桜が咲きはじめた三月、尚里が四年間通った大学を卒業して、同時に図書館司書の資格を手に入れた。
その頃は何かと異動や転職も多いから、欠員が出て募集があるだろうと、図書館に勤めるおとうさんとおかあさんは言っていた。もしかしたら募集はなくて、両親とは別の図書館の面接に行くことも尚里は一応考えていたようだけど、やっぱりおとうさんたちの図書館で欠員が出た。「コネは期待するなよ」と言われていたけど、尚里は見事その図書館に採用され、さっさく四月から働きはじめている。
気づけば、尚里と姉弟から恋人同士になって九年が過ぎた。あたしが二十八歳になった五月、十六歳のときからバイトをして、こつこつと貯めていたお金で、尚里はエメラルドのエンゲージリングを用意してくれた。
おとうさんとおかあさんもいる誕生日の席で、「結婚してください」と尚里ははにかみながらあたしに告げて、左薬指に指輪をはめてくれた。あたしはまだぽかんとしているのに、おとうさんとおかあさんは早くも感動の声をあげる。「ちょっと浸らせてよっ」とあたしはふたりを黙らせてから、愛おしい尚里の瞳を見つめて「幸せになろうね」と微笑んだ。
結婚式の準備には、一年かけた。婚姻届を提出したのは、一ヵ月後に結婚式をひかえたバレンタインだった。三月十四日、二十三歳の尚里の誕生日でもあるホワイトデーに、あたしと尚里は結婚式を挙げる。
結婚式場の真っ白なチャペルだった。なにぶん元は姉弟なので、親族の席はどうすべきかと思ったけれど、プランナーさんが理解してくれていたので、そこは親族というより血縁で分けてもらった。つまり、新婦であるあたしの後ろにはおとうさんやその親戚、新郎である尚里の後ろにはおかあさんやその親戚だ。
さんざん試着して決めた純白のウェディングドレスで、晴天のもとチャペルの前におとうさんと待機して、中からオルガン演奏が聴こえてくるのを待つ。
「きっと、亡くなったおかあさんも祝福してるぞ」
控室であたしの花嫁すがたを見たときは、おとうさんはお決まりで涙ぐんでいた。「どうせ結婚しても同居で何も変わんないじゃん」とかあたしが言うと、「そのすがたで、そういうかわいくないことは言うな」とおとうさんは涙を拭いていた。
今はだいぶきりっとした表情で右側にいて、そんなことをつぶやく。あたしがベールの下でその言葉にこくんとしたとき、扉が開かれて、バージンロードの先にタキシードの尚里が待っているのが目に映る。
賛美歌が響いて、祭壇の前までゆっくり踏みしめていく。両側にいる列席者の親戚は、思ったより来てくれたと思う。義理とはいえ姉弟で結婚かともっと偏見されるかと思ったけど、幼い頃からあたしにべったり懐いていた尚里だったから、「おねえちゃん射止めちゃったんだねえ」とけっこう咲って受け入れてもらえた。
尚里の隣にたどりつくと、嬉しいような恥ずかしいような笑みを向けられる。背が高くなったり、声変わりしたり、軆つきがしっかりしたり、華奢な美少年だった尚里もずいぶん男の人らしくなったけど、昔から笑顔は変わらない。
「本日私たちは、大切な家族や友人の皆様の前で、ふたりの絆のために結婚の誓いを致します」
ふたりで声を合わせてそんな誓いの言葉を始めて、まずは尚里があたしに誓う。
「私、尚里は、美希音さんを生涯の妻とし、一生愛し続けることを誓います。初めて逢ったときから変わらず、美希音さんは僕の一番大切な人なので、そばで守っていきます」
そう言って微笑んでくれる尚里を見つめてから、あたしも尚里に誓う。
「私、美希音は、尚里さんを生涯の夫とし、一生愛し続けることを誓います。どんなことがあっても、あたしは尚里さんを支えて、癒やしてあげられる家庭を作っていきます」
そして、再びふたりの声で誓いの言葉を結ぶ。
「私たちは、これからもふたりで力を合わせ、お互いを思いやり、いつまでも幸せな時間を過ごせるよう、温かい家庭を築いていくことをここに誓います」
今日の日づけ、新郎新婦として名前を述べると、いよいよ指輪の交換だ。ベストマンは尚里の親友である蒼樹くん、メイドオブオナーはあたしの親友である彩季。蒼樹くんも彩季もすでに結婚しているから、てきぱきとサポートしてくれた。
まずは尚里があたしの指に指輪をはめる。次はあたし。どきどきしすぎて指が震えそうになったけど、ちゃんと尚里の指にぴったりはめられた。それからキャンドルの点火までできたら、ついに誓いのキスの番になる。
