ジェリーフィッシュ

「何でハルくんは顔出ししねえの?」と訊いてみると、「歌い手ってそんなもんでしょ」とハルくんはさらりと答えた。「改名のときに、こう、ばーんとそのイケメンをさらすと思ってたわ」と俺がつぶやくと、ハルくんはただ咲った。
 俺はひと昔前くらいに、某動画サイトでボカロPとして、けっこう、そこそこ、活躍していた。でも、最近はボカロ曲をせっせと作るより、アーティストに楽曲提供するほうが多い。
 仕事になっちまったなあ、と少し退屈感があっても、音楽に携われていることはありがたい。俺がミリオン出せるようなボカロPだったら、またボカロ文化を盛り上げられるのかもしれないけど、残念ながらそれほどのPではなかった。
 ハルくんとは、だいぶ昔からのつきあいだ。俺のボカロ曲を歌い手のハルくんがいくつかカバーしてくれて、いつのまにかSNSのほうでもつながっていた。それから、通話してみたいということでメッセアプリでもつながって、そのうち会ってみて、どんどん仲良くなった。
 ハルくんは去年、「くらげ」という新しい名義でメジャーデビューを飾った。デビューアルバムには、俺も楽曲提供させてもらったけど、メインはハルくんが自分で作詞作曲した楽曲だった。満を持してのデビューだったから、そのアルバムは、CD衰退のこのご時世にかなりがっつり売れた。
 でも、ハルくんは特にその金で豪遊することもなく、ストイックに音楽を作っている。金はその機材とかに消えていくみたいだ。俺はちょっとでも印税が多く入ると、美少女のフィギュアやアクスタにつぎこむ。ヲタの宿命だ。
「そう言うカイくんも、顔は出さないよね」
 透けるような金髪に脱色したハルくんは、隣を歩きながら低身長の俺を見下ろす。俺がバカでかいアニメショップの本店に買い物に出たついでに、一緒に飯を食ってきた帰り道だ。
 六月の終わり、梅雨の合間の晴れた夜だった。蒸し暑さはあるけど、月にかかるのも薄雲で、空気の匂いも湿気ることなく澄んでいる。
「俺は普通に、ブサメンだからだよ」
「はは」
「否定しろよ」
「ごめん。カイくんは、作る曲はかっこいいよ」
「曲かよ。まあ、そう言われるほうが嬉しいけどな」
 そう言いながら、俺はカードキーを取り出す。ハルくんは俺の愛犬である豆柴がお気にいりで、よく俺の部屋にも遊びにくる。
 オートロックのマンション七階の一室に戻ると、秋桜あきざくらと名づけている黒い豆柴が、玄関に嬉しそうに駆けてきた。ちなみに、秋桜のためにエアコンはつけっぱなしなので、家の中はすでに涼しい。
「おー、ただいま、アキ」
 丁重に戦利品をマットの上に置いたあと、俺はひょいと秋桜を抱えあげる。秋桜は俺の頬をぺろっと舐めて、尻尾をぶんぶん振りまくる。
「秋桜ちゃんって」
「ん?」
「アキって呼ぶなら、名前、アキちゃんでもよかったんじゃない?」
「そんなん、雄みたいだろうが」
「そんなことないと思うけど」
 俺はふうっと息をついて、秋桜をハルくんの腕に任せる。
「昔、よく見てたケータイサイトが『コスモス色』っつったんだよ。荒らされまくって、閉鎖したけど」
「荒らされた」
「今で言う、炎上かな。援交やってる女子高生が主人公の小説が連載されてたんだけど」
「うん」
「書籍化の話まで来てて──いや、もしかしたそれが原因かもしれないけど、全部、管理人の実話だってばれたの」
「管理人さん、援交やってたってこと?」
「そ。でも、メールのやりとりしてたけど、いい子だったよ。好きな人に彼女がいて悩んでるような、普通の女子高生」
「……そっか」
「『ごめんなさい、さよならになります』ってメール来て、すぐ返事したけど、エラーメールで。サイトもなくなってて。SNSとかはまだない時代。今はどうしてるのか知らん」
「それ、カイくんの初恋?」
「どうだろうな」と俺は肩をすくめて、置いたのと同じく丁重に戦利品を持ち上げると、廊下を抜けて広いリビングに出る。ハルくんみたいな一等地の高層マンションは無理だが、俺も3LDKの一室に住めるくらいの稼ぎはある。
 本日ゲットしたお宝を、ショウケースにバランスを見ながら並べていく。そろそろ、新しいケース買わないといけないな。そんなことを思う俺の隣をよそに、ハルくんは床に腰を下ろして秋桜とじゃれている。
