『【アニバーサリーイベント!】
『午前零時』リリース一周年記念イベント近日開催!!
午前零時、世界滅亡してしまうのを君は防げるか──』
昼過ぎに目覚めたまま、ベッドのふとんの中でスマホをいじっていた僕は、SNSを開いて、今一番ハマっているソシャゲである『午前零時』のアカウントがそんな告知ツイを流しているのに気づいた。
「マジか」とつぶやき、すぐに画像をタップしてイベントの日時をチェックする。まあ、いつイベントが来ようが、不登校で引きこもっている僕は、必ず参加できるのだけど。
『午前零時』は核戦争で人類の滅亡が刻々と迫っている世界のゲームだ。“Doomsday clock”──世界終末時計がモチーフになっている。
世界終末時計とは、人類滅亡の瞬間を午前零時として、それまで何分残されているかを表す架空の時計だ。世界に良いことがあれば、時計の針は戻り、零時から遠のく。悪いことがあれば、時計の針は進み、世界の滅亡に近づく。
プレイヤーは、時計の針を午前零時から遠ざけるため、あらゆるクエストやイベントをこなす。チュートリアルのあと、二十三時の時点からゲームはスタートするけど、初心者はどんなに頑張っても三十分くらいあっという間に過ぎてしまう。やりこんでいくと、午前零時まで一分前に迫っても、時計の針を戻せるくらいにはなる。もちろん、午前零時に至って核戦争が勃発し、人類が滅亡したらゲームオーバーだ。
僕は毎日、ベッドから出ることもせず、一日を『午前零時』を始めとしたソシャゲに費やしている。
一年前、高校一年生の夏休みが明けた日、ぱったり登校できなくなった。一学期、イジメられたりしたわけではなくも、教室になじめなかった。あの居心地の悪い空間にまた毎日通うのかと思うと、ぞっとした。始業式の日、両親が仕事に出たのを確認して、僕は家に引き返してベッドにこもった。それから、ずっとこういう生活だ。
とうさんは僕にいらいらしているようだし、かあさんも僕を持て余している。中学生の妹は、僕をヒキヲタだと嫌悪している。
別に、家族の理解なんていらない。ソシャゲやSNSで知り合った、ネット上の友人がチャットで話を聞いてくれる。いろんな人がいる。家出した風俗嬢。失業中のおじさん。メンヘラ女子。僕みたいな、不登校や引きこもりの奴も多い。
周りから浮かないよう、必死に嘘咲いして、それでも報われない場所なんて、バカバカしい。僕の居場所はスマホの中だ。
今では『午前零時』のヘビーユーザーの僕も、最初はよくゲームオーバーになった。核が落ち、世界が終わるときのスチルはすごく綺麗で、何枚かスクショして、スマホのホーム画面にも設定している。
世界が終わるって、正直、僕には憧れだ。生まれて楽しかったこと、嬉しかったこと、喜んだことなんてない。何なら、『午前零時』の世界が本当になって、時計の針が重なる深夜に、すべて滅亡すればいいのに。
その日も『午前零時』をやりこんで、冷戦状態や臨戦状態の国家を正常化するクエストをこなしていると、突然ノックが聞こえた。眉を寄せてドアに首を捻じっても、返事はしなかった。
すると、勝手にドアが開き、目を凝らすと顔を出したのはかあさんだった。
「おじいちゃんが亡くなった」
前触れなく切り出されて、僕はスマホをスワイプしていた手を止めた。
「は……?」
「今夜お通夜だから、すぐに支度しなさい。制服を着ればいいから」
「……え、かあさんのほうのじいちゃん?」
「そう。熱中症だって。この暑さなのに、冷房をつけてなかったみたい」
僕は息を止めてかあさんを見つめたけど、見えるのはシルエットで、表情は窺えない。声はけっこう淡々としている気がする。「果菜も呼ぶから」とかあさんはすぐに引っこんで、僕はふとんの中でかたまったまま、ぎこちなくまばたきをした。
