「先輩は私の太陽です!」
白倉苺花はあたしに向かって、いつの時代のものか分からないような、そんな言葉をいつも叫ぶ。そんなことを言う苺花の瞳のほうが、きらきら輝いていて太陽のような気がするけれど。
あたしはといえば、太陽なんて程遠い隈の染みついた陰気な顔で、「はあ」と毎度ため息みたいな返事をする。
「見てください、先輩。苺花のこの笑顔を! 先輩のおかげで、私は今日も笑顔満点です!」
「お前はいつも笑顔満点だろ……」
「先輩にこうして、朝の挨拶をしてるから笑顔なんです」
「そうか」
「はい! というわけで、おはようございます!」
「はいはい、おはよー」
あたしは苺花の頭に手を置いて、三年生として通いはじめてひと月ほど経過した、女子高の校門をくぐる。
ゴールデンウイークが過ぎ去って、三年生は早くも試験の予定が詰まっている。わりと偏差値の高い進学校だから仕方ないけれど、ここまで根つめられると集中力保てないわ、と小さく舌打ちする。
「百崎先輩、中本先輩、おはようございまーすっ」
靴箱までは、ロングヘアで顔は隠し、なるべく道は隅を歩く。
苺花はそんなあたしを追いかけてくるけれど、他の下級生は堂々と真ん中を歩いて登校する百崎仁子と中本彩美に黄色い声で挨拶する。百崎と中本はつきあってるのかつきあってないのか、とにかく親しいふたり組で、後輩たちは『萌えカプ』として彼女たちを崇めている。
きゃあきゃあとうるさい後輩たちに、「おはよう」「元気ね」と微笑む百崎と中本、隙がない。
「羽戸先輩は? いないかなー」
「もう教室行っちゃったみたいだよ!」
「あーん、御姿拝見したかったよお」
羽戸るりはという一匹狼の三年生も、人気がある。百崎、中本、羽戸がこの女子高のトップスリーだ。成績、人気、信頼、もろもろにおいて。
太陽っていうのはああいう人種じゃないのかねえ、とあたしは苺花をちらりとして、あたしの視線に気づいた苺花は、目をぱちっと開いて笑みを浮かべる。
「苺花」
「はいっ」
「お前、そのー……ああいうのに憧れておいたほうが、身のためだぞ」
「ああいうのとは」
「百崎さんとか──」
「中本先輩とか、羽戸先輩とかですか?」
「まあ、うん」
「興味ないんで」
「シンパにぶち殺されるぞ」
「私は先輩じゃないとダメだから」
「ヤンデレかよ」
「先輩のおかげで生きてます!」
あたしは息をついて、到着した靴箱に踏みこむ。
さすがに苺花は一年生の並びに行ってしまい、あたしはやっと静かになったと思いながら上履きに履き替える。廊下に出て、苺花を待たずに歩き出すと、「先輩ー!!」とロミジュリでもそこまで悲痛ではないと思うような声で、苺花はあたしを呼ぶ。
苺花はあたしの教室にもついてきて、予鈴まで一緒に過ごす。休み時間も、昼休みも、放課後もそうだ。「お前に友達はいないのか」とあたしが問うと、「先輩がいれば、ぼっちなど問題なしです」と苺花は言う。
そうか。あたしは友達いるんだけどな。クラスが離れて、あと苺花のストーカーぶりにドン引きして、最近ぜんぜんしゃべってないけども。
「きゃああっ、羽戸先輩だーっ」
今日の放課後も、平和にそんな悲鳴が飛び交っている。
まったく、女子高ってすげえな。男子生徒が皆無というだけで、ここまであっさり同性に熱をあげるようになるんだから。苺花もあたしの腕に勝手にぶらさがっているが、今だけなんだろうなと思う。
「なあ、苺花」
「はいっ」
「お前は女が好きなのか?」
「先輩が好きですっ」
「あたしは……」
口をつぐんでうつむく。別に苺花に応えるわけでもないのに、伝える必要もないか。苺花はそんなあたしをじいっと見つめてきて、校門をくぐった頃に、「ひまわり」と不意につぶやいた。
「ん?」
「ひまわりが、ちゃんと咲いたから」
「……何?」
