「わあ、ブスが来た!」
「早く、早く銀色のもの出せよっ」
「俺、ちゃんとスプーン持ってる! 食らえ、聖なる銀色だっ」
私が教室に踏みこんだ途端、クラスの男の子たちがそんなことを言って、ぴかぴかに磨いたスプーンなんか向けてくる。たったそれだけなのに、私はそこに映った自分の顔にぎゅうっと胸が苦しくなる。
銀色は、だから嫌い。私のこの不細工な顔を映し出して、本当に攻撃を受けたような痛みで心を刺してくる。
私はスプーンから顔を伏せて、男の子たちを遠回りして避けて、自分の席にうずくまる。
「やっぱり避けていったぜ」
そんなことを言って笑っている彼らに、「何であんたたち、静奈ちゃんにいつもそうなの!」という声がかかる。南海子ちゃんだ。
でも、私、知ってるの。南海子ちゃんだって、私がいないときには、ほかの女の子たちと私の顔のこと嗤ってるって。
何でこんな顔に生まれてきたんだろう。どうしてもっとかわいい女の子じゃないんだろう。そうしたら、みんなも私のこと受け入れてくれるかもしれないのに。
──窓の向こうで、すずめが鳴いている。私はゆっくりと目を開き、少し考えたあと、夢か、と思った。
小学校のときの夢だ。何でこんな嫌な夢、とため息をついて、私はまくらもとのスマホで時刻を確認する。
七時前だ。……約束は、十一時だったっけ。
「海原さんって、彼氏とかいる?」
高校生になって半年、夏休みが明けてしばらく経った日。突然、廊下で山下くんという男の子に声をかけられた。
私には縁がないけど、私でも知っている、野球部のかっこいい男の子だ。「何ですか」と警戒する私に、山下くんはいきなりそんな質問をしてきた。
「は……?」
「いや、いる……かっ。いるよな。そうだよな。ごめん、その──」
「いえ、いません……けど」
「マジで!?」
「……はあ」
「じゃあ俺、海原さんの彼……いや、友達になりたくてっ」
胡散臭い眼つきで、山下くんを見た。高校生にもなって、ここまで露骨な罰ゲームもなかなかない。
「友達って……」
「一緒に帰るとか。昼飯食うとか。それだけでもいいんだ。海原さんと話がしたくて」
きっと断ったら、彼の仲間に何様だと言われて。うなずいても、彼のファンに何様だと言われるのだろう。
面倒だなあ、と思った私は、「それくらいならいいですよ」と答えた。すると山下くんの表情はぱあっと輝いて、「ほんとに?」と確認してくる。
「でも、私といたら、山下くんの彼女が──」
「いやいや、俺、そんなんいないしっ。海原さんこそ、ほんとにいいの?」
「私は別に……」
「っしゃあっ。嬉しい、じゃあ今日は一緒に帰ろうなっ。教室行くから待ってて」
私がうなずく前に、山下くんはひらりと踊るみたいに廊下の往来に紛れていった。中には、会話が聞こえていたのか、こちらをぶしつけに眺めてくる人もいる。
私は急に頬に熱を感じながら、顔を伏せてそそくさと自分の教室に向かった。
それから、山下くんは昼休みや放課後に私の教室を訪ねてくるようになった。「海原いる?」と声をかけられたクラスメイトは、ぎょっとしつつ、クラスでも暗くて目立たない私を一応指さす。すると山下くんは、「サンキュっ」と明快な笑顔を見せてこちらに来て、「海原」と話しかけてくる。
そして、私は目も合わせないというのに、山下くんはいろいろ話す。
「そういや、海原って誕生日いつ?」
「……九月二十九日だけど」
「はっ? 今月? もうすぐ?」
「まあ……」
「じゃあ、お祝いしなきゃじゃん。あー……でも、もう予定入ってるよなあ」
「そんなのは、ないけど」
「ほんと? じゃあ、放課後にちょっとうまいもんでも食おうぜ」
「………、今年、日曜日なんだけど」
「マジでか。えっ、どうしよう──まさか、会ってはくれないよな……?」
私はちらりと山下くんを見て、首をかしげてから、「会えないことはないよ」と言った。山下くんはまばたきをしてから、「じゃあ」と私の手をつかんできて、さすがに私もどきっとした。
「デート、する?」
私は眉を寄せて、山下くんを見た。罰ゲームで、何もそこまで。いや、それともデートが罰ゲーム達成なのかもしれない。さっさとこんな茶番は終わらせてほしいので、私はこくりとした。
そうして、今日が九月二十九日の日曜日だ。カーテン越しにも、良く晴れているのが分かる。
私はベッドを降りて、パジャマのまま部屋を出た。見たばかりの夢の中の、男の子たちの笑い声がまだ耳に残っていてつらい。顔を洗うために洗面所に行き、鏡の前に突っ立ってみた。
罰ゲームだ。それでも、一応、男の子と誕生日にデート。少しはマシな表情かな、と思い、朝食の匂いがただよってきているダイニングに向かった。
服装はTシャツにジーンズでいいやと思った。かわいい服なんて持っていないし、わざわざ買って着ていっても似合わないし、これでいい。
十時頃に家を出て、高校の最寄り駅まで向かった。電車で窓に映った自分の顔に気づいて、朝はマシだと思ったのに、やっぱり死んだような表情に見えて、情けなくなった。
あの頃から、ずっと思いつづけている。何で私は、こんなにかわいくないのだろう。