じいちゃんが、死んだ。母方のじいちゃん。すごく頑固な人だけど、僕と果菜だけにはめちゃめちゃ甘い。僕が高校に行かないことさえ、まったく責めずに「やりたいことやってりゃいいじゃないか」なんて言ってくれた。
「じいちゃんは、行きたくもない戦争に行かされて、やりたいことなんてひとつもできなかったしなあ」
「じいちゃんがやりたかったことって何?」
「些細な夢さ。親父の家業を継いで、時計職人になりたかったんだ」
「今からなれないの?」
「親父はすぐ戦死して、何も技術を受け継げなかったからなあ……」
じいちゃんのしみじみした苦笑を思い出しながら、僕はベッドをのろのろと這い出し、壁にかけて放っていた制服に手をかけた。
戦争で何も手に入れられなかったじいちゃん。毎日、熱中症警報が出てるっていうのに。猛暑の中でも、このくらいの暑さと戦火を想って、冷房をつけなかったのだろうか。何て悲愴なのだろう。
戦争ゲームに没頭して、すべて捨ててしまった僕。やりたいことなんて、せいぜい課金くらいだ。エアコンは年中つけっぱなしの快適な部屋で、毎日だらだらしている。それは今が平和だからだ。
世界が終わればいいなんて思うのも、世界は終わらないと思っている謎の安心感の裏返しだろうか。本当に終末世界時計が零時を指したら? どこかの国が核兵器を発射して、人類をひと晩で滅亡させたら?
それでも僕は、その空を綺麗だと思うだろうか?
毎日を楽しいと思ったことはない。誰かといて嬉しかったこともない。誕生日を喜んだことだってない。それでも、僕はこの命を強制終了されたら──
制服を着た僕は、ベッドスタンドに置いていたスマホを取り上げた。新しいクエストが届いていたけど、そのままアプリを閉じた。
ここでこのゲームをアンインストールしたら、少しはじいちゃんの供養になるのかもしれない。けれどやっぱり、ゲームを通してつながった画面の向こうの人たちまでぶった切るのは嫌だった。
家族四人で、熱気のこもった車に乗りこんで、母方の実家に向かった。隣町なので、三十分くらいだ。
ぎらぎらした夕焼けが窓に射しこみ、僕のほうけた表情がハーフミラーになって映る。隣の果菜は泣いていて、運転席のとうさんも沈痛な面持ちだし、かあさんは顔を伏せていた。
「時計って、どうやって作るんだろう」
唐突に僕がそんなことを言ったら、三人とも、こんなときに何を、と言いたげにこちらを睨んだ。
僕は肩をすくめる。じいちゃんの夢を、もし僕が叶えたら、それが一番餞になる気がしたのだけど。
御伽話でなく、この世界はいつか終わるのだろう。世界終末時計は午前零時を指す。
今、僕は生きていて、平和で、戦争を知らないから戦争ゲームなんかやっているけど、そんな幸せはきっと引き裂かれる。
宇宙人の襲来じゃなく。
環境汚染で地球が朽ちるのでなく。
人間同士が争い、憎み合い、殺し合い──きっと世界は、戦争によって滅びる。
ああ、今は何時だろう。
午前零時まで、あと何分だろう。
分かるのはもう真夜中で、世界の終末への火種が各国で撒かれて、それが赤々と燃えていること。じいちゃんの親父や、そのほかにもたくさん死んだのに、和解しない火が燃え続けていること。
針は動いている。十分前、五分前、三分前──
茜色に毒々しく染まるガラスに額をあて、いつか時計を作ろう、と僕は思った。たくさんの命の犠牲の上で、まだこの世が平和であるのなら。午前零時が絶望の時刻でなく、新たな日が始まる希望の時刻であるうちに。
窓の向こうの景色が、見憶えのあるじいちゃんの近所に移り変わっていく。
ねえ、僕、やりたいことやるよ。心の中でそう唱えたのは、天国まで届いただろうか?
FIN