彼も学校が嫌いだと言った。私も学校は嫌いだ。同族意識? 彼は私をなぐさめているつもりなのだろうか。独りではない、と──
よく分からないまま、今日もまたふらふらと公園に向かう。藻の臭いがむせかえる。湖も緑色に濁り、足元は苔と土がローファーにべたつく。そんな深緑の場所に、気まずいのにおもむいてしまう。
催眠術にかけられたみたいだ。あの手の体温が気持ち悪い。でも、あの手の体温が惹きつける。
学校なんか嫌いだ。集団行動なんか嫌いだ。グループなんか嫌いだ。
そう思いながらも、私はそばにいてくれる誰かを望んでいたの? だから、彼の体温にこんなに磔にされるの? あの深緑に誘われてしまうの?
「……ねえ」
ふと私が口を開いたその日、空は曇っていて、薄暗いほとりは余計に暗かった。彼は私の手に手を置いている。彼の手はいつも生温い。
「どうして、毎日ここに来るの?」
私は、彼を見た。初めて、彼を見た。彼は黄色い歯を際立たせ、にいっと笑った。
それを最後に、生茂る深緑の中、私は手でなく心に消えない釘を刺された。
FIN