細い目。まとまらない髪。荒れた肌。不格好な鼻。薄い唇。
この顔が嫌い。もし人間は平等だというのなら、顔なんて最初からなければいいのに。みんな同じ顔なら、こんな想いだってしなくてよかったかもしれない。自分の顔を見るたび、心が傷ついて哀しくなる。
泣きそうになって、顔を伏せた。きっと、今日のデートで山下くんも罰ゲームの目標達成で、私から離れていく。
ちょっとだけ、寂しいかもしれない。分かっていたはずでも、山下くんがにこにこと話しかけてくれるの、私は嬉しかったんだな。視界が滲んだので慌てて涙をぬぐう。
ああ、行きたくないな。会いたくないな。そして、山下くんが咲いかけてくれなくなるのは、嫌だな。
私がかわいい女の子で。自信もあって。そうしたら、こんな息苦しい想いはしていなくて、この日が嬉しくて、幸せだったのかな。
「海原、こっち!」
もしかして、そもそも山下くんは来ていないのではと思ったけれど、彼は改札口にいて、陽射しの中から私に手を振ってきた。
私はIC定期で改札を抜け、山下くんに歩み寄る。山下くんもTシャツにジーンズだった。「私服の趣味似てるな」と山下くんは笑って、お洒落しなかったことが逆に恥ずかしくなった。
「まずは、昼飯一緒に食おうぜ。そのあとは街歩くか──海原は映画とか好き?」
「嫌いではない」
「そっか! じゃあ映画行くか。でも、まずはうまいものだよなっ」
そう言った山下くんが、自然と私の手を取ったので、どきんとして視線が狼狽える。
振りはらったら、やっぱり、感じが悪いのか。でも、私なんかと手をつないで歩いていたら、山下くんが変な目で見られるかも。そう思うと、私はその場に立ち止まってしまった。
「海原?」
山下くんが私を振り向く。私はうつむき、「そこまでしなくていいよ」とぼそりと言った。
「えっ」
「手をつなぐのは、その、さすがに嫌でしょう?」
「……あ、ごめんっ。海原、嫌だった?」
「私というか──」
「俺は、えと、だって、こうしておかないとただの友達に見えるかなって。いや、友達……なんだけど。友達……」
私は山下くんを見つめた。山下くんは何やら頬を染めて、口ごもっていたけれど、ふと「馴れ馴れしいよな」とつぶやいて手を離した。通じかけた手の温もりも、ちぎれる。
「海原が、俺なんかに興味ないのは分かってるし」
「え……」
「今日だけは、彼氏みたいな顔したくて。彼女だって自慢したくて」
「私……自慢には、ならないよ」
「なるよっ。俺、海原が好きなんだもん」
私の眉間の皺を、山下くんは嫌悪と受け取ったらしい。「ごめん」とまた言うと、ため息をついて、ふとポケットから小さな箱を取り出した。
「海原の誕生日なのに、俺がわがまま言うのはおかしいよな」
「え、えと……」
「これだけ受け取って。そしたら、もう俺、海原に馴れ馴れしいのも全部やめるから」
私はそのピンクの小さな箱を見つめた。無意識に、首を横に振っていた。
「私、こんなに、かわいくないのに」
「えっ?」
「私なんかと歩いたら、山下くんが恥ずかしいでしょう?」
「え……えっ、」
「だから、私のせいで山下くんに嫌な想いはしてほしくな──」
「な、何言ってんだよ、海原かわいいじゃんっ」
私は山下くんを見上げた。
「海原がいろいろ頑張ってるの、俺知ってるよ。そういうとこかわいいなって思って、好きになったし。雨の日に廊下が濡れてたら、雑巾で拭いてるよな。花壇の雑草も抜いてるだろ。あと、駅前でわんわん泣いてた迷子の世話、母親が来るまでずっとしてるの見たこともあるし──」
山下くんはまだ続けようとしたけど、我に返って「俺、ストーカーみたいに海原を見てる」とばつが悪そうにした。私は、まさかそんなところを見られていたとは知らず、頬を燃やしてしまう。
そんな私を見つめて、「かわいいよ」と山下くんは繰り返した。
「海原はかわいい」
山下くんは優しくそう言ったあと、自分で包装を破って箱を開けた。そして、指先でネックレスをすくいだす。
シルバーのドッグタグがついたネックレス。
山下くんは私に一歩近づき、それを私の首につけてくれた。
「へへ、薔薇とかクロスとかと迷ったけど、これがシンプルで綺麗だったから」
私はドッグタグを手のひらに載せた。シンプルに『静奈』の『S』の刻印がある。そして、磨かれた銀色に私の顔が映る。
こんな顔なのに。こんな私なのに。それでも──ううん、だからこそ好きだって、この人は言ってくれる。そう思うと泣きそうになって、ごまかすためについ咲ってしまう。
「行こう、海原。誕生日なんだから、おいしいものいっぱい食べなきゃ」
山下くんを見て、今度は素直にうなずいた。にっとした山下くんと、もう一度手をつないでみる。そして、一緒に駅前から歩きはじめる。
そう、私はこの世界に生まれてきたのだから。十六年前のこの日、このすがたで生まれてきたのだから。それをいつまでも嫌いだと怨んでいても変われない。
進んでいかなくちゃ。生きていかなくちゃ。
「聖なる銀色」に顔をそむけるのもおしまい。そこに映る私の顔は、私が私である証明で、そのおかげでこの男の子も、そんなふうに微笑んでくれているのだから。
FIN