苺花は立ち止まって、あたしと向かい合った。「今から苺花、自分語りをします」と宣言され、「お、おう」とあたしもつい返してしまう。
「小学校二年生のときです。男子と女子でペアになって、プチトマトかひまわりを育てることになりました。苺花とペアの男の子は、ひまわりを育てることにしました。プチトマトはですね、食べたくなかったので」
「はあ」
「でも、苺花たちのひまわりだけ、なぜかなかなか育たなかったんです。それを、ペアの男の子に苺花のせいにされて。お前がいちごだからって」
「よく分からん」
「苺花も分かんないです。でも、小学生男子ってそういうこじつけ好きじゃないですか」
「……まあな」
「だから、苺花、一生懸命にひまわりにお水あげてたんです。そしたら、『水をあげすぎるより太陽にあてたほうがいいよ』って」
「先生が?」
「いや、ここは先輩に決まってるじゃないですか!」
あたしは変な顔をしたあと、一応考えてみたものの、「ごめん、憶えてない」と言う。
「分かってます。あのとき、四年生だった先輩が私に理科の教科書を見せて、光合成とかでんぷんとかいろいろ説明してくれて、まあ当時は正直よく分かんなかったんですけど、日射しの邪魔になってた雑草とか一緒に抜いてくれて、『ひまわりは太陽を向いて咲く花だから、すぐ元気になるよ』って言ってくれたんです」
「あたしが、そんな恥ずかしい台詞を言ったのか?」
「言いました!」
「……憶えてない」
「そのときから、ずっと苺花は先輩が好きなんです。先輩が助けてくれて、ひまわりは苺花より背が高くなって、綺麗に咲きました。男の子が苺花を責めるのもなくなりました」
「……イジメだったのか?」
「イジメってほどではないですけど、嫌でした。お前はどくいちごだって言われて、すごく嫌でした」
「それは──嫌だな」
「ずっとずっと、先輩を見てて。だから、知ってますよ。先輩が一番仲良しの人のことを好きなのも」
「………、」
「でも、それは報われないと思います!」
「秒でえぐってくんな」
「先輩には、苺花を見てほしいんです。苺花なら、先輩が隣にいるとにっこにこですよ? それは、先輩が私の太陽だからです!」
あたしは、苺花を見た。分かってる。クラスは離れた。苺花も現れた。
でも、離れたのはあの子じゃなくてあたしなんだ。あの子が嬉しそうに、彼氏の話をするから──
ため息をついて、あたしはその場を歩き出す。「先輩」と苺花はあたしを追いかけてきて、「先輩がいなかったら、苺花はずっと咲えなかったかもしれないんですよ」と言う。
あたしがいなかったら。ぶっちゃけ、やっぱり何も思い出せないのだけど、あたしがこの子の光にならなかったら──
「苺花」
「はい」
「お前、あたしの名前知ってんの?」
「深村若菜さんですよね」
「分かるだろ」
「何がですか?」
「太陽が必要なのは、あたしのほうなんだよ」
苺花はぱちぱちとまばたきをする。
分かんないのかよ。ここで鈍感とか、ったく、こいつほんとにめんどくさいな!
「お前があたしの太陽になれっつってんだろうがっ」
あたしが頬を染めながら言うと、苺花は大きく目を見開いたあと、「えっ」とやっとまごついたような反応を見せた。見せたけれど、すぐにあたしの制服を引っ張って瞳に瞳を射しこむ。
「任せてください、私が先輩をにっこにこにします!」
あたしは、仕方なくて咲ってしまう。にっこにことは言えなくても、何か、咲うしかないじゃないか。
きらきらときらめく苺花の瞳。あたしもこの瞳なら、ひまわりが太陽を見るように、見つめていけるかもしれない。
苺花の手を取って、とっくに花盛りは終わっている桜並木を歩く。
まばゆい陽光に透ける葉桜が、緑の匂いを振りまいてざわりと揺れる。初夏のさわやかな風が抜け、あたしの長い髪がふわりとなびき、久しぶりに顔に光を浴びた気がした。
FIN