romancier obscur

Koromo Tsukinoha Novels

僕を君の十字架に

 何で、鈴月すずつきのことなんて好きになってしまったのだろう。
 男子に人気で、女子の友達も多くて、教師からの人望も厚くて──いらいらしてくるほど、優等生だ。勉強もできる。愛想もいい。だが、凛としている。
 本当にいらつく。彼女なんかに心を奪われてしまった自分に、腹が立ってしょうがない。
 僕なんか、相手にされるわけがない。僕は昔から、その他大勢だ。いや、それ以下だろうか。ラノベばっかり読んでいる根暗だし、勉強は嫌いな上にできないし、教師とはろくにしゃべったことさえない。「お前の目って死んでるよな」と少ない友達に言われる面だし、いつも気だるいし、こんな無気力な僕に恋なんか教えた鈴月が、想いが募れば募るほど鬱陶しい。
 僕と鈴月は中学二年生で、偶然、一年も二年もクラスが一緒だった。一年のときは何とも想っていなかった。二年に進級して、鈴月は圧倒的票数でクラス委員になった。
「挨拶してくれるか」と男の担任に言われて、決まり悪そうに教壇にあがる彼女を見た。うざったいことになったとか思ってんだろうな、とか捻くれたことを思っていた僕に反し、鈴月はまだ恥ずかしそうな色を残しつつも、まっすぐ教室を見渡した。
「このクラスになったばっかりなのに、投票してくれた人、ありがとうございます。その期待に応えられるような、クラス委員になりたいです。よろしくお願いします!」
 僕はその笑顔に偽善を見取ろうとしたけど、見つけられなかった。本気かよ、と思いながら頬杖をついて、それ以来、彼女に“嘘”がないか観察するのが習慣になった。
 いつも彼女のきらきらした笑顔を見ていた。いつからそれが恋になったのだろう。
 気づいたら、彼女の笑顔をぶしつけに眺めることすらできなくなっていた。だからつくえにうつむくのに、鈴月の笑顔はまぶたに焼きついて離れない。
 何だよこれ。冗談だろ。世界が違いすぎる。なのに僕は、どきどきしながらこう思っている。
 あの笑顔が、僕だけのものになったら──
 僕は唇を噛んだ。自分で自分の間抜けさに絶望した。ありえない。叶うわけがない。なのに、僕は鈴月に恋をしている。あんなに遠くて、美しくて、愛されている花に──堕ちてしまった。
「鈴月、ちょっといいかな」
 そんなふうに声をかける男子もいた。そのたび僕はびくっとする。周りの女子がざわめくような、別のクラスのかっこいい奴の場合もあった。笑顔は絶やさず、鈴月はそいつといったん教室を出ていく。
 そのあいだ、僕は息苦しくて心臓がずきずきしてくる。そして鈴月が教室に戻ってくると、「どうだった?」と彼女の友達が訊いて、「男子とつきあうなんて親に怒られるよ」と聞こえて、やっと遠巻きにほっとする。
 完全に他人の状態なのに、僕の鈴月への想いは夏の日射しが濃くなるように強く、道端が木の葉で埋まるように深くなっていった。そして、夏服もあっという間に、また冬服の学ランの時期になった。
 鈴月は立派に前期のクラス委員を終え、今度は地味に保健委員をやっていた。僕は前期でじゃんけんに負けまくって体育委員なんかやらされた代わりに、今回は読書が趣味の者としてはありがたい、図書委員になれた。
 冬休みをひかえたその日、僕は昼休みの受けつけ当番で、図書室で司書席に着きながら持参のラノベを読んでいた。
 人がいても静かな室内は、暖房がぼんやりするほどきいている。弁当を片づけたあとなのもあり、少し眠いな、と何度目かのあくびを噛み殺したときだった。
木川きかわくん」
 はっと顔をあげた。そして、ぎょっと目をひらいた。つくえ越しに、借りたいらしい本と生徒証をさしだしているのは、いつも通り肩にも届かない緩いウェーヴと、サイドをヘアピンでとめた、明るい笑顔の鈴月だった。
「これ、いい?」
「えっ、あ……ああ」
 木川くん。僕の名前知ってたのか、と吐きそうにどきどきする心臓を必死に飲みこむ。
「熱中してたね」
 本と生徒証のバーコードを認証し、貸出として登録する僕は、とっさにつくえに置いた美少女イラストのラノベを覗きこむ鈴月に、あやふやに咲う。
「おもしろいの?」
「ん、まあ。今、アニメ化してるし」
「そうなんだ」
 もっと話していたいのに、貸出手続きなんてすぐ終わってしまう。僕は本と生徒証を鈴月に渡そうとして、ラノベをちらりとした。
「あ、あの」
「うん?」
「もし、興味あるなら、この本も貸すけど──」
「えっ」
「僕の私物だから、いつ返せとかないし、」
「あ、うん、私もけっこうアニメとか好きだから読んでみたいんだけど、親に見つかったら怒られちゃうんだ」
 ……あ、拒否られた。
 そう感じた僕は、勇気を振り絞ったのが急にバカバカしくなって、でも笑って、「そっか」とか言って鈴月に本と生徒証を改めてさしだした。「ごめんね」と鈴月に言われて首を横に振りながら、いつのまにか並んでいた生徒に、「次の人」と声をかけた。
 表面では淡々としたふりをしていても、本当は空気が薄くなったんじゃないかと感じるほど呼吸が苦しくて、死んでいるといつも言われる目から何かあふれそうだった。
『容疑者は、殺害した女性被害者にストーカー行為をくりかえし──』
 その日、帰宅して床に転がってテレビを見ていたら、そんなニュースが流れていた。
 殺したらあの鈴月も手に入るかもな、と思った。でも僕には殺人なんて勇気はないし、そもそも手に入れたいのは鈴月の笑顔だ。殺したら、あの笑顔も消えてしまう。
 いや、きっと僕には鈴月の笑顔を守る強さもない。仮に手に入れたって不幸にするだけだ。そして、そんな僕を鈴月が愛することがないのは、彼女の当然の権利なのだ。
 でも、だとしたら僕はどうすればいい? それでも鈴月が好きなのだ。もっと話したい。笑顔を見たい。親しくなりたい。だが、この想いは叶わない。だとしたら僕は、鈴月を殺すより、鈴月に殺されたいと思う。
 そうだ。この想いが届かないのなら、僕は鈴月に殺されてしまいたい。そうしたら、鈴月は僕という十字架を永遠に背負うだろう。
 鈴月に殺されたい。この恋心もろとも、ひと突きで。生きいきした彼女に恋した、死人のような僕に罰を与えてほしい。
 僕は鈴月に心を奪われている自分が憎くてたまらない。僕をこの想いから解放してほしい。忌まわしいほど愛する鈴月の手で。
 君に愛されることのない僕は、君に殺されて何もかも感じなくなってしまいたい。
 君の消えない罪になりたい。それでも君は笑顔だろう? だって君は、僕のことなんか、何とも想っていないのだから。

 FIN

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