サガシモノ

 いつもバッグにさげているマスコットがなくなっているのに気づいたのは、今日も仕事を終えて、ひとり暮らしの部屋に帰宅してからだった。
 とりあえずお風呂でゆっくりして、ほかほかになったまま、ベッドサイドに腰掛けてバッグからスマホを取り出す。バッグを膝に乗せ、お風呂のあいだ充電しとくんだったな、と後悔して、ふと違和感を覚えた。こうしてバッグを膝に乗せると、いつも右肘に、柔らかいぬいぐるみの感触があるのだけど──
「……あれ」
 そうつぶやいてバッグを見直した私は、Gを目にしたときのレベルの短い悲鳴を上げた。
 ない!
 でびるいぬのマスコット!!
 なくなってる!!
「うそっ、え、うそでしょ……」
 内側に巻きこまれているのかとバッグの中を開いたけど、ぬいぐるみのすがたなんてない。それでもバックの中をあさった。ポーチに挟まっているとかそういうこともなく、見つからない。
 高校時代から大切にしている子なのに!
 えー、いついなくなったんだろう。帰ってきたときはあった? ダメだ、憶えてない。
 朝、通勤のときにはあったと思う。会社に着いてからは? どうだったかな。当たり前にさがってる子だったから、かえってぜんぜん意識してなかった……
 会社のロッカーに落ちてるかな? 通勤や帰宅の電車で失くしていたら詰みだ。それとも、この部屋のどっかに転がり落ちていたりして? それなら──
 私は髪もまだ乾いていないのに、勇ましく立ち上がり、探さなきゃ、とスマホを置いた。
 まずは、帰宅してバッグを放ったベッドを徹底的に調べることにした。
 まくらの下、ふとんの中、シーツの裏。そうだろうなとは思っていたけど、ないよねー、やっぱり。
 バッグを放った衝撃であの子が取れたなら、ころんと出てきて、そのとき気づくだろうし。
 玄関だ。玄関を見よう。
 廊下にも目を凝らしつつ、私は玄関の明かりをつけて仕事用と普段用、ふたつの靴しか出していない玄関にしゃがみ、靴の下やら中やら、何ならあるはずもない靴箱も開いて一段目から凝視してみた。もちろん、沓脱の隅に転がっているなんてこともない。
「マジで。ないんだけど」
 そんなことをつぶやきながら、私は部屋中をくまなく、引っくり返すように探しまわった。
 クローゼット。ぬいぐるみが飾られた棚。ベッドに戻り、その下さえも。
 途中から、これは部屋にはないなとうすうす感づいても、引っ込みがつかなかった。失くすわけがないキッチンもバスルームもトイレも探して、最後に見たのはなぜかベランダだった。
「……ない。ダメだ、失くした……」
 澄んだ夏の虫の声が響く中、茫然とつぶやく。すっかり暑くなって息切れもしていて、何だか頭はくらくらする。熱中症という言葉がよぎり、私は部屋に戻ると冷房をつけた。
 冷風がぶわっと流れはじめ、しばらくその風にさらされる。時計を見ると、何と零時をまわっていたので、どれだけ夢中になって探していたのかとため息が出る。
 ふらふらと冷蔵庫まで行って、ミネラルウォーターを取り出すと、グラスに注ぐのも面倒でそのまま飲んだ。かさかさになっていた喉に、水が染みこむ。
 何となく冷蔵庫の中も見てしまったけど、まあそこにあるわけもない。
 会社のロッカーか、紛失物に届けられていないか、それに賭けるしかないか──
 そう思って、ミネラルウォーターを冷蔵庫にしまい、何でこんなに必死にあのマスコットを探してるんだろうとふと考えた。
 いや、分かっている。あの人にもらったものだからだ。高校生の私を子供あつかいしてばかりで、正直、ぬいぐるみのマスコットが誕プレだったときは、軽く絶望した。でも私はやはり子供で、バカだったから、「こいつをいつも連れてれば、俺に会えなくても一緒だから」とか言われて、そういうものなのかと納得した。
 それ以来、いつもずっと一緒だった。スクールバッグじゃなくなっても、あのマスコットだけは引き継いで、新しいバッグにもさげていた。
 あの人に会わなくなっても。
 連絡さえ来なくなっても。
 それに傷つくことがなくなっても。
 私はベッドサイドに腰掛け、自分では捨てられなかったよな、と吐息をこぼした。
 よかったのかもしれない。そろそろ、あの人と細くつながっているなんて幻想は捨てるべきだった。
 こんなに探しても見つからないのは、あの人もまた、私の世界から完全にいなくなってしまったということなのだ。
 夢中になって探し物をした部屋は、めちゃくちゃに散らかっていた。片づけないと落ち着かない。
 明日は会社だけど、まあいいか。何か寝れないや。
 私はベッドを立ち上がり、すっかり自然乾燥した髪をヘアゴムでまとめると、「よしっ」と終わった恋にすがりつこうとした最後の悪あがきを片づけてやることにした。

 FIN

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