穢れた薔薇

 野坂のさかはいわゆる熱血教師で、悪さをした生徒をしかりながら、感極まって涙を浮かべるような奴だった。
 そういうのってもはや痛いんだけど、とみんな思っていても、わざわざ進言する生徒はいない。可哀想だなあ、という眼つきで説教する彼を眺め、「はーい、分かりましたー」とか言っておく。
 その春、あたしは中学二年生になった。一年生のとき、同じグループだった佳世かよ優子ゆうことクラスが別になり、最悪の気分で新教室に向かった。
 そうしたら、そこで担任として待ち受けていたのが野坂だったので、ますます頬が引き攣った。
美柳みやぎ早奈さなだな、席に着いてくれ」
 何であたしのフルネームをすでに把握してんの。不気味に思いつつ、「はあ」としめされた窓際の席に向かう。
「『はあ』じゃなくて、『はい』だぞ」
 教卓の前を通り過ぎるとき、野坂はにっこりとしながら言った。あたしは「……はい」とぼそっと答えておいて、うざ、と内心舌打ちして席に着く。
 クラス発表を見てきた生徒が、次々と教室に集まってくる。野坂は生徒の顔を見るたび、フルネームで声をかけて席をしめした。
 そして、今年のクラスメイトたちが揃うと、燦々とした笑顔で自己紹介をして、まだ自分は教師三年目で頼りないかもしれないがいいクラスにしたいとか、そういうことを語った。あたしは教室の顔ぶれを確認し、いいクラスっていうのはちょっとね、と正直思った。
 さっそく不登校の生徒の空席もあるし。イジメを受けているうわさのある男子もいるし。けばい化粧をしている女子もいるし。なかなか、面倒くさそうなクラスだと思うけれど。
 桜は早くも散ってしまった中で、新学期が始まった。案の定、野坂はこのクラスに手を焼いているようだった。イジメに無駄に首を突っ込もうとして、標的の男子生徒にまで煙たがられているし。厚化粧の女子生徒は、野坂の注意をけらけら笑い飛ばしているし。生徒に全力でぶつかるわりに、仲良くなるのが下手だと思う。
 連休が終わる頃には、すでに真夏日がちらほらしてくる。そんな熱っぽい時期、掃除の時間にほうきを振りまわして遊んでいた男子たちのひとりが、窓ガラスを割る事件が起きた。
 その男子だけしかればいいのに、なぜかクラス全員が居残りになった。げんなりしている生徒たちの顔色に気づかず、「何でこんなことになるのか考えてほしい」と野坂は訴えた。
「掃除の時間に、なぜ加瀬かせたちは遊んでいたのか。なぜそれを誰も止めなかったのか。これはクラス全体の意識の問題なんだ」
 野坂が熱くなるほど、生徒たちは白けていく。割れた窓の向こうを見たり、つくえの傷を指先でたどったり、頬杖をついて空中を眺めたり。そんなあたしたちに、「どうして!」と野坂は語気を強めた。
「もっと真剣に考えることができないんだ!? 先生はお前たちにがっかりしたくないんだ、なのに……哀しいよ。先生は、今すごく哀しい」
 知らねえよ。
 と言いたいのは、あたしだけではなかっただろう。野坂は懸命にあたしたちに想いを叫ぶものの、誰の心にも届いていない。ガラスを割った当人の加瀬すら、居竦まることなく、うんざりした顔を浮かべていた。
 野坂には関わらないように、一年間を過ごそう。そう思っていたのに、クラスに一年生のときほど親しい友人を作らずにいたあたしは、野坂に目をつけられてしまった。
「美柳、今日もひとりか?」
 休み時間に席で本を読んでいたあたしに、野坂はいちいち声をかけてくる。「そうですね」とあたしがそっけなく答えると、「一匹狼なんて寂しいだろう」と野坂は担当の国語の教科書を小脇に抱えなおす。
「別にそんなことはないです」
「一年のときは、小山こやま牧川まきかわと仲良くしてたじゃないか」
 あたしは文庫本をつくえに伏せ、野坂を見上げた。
 鬱陶しい。こいつ、熱血というよりは無神経なのだろうか。どちらにしろ、ちょっとその熱、冷まさせたほうがいいかも。
 そう思ったあたしは、「うまく友達が作れないから」と首をかたむけた。
「先生、相談に乗ってくれますか?」
 野坂は一瞬きょとんとしたものの、「お、おう!」とすぐに大きくうなずいた。
「任せろ。先生なら、いつでも話聞けるぞ」
「じゃあ、今日の放課後」
「よし、分かった。何でも話してくれ」