「ハルくんは」
「うん?」
「どうなの、『くらげちゃん』と」
 俺の不意打ちの質問に、ハルくんは少し目を見開いたあと、苦しそうにうつむいた。だいぶ古いつきあいだから、俺は知っている。ハルくんには昔、SNSにも『相方います』と書いておくくらいの、大切な女の子がいたことを。
 いつのまにか、その一文はプロフ欄から消えていた。そのときは何も訊けなかった。ただ、ハルくんが「くらげ」としてデビューしたとき、もう会えなくなった女の子から「くらげ」という芸名を取ったと、インタビューを受けているのをテレビで観た。
 メジャーデビューになったアルバムのリードトラックは、“あの夏の残像”という曲だった。それは、おそらくハルくんが『くらげちゃん』との想い出を──いや、まだ生きている想いを綴った歌だった。
 ふたりだけの教室。お気にいりの小説。浴衣すがたの君。一緒に見た花火。僕の歌は届いてる? 君はあの日を憶えてる? 僕の手を握り返した君を、僕は忘れないよ。
 そして、俺のボカロを歌うときとは違う、ゆっくり、噛みしめるような歌声でこう締めくくる。
 ねえ、いつか君の書いたお話が読みたいな。
「あの子には……もう会えないから」
「ほんとに?」
「会えない」
「会いたいのに? 俺みたいに、音信不通ってわけでもないだろ」
「似たようなものだよ」
「何かつながり残ってんだろ」
「残ってない」
「彼女は今、書きはじめてんじゃねえの」
 ハルくんがびっくりした顔で俺を見上げる。俺は無頓着にショウケースのガラス戸を閉め、耐震ロックをかける。
「歌詞がさ」
「歌詞……?」
「“お気にいりの小説”ってフレーズ、もともと書いてる子だったら、そこにも“君の書いた小説”を持ってきて、リフレインにすると思った」
 ハルくんは俺をじっと見つめたあと、何だか情けない笑みになって、「カイくんにはセンスかなわないなあ」ともらす。
「でも──はっきり分からないのは本当なんだよ。俺のフォロワーに、もしかしてって思う子がいるだけ」
「フォロバは?」
「してない」
「してみたら」
「……怖くて」
「怖い?」
「俺は彼女をすごく傷つけたから」
 俺は機材が並ぶ作業デスクの椅子に腰かける。すると、秋桜が俺の足元に駆け寄ってくる。
「合わせる顔がないんだよ。顔出ししないのだってそうだ。あの子はきっと、俺の顔なんか見たら、つらかったことを全部思い出すだけで」
「彼女の書いたもの、何とか読めねえかな」
「非公開リストでツイ見てるけど、公募に出したら落選しちゃったってつぶやいてた」
「ネットにあげないかな」
「……何となく、それはないと思う。彼女、ネットの怖いところをよく知ってるから」
「……そうか」
「ごめん」
「いや。俺も読みたかっただけ」
 ハルくんは俺を見上げて、壊れそうに微笑むと「あの子に初めて聴いてもらった歌、カイくんのボカロだったなあ」と懐かしむ表情になる。
「そうなの?」
「うん。“アルカリの空”」
「うわっ。すげえ初期じゃん」
「俺は好きだよ、あの歌」
「まあ、あれも俺の……想い出だわ」
「歌詞の“溶けていく赤い空”って、夕焼けのことだよね?」
「女心なんざ、秋の空とか紫陽花とかそんなもんなんだよ」
 ハルくんはやっと楽しそうに咲い、転がっていた骨ガムを取ると、俺のジーンズの裾を噛んでいた秋桜を呼ぶ。秋桜はハルくんを振り返り、骨をぽいと投げられると、素直に追いかけた。そして、座りこんで今度はそれを熱心に噛みはじめる。
 男ってのはほんと情けないもんだな、と苦笑する。初恋の女の名前を、芸名に重ねたり、ペットに名づけたり。でも──俺は片想いだったけど、ハルくんは彼女ととても想い合っていたのだろうなと感じる。
 くらげくんとくらげちゃん。何があったのか、俺は知らない。詳しく探ろうとも思わない。
 だけど、ふたりはかけはなれていても、きっとずっと想い合っていて、心はつながっているのだろうと俺は思っている。

 FIN

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