スマホの充電が、三十分も持たなくなった。最近それで困るときが多かったので、今日は大学の授業もないし、ショップに行くことにした。軽い化粧を済ますと、春の陽射しがあふれる午前中から駅前に出る。
午前十時の開店を十五分くらい待って、その日一番最初の客としてショップに踏みこんだ。「いらっしゃいませ」と迎えたショップのおねえさんに「機種変したいんですけど」と言うと、「ご希望の機種はお決まりですか?」と訊かれる。私がスマホを取り出し、「このスマホの新しい機種出てますか」と言うと、おねえさんはひと目ですぐに、「春モデルが出ております」とにっこりして席に案内してくれた。
ガラケーの頃は、データ引き継ぎやら何やら何時間もかかったけど、今はデータはSDカードやクラウドにあって普通だ。私はほとんどクラウドに預けている。だから楽なもので、プランを安く見直すくらいで、在庫もあったので一時間もせずに機種変は終了した。「ありがとうございました」とおねえさんに自動ドアまで見送られて、私はお昼前に帰宅した。
「どこか行ってたの?」
靴を脱いでいると洗濯かごを提げたおかあさんが玄関を通りかかって、そう声をかけてきた。「機種変行ってきたー」と私がショップのふくろを見せると、「そういえば、充電ないって最近よく言ってたねえ」とおかあさんは納得し、ベランダのほうに行ってしまう。
自分の部屋に入ると、ベッドサイドに腰かけて新しいスマホを箱から取り出した。画面保護シールはショップで購入して、おねえさんに貼ってもらった。ケースは今度ネットで探す。設定や同期は、同じメーカーなのでだいたい分かる。操作しているうちに多少の仕様の変化にも慣れて、壁紙やロック画面にできるように、クラウドからいくつか画像を落とすことにした。
何となく容量を確認してみると、ゲージが赤くなっている。どうでもいい画像は削除しなきゃなあ、なんてスワイプでさかのぼっていると、二年前の高校の卒業式の写真が出てきた。
うわ、懐かしい。そう思って見ていると、高校時代に勤めていたバイト先の写真も出てくる。高校のそばのファミレスで、今では行くこともなくて、誰ともぜんぜん連絡を取っていない。高校の友達とさえ疎遠がちだからなあ、と苦笑していると、ロール画面の中に川江くんがいて、どきっとした。
写真、残ってたのか。いや、うん、どうしようか迷って、確か消してしまう勇気が出なかった気がする。
川江くんは、当時のそのバイト先で、かなり仲の良かった同い年の男の子だ。高校は別だった。ちょっと好きだった。でもつきあわなかった。何度かデートには行ったけど、何にもなかった。そのうち、しれっと彼女ができたことを報告されて、「そっかあ」なんて笑顔を作りつつ、それ以降は当然デートに行くこともなくなった。次第に距離が空いてきて、私は大学進学と共にバイトを辞めてしまった。
今頃、どうしているのだろう。細いつながりもないから、何のうわさも入ってこない。まだ彼女とはつきあってるのかな。もしかして別れたかな。まさか結婚しちゃってたり──
まだ職場の子とお茶したりしていた頃、その中でも親しかった百子ちゃんという子がこっそり話してきた。先輩のひとりが、川江くんにあれこれと私の悪口を吹きこんでいたと。私は首をかしげて、「それって、川江くんが好きだったの?」と眉を寄せる。
「あの人、彼氏いたような──」
「人に彼氏できるのが癪だったんじゃない?」
「何で」
「分かんないけど。自分が一番注目されてないと機嫌悪かったじゃん、田山さん」
けれど結局、何も確かめなかった。田山さんが何でそんなことをしたのか。川江くんはそれを真に受けたのか。
もしかして、田山さんは川江くんが好きだった? 「彼女」は田山さんだったの? 気にしないようにして、そのまま忘れてしまった。
話したいなあ、なんてうっかり思ってしまう。陰口を聞いて変なふうに誤解されているなら、それはほどいておきたい。陰口をたたかれるような言動なんて、別に自分にはなかったと思うし。
そんなもやもやを一日抱え、夜になっても目が冴えていて、私は思っていることをメール作成画面で文章にしてみた。
あの頃、川江くんが好きだったこと。田山さんの悪口について、百子ちゃんに聞いたこと。そして、それが切っかけで突然彼女を作ってしまったのかということ。
読み返すほど、かえってもやもやは広がって、うめいてまくらに顔を伏せる。
何やってんだ、私。いまさら、何してんの。聞いてすぐ尋ねたならともかく。二年だよ。二年も経ってるんだよ。バカなんじゃないの。
こんなのやめとこう、と文章を削除しようとしたとき、スマホに着信がついた。最近ではめずらしいメール着信で、何だろ、と訝しむ。メッセIDを交換していない知り合いはいないし、迷惑メールかなとも思いながらメールボックスに移ると、『メールアドレス変更しました』というタイトルのメールが来ていた。開いてみると、短い文章があった。
『コピペでごめんなさい。
メールアドレス変更しました。
メッセが使えない緊急時のために登録よろしくです。
川江百子』
百子ちゃんか、と思ったあと、ん、とおかしいところに気づいた。
川江?
川江って何?
百子ちゃんの名字って、確か──
すぐにまた着信がついた。今度はメッセだ。久しく使っていなかった百子ちゃんのトークルームにチェックがついている。嫌な靄に胸を侵されつつ、メッセを開く。
『ごめん、今のメールで誤字あった!
予測変換で間違えただけだから、気にしないで~。』
何、それ。
……嘘、ばっかり……
だって、コピペって書いてたじゃん。ほかの人にも同じの送ってるんじゃん。みんなにこの訂正メッセを送ってるの? でも、どこを誤字したかが抜けてるよ。
「……あーっ、もうっ」
私は寝返りを打って仰向けになった。つまり、そういうことか。バカみたいに「それ」は考えなかった。しかし、百子ちゃんが辞めた私に、あんなこといちいちチクってくるのがおかしかったじゃない。田山さんは関係ないんだ。百子ちゃんが川江くんの「彼女」だったんだ。
バカだ。そこまで百子ちゃんを信じていたつもりはなかったけれど。
さっきまで開いていたメール作成画面を開き、すぐに未練がましい文章を破棄した。ゲスな嘘をついた百子ちゃんも。それを信じて私を離れた川江くんも。ほんとに最悪だ。
だから忘れよう。気にしないまま、どうでもよくなっていたことじゃない。いまさら、川江くんともどうにかなれるわけでもない。
だから、ばいばい。もう二度と関わってこないでね。
残っていた連絡先も、クラウドの写真も、削除した。そう、仮に街ですれちがうことがあっても、「全部、機種変で消えちゃったんだ」って笑っておこう。スマホと一緒に、煩わしい記憶まで引きずる必要はない。
消すときには消すの。想い出と思って残していたものも。これはいらないって思ったときに、私は削除して捨てる。
FIN