 野坂はあたしの肩をうざい感じで何度もたたくと、ご機嫌な様子で教室を出ていった。あたしは肩をすくめ、隠し持っているスマホで佳世と優子に、『ちょっと協力してほしいんだけど』と連絡を取っておいた。
 そして放課後、あたしは教室で野坂とふたりきりになった。
「朝は席が近い奴に『おはよう』と声をかけるとか、体育の授業で団体競技の同じグループになったときとかに──」
『友達の作り方』なんて教科書はなかったはずだけど、そんな本でも読んだようなことを、野坂は誇らしげに並べ立てた。あたしはそれを聞くふりをしたあと、内心で深呼吸してから、野坂をじっと見つめた。
「あたし、先生がこうやってたまに話してくれたら、それでいいかも」
 野坂はまばたきをして、やや満更でもなさそうに笑ったあと、「先生も美柳と友達になれたらいいと思うが」と腕を組む。
「それはひいきとか言われるだろうからな。逆にあとで、美柳がつらい想いをするぞ」
「でも、友達がいないよりマシ。つらくても、先生がいるって思えるじゃん」
「美柳──」
「あたし、先生と仲良くなりたい」
「仲良くって、お前なあ」
「先生って、彼女いるの?」
「は!?」
「友達がダメなら、彼女にしてよ」
「なっ……ちょ、ちょっと落ち着け。本気で言ってるわけじゃないよな?」
「本気だよ」
「あのな、」
「あたし、一年のときからっ──」
 こちらが言い終わる前に、野坂は腕を伸ばしてきた。身を乗り出して、あたしを抱きしめる。
 うわ。予想以上に気持ち悪い。
 そう思ったのをこらえていると、「ちゃんと突き飛ばしなさいっ……」と野坂こそ何かこらえている声で言う。
「そうしてくれないと──」
「……いいじゃん。このままどうなってもいいよ」
「美柳」
「……あたし、先生のこと、」
 そのときだ。隙間ができたのを確認していたドアのほうから、甲高い爆笑が沸き起こった。
 野坂ははっとそちらを振り返り、「ありえなーいっ」「キモすぎなんだけど!」という佳世と優子の声に、ごくりと喉ぼとけを動かして目を剥く。
 あたしはようやく野坂を突き飛ばしてやると、「ちょっとは懲りた?」とこまねいた。
「佳世と優子に、今の撮影してもらったから。ばらまかれたくなかったら、これからはもうちょっと……」
「……どうなっても、いいんだろ」
「は?」
「そう言ったじゃないか」
「え、何……」
「お前は俺が好きだから、もうどうでもいいだろ!?」
 何かおかしい。
 すぐ察して、あたしはやっと背筋にひやりとしたものを覚えた。やばい。こいつは熱血教師で。生徒に対してまっすぐで。要は、「いい奴」ではあると決めこんでいたけど──
「俺もお前が好きだっ……いや、お前より魅力的な女子なんていくらでもいるが、お前から誘ってくれるなら俺はっ」
 あたしは目を開いて、野坂の瞳孔で燃え盛る真の情熱を知る。佳世と優子が、急いで誰か呼びにいってくれたのは分かった。けれど、野坂の乱暴な手つきには間に合わない。
 野坂はあたしの下着をむしりとって、ベルトもファスナーを緩めて自分のものを取り出すと、えぐるようにつらぬいてきた。
「はははっ……そうか、お前処女か。処女を捧げたいぐらい俺を想ってたんだな。このために友達も作らなかったのか。かわいいな、やっぱり女はお前ぐらいじゃないと」
 下腹部を圧迫する痛みを掻きまわされ、内腿に出血が伝っていく。それを見て、野坂はそんなことをうわごとのように言いながら腰を振る。
 ああ、もうダメだ。こいつのことをナメていたのと同時に、無意識に信じていたあたしがバカだった。
 こいつは、情熱を持ってあたしたちに接していたのではない。実直な熱血を演じて擬態していたのだとしたら、うまくやってくれていたのだ。それを、あたしは──
 泣き叫ぶ声と駆け足が、廊下から近づいてくる。野坂は射精してもなおあたしをむさぼり、獣のような息遣いで動く。あたしの出血が、赤い薔薇の花びらみたいに床に飛び散る。
 あたしでも知っている、赤い薔薇の花言葉。
 それに白い精液がしたたり、子供すぎたあたしは、野坂が燃やしてきたゆがんだ熱情に踏みにじられていった。

 FIN

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