太陽になれない

 今年の春は、雨模様の日が多い。しかしそんな中、気紛れに空は雲ひとつなく晴れる。
 青空を見上げると、開花の遅かった桜がまだ咲いていて、淡いピンクの花びらがひらりとひるがえった。
 数日前、中学三年生になった。受験生だ。二年生の後半くらいから、先生たちはあれこれ言いはじめていたし、進路希望はすでに提出した状態で春は始まったけど。
 幼なじみの蒼乃あおのは、友達連中と適当な女子高に行くと思っていた。正直、あいつ、頭そんな良くないし。しかし、蒼乃は俺の志望校と偏差値の変わらない、ただちょっと通学に時間のかかる共学を目指すらしい。
 何だよ。じゃあ、俺もそこにすればよかったな。
 ちらりとそんなことを思った。でも、進路変更って大人たちに言いづらい。だからたぶん、俺は蒼乃と高校は別になるのだろう。
 だとしたら──気持ち、伝えたほうがいいんだろうな。ずっと好きだった。保育園に行く前から。隣り合った家で育った、俺に一番近い女の子。
 しかし、俺に勝算はあるのだろうか。今のあいつに一番近い男子は、一応、俺だと思うけど──
名取なとりくん」
 桜を眺めてわりとまじめに考えながら、ひとりで通学路を歩いていた。すると、不意に名前を呼ばれた。
 けっこうかわいいシュガーボイス。足を止めて振り返ると、肩までの髪がウェーヴになった、同じ中学の制服を着た女子がいた。
 にこっとされたけど、くらっとするよりびくっとして、引き攣った笑みを返してしまった。
朝波あさなみさんは? よく一緒に登校してるよね」
「あー……蒼乃は寝坊だな……」
「そっか。ふふ、よかった」
 彼女は俺の隣に並ぶと、睫毛の長いぱっちりした瞳でこちらを見上げる。
「名取くんが好きです」
「は?」
「だから、よかったら私とつきあってください」
 俺は名前も知らない、ただし砂糖菓子みたいにかわいいのは確かな、その彼女をぽかんと見つめた。
 好き? つきあって?
 じわじわと、頭の中で炭酸がはじけてくる。
「え、えーと──」
 現金にも揺れてしまったときだ。「しゅん!」と威勢のいい声がして、はっとそちらを見た。制服を着た蒼乃が、息を切らして走ってきている。
「蒼乃、」
 蒼乃はいったん、俺たちのかたわらで立ち止まった。俺を見て、お砂糖の彼女を見て、「ふーん」とだけ意味深に言う。そして、さっさと駆け足で追い越していった。
「あ、えっと──ごめんっ」
 砂糖さんには薄情にそれだけ言い置いて、俺は迷わず蒼乃を追いかけた。俺が隣に並ぶと、蒼乃はやっと足を緩めて、むすっとした顔でこちらを見上げてくる。春風に蒼乃の長い髪がなびく。
「あの子とつきあうの?」
「いや、そんなわけないだろ」
「……そっか。よかった」
 え。
 その言葉の意味に動揺とすると、蒼乃は俺の手首をつかんで引っ張った。砂糖女子の視線をはっきり感じる。昔から、蒼乃は俺をこうして独占しようとするときがある。
 これは、勝算あるだろ。
 角を曲がって、砂糖の視界を失せると、蒼乃は怒ったように両手を腰を当てた。期待したはずみで、俺が口を開こうとしたときだ。
「あたし、あの子嫌いなの」
「え」
「あたしの好きな人とつきあってたもん」
「……あの子って、彼氏いんの?」
「さあ。今はどうか知らない。ただ、気をつけたほうがいい子だよ」
 俺は気まずく目をそらて、まあそんなもんだよな、とみじめにも納得する。しかし、すぐに蒼乃の重大な言葉に気づいた。
「お前、好きな奴いるのか?」
「こないだ卒業したけどね」
「……先輩か」
「そお」
「知らなかったな」
「あたしも旬の好きな人なんて知らないわ」
 蒼乃は豪快にからから笑いやがる。それを見ていると、何だか悔しくなってきて、俺は言い返すように声に出していた。
「お前だよ」
「え」
「俺が好きなの、お前だよ」
 蒼乃はぽかんとしたけれど、すぐおかしそうに噴き出した。その反応にとまどっていると、蒼乃はひまわりみたいな明るい笑顔で言った。
「ありがと!」
 俺がはっと顔をあげると、蒼乃は悪戯っぽい瞳で続けた。
「けっこう元気になる冗談だわ」
「じょ、冗談って」
「冗談でしょー。そんなのありえないのくらい、あたしがいくらバカでも分かるっての」
「……俺は、」
「もー、ほんとバカみたいなこと言うんだから」
 違う、よ。俺、本気でお前のこと好きだよ。誰よりも好きで、誰にも負けないぐらい好きなんだよ。
 けれども、蒼乃に意地悪を言っている様子や、鈍感なふりをした様子はない。
 ああ、本気でこいつには俺は「ない」んだ。
 はらはら舞い散る桜の花びらと、まだ少しひんやりとした風が抜けていく。
 蒼乃がめそめそ泣いている夜はそばにいた。怒っているときはうなずいて根気よく話を聞いた。咲っているときは……
 苦笑がこぼれてしまう。そう、こいつが咲っているときは、いつも俺が咲わせたんじゃなかったな。
 ああ、うぬぼれだった。脈なんてなかった。蒼乃を咲わせているのは、いつもどこかの誰かだった。
「進路、みんなにびっくりされたけど。あたし、先輩のいる高校に進みたいんだよね」
「うわ、恋愛脳で進路決めてんじゃねーよ」
「うっさいなー」
 ……嘘、だよ。そいつのとこに行って、幸せになれよな。さっきのひまわりみたいな笑顔、かわいかった。それを見れたから、俺はもういいや。
 高校生になったら、蒼乃は俺を遠ざかるだろう。失くさないなんて、きっと無理なのだろう。
 ひまわりは俺じゃなくて太陽を見る。そして俺は、太陽になれない。
 周りにざわめきが生まれはじめて、同じ中学の生徒が増えてくる。その中に友達のすがたを見つけたのか、蒼乃はあっけないほど「じゃあねっ」と手を振り、朝の光の中を駆け出していった。
 受験が終われば、蒼乃とはほぼ跡形もなくお別れだ。彼女は悪くない。俺も悪くない。ただ、幼なじみなんていう小さな世界は、君には足元過ぎて……
 見たり、しないよな。
 そんなにうまくいかないよな。
 ため息と共に、晴天を仰く。陽光の中でくるりと回転した優しいピンク色の花びら。それはアスファルトの桜の絨毯に紛れて、すぐ見分けもつかなくなってしまった。

 FIN

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