向かい合った尚里が丁寧にベールを上げて、あたしの瞳を覗きこんで咲う。あたしがそれに微笑み返すと、尚里はあたしの手を柔らかくつかんで、いつもの体温でほっとさせてくれてから、そっと、綿菓子を食むくらい優しくキスをしてくれた。
「結婚が成立しました!」
聖職者の高らかな宣言がなされて、一気に拍手や歓声があふれる。あたしも尚里も照れ咲いしながら、ふたりでチャペルを退場する。ちなみに、ブーケトスはあたしの職場の女の子が勝ち取っていた。
それから、式場の外で記念撮影をして、列席者と雑談になる。
こうやって見渡すと、みんな結婚しちゃってるなあと感じる。彩季は去年、ずいぶん遠距離だった中学のときからの彼氏である真辺くんと結婚した。蒼樹くんも、幼なじみのつばめちゃんという女の子と在学中に籍を入れている。そして、あたしと尚里の共通の幼なじみの誓は、大学時代に知り合った実鞠ちゃんという女の子と三年くらい前に挙式をあげた。
あたしと尚里が、何だかんだで一番最後になってしまった。
「おねえちゃん──あ、違う、美希音さん」
ふとそんな尚里の声がして、あたしはちょっと噴き出しながら振り返る。おねえちゃんはもうやめような。そう言おうとしたら、突然ピンクのリボンがかかった白い箱をさしだされて、あたしはきょとんとする。
「え、何?」
「今年も、バレンタインに生チョコくれたから」
「………、あ、ホワイトデー! いや待って、あたしナオの誕プレまだ家に隠してるし。夜にとか思って」
「うん、じゃあ夜でいいよ」
「そ、そう? 持ってこればよかったな。てか、どこに持ってたの?」
「おかあさんに預かってもらってた」
あたしは、おかあさんを見る。すると、少し離れたとこでおとうさんと並ぶおかあさんが、悪戯っぽく咲ってから手を振る。あたしは小さくくすりとしまってから、「ふむ」と箱を受け取る。
「何? クッキー?」
「蜂蜜のアップルパイ」
「何それ、めちゃくちゃおいしそうだな」
「うん、僕もそう思った」
「今食べていい感じ?」
「いいけど、パイだからぽろぽろこぼれるかも」
「それくらいいいでしょ。ウェディングドレスって米投げられてもいいんだから」
そんなことを言っておいて、あたしはシルクらしいリボンをするりとほどき、箱を開く。
すると、三角形のアップルパイがきつね色に焼き上がっていて、ふわりと風に甘い香りが舞い上がる。「やばい」と言いながら、さすがに素手より一緒に入っていたナプキンを一応使って、手のひらくらいのパイをつかむとさくっと頬張る。
「おいしい?」
尚里が首をかたむけ、あたしはうなずいて飲みこんでから「ありがとう」と言った。すると尚里はやっぱりかわいい笑顔を見せて、ああもう好きだなあ、なんて思う。
あたしの誰よりも大事な弟。そして恋人。今日からは旦那様。
この子が永遠に隣にいてくれるなら、あたしはもう何もいらないぐらい幸せだ。
「おめでとう、花嫁さん。撮るからこっち向いて!」
列席者の誰かのそんな声がして、あたしは満面の笑みのままそちらを向く。かしゃっという、そんなあたしを切り取って残してくれる音。「そのパイであーんとかしちゃえー!」という野次が飛んで、「ん、いいじゃん」とあたしは尚里を引っ張る。
「はい、ナオ、あーん」
あたしがそう言ってパイをさしだすと、尚里は周りに注目されてどぎまぎしたようでも、あたしの食べかけのパイを香ばしい音と共に食べてくれる。
そして、瞳を重ねると、笑みを絡める。
そんなあたしたちに、またにぎやかな歓声が沸く。
ああ、ほんとに幸せだ。尚里がいて、おとうさんもおかあさんもいて、友人たちも揃って。こんなに幸せでどうしようってくらい、幸せだ。
どこからか桜の花びらがひとひら飛んできて、顔をあげると青空が広がっている。
誓いの言葉は、尚里とふたりで考えた。もともとのベーシックな奴は、『病めるときも、健やかなるときも、愛をもって、生涯お互いを支え合うことを──』だったっけ。心から、尚里とそんな人生を送っていきたい。そして、死がふたりを分かつまで。尚里と一生を過ごしていく。
ピンクの桜の花びらは、さっきの尚里のキスみたいに、そっとあたしの髪飾りの白い百合に留まる。あたしがそれを指ですくいとろうとすると、「そのままでいいよ」と尚里は咲った。「そう?」とあたしも咲って、そういうことにする。
この百合の花の香りと、蜂蜜漬けの林檎のパイの香りが、なごやかな春風に踊る。きっとあたしは、この香りを甘く甘く胸に刻んで、ずっと忘れないのだろうと思った。
FIN