女の寂しさを埋めて稼いでいるくせに、祥佑は寂しがり屋だ。
深夜に仕事を終えて、いつもタクシーであたしの部屋に来る。合鍵で上がりこむと、クーラーをきかせたままのベッドにもぐりこんで、暗闇の中であたしの背中を抱きこむ。
「芽依子ちゃん」
あたしの耳に熱い舌をさしこみながらささやき、腰を押し当ててくる。それでやっと眠りから覚めたあたしは、祥佑の名前をつぶやく。
「ごめんね、寝てた?」
「……平気。仕事終わったの?」
「うん……」
祥佑の吐息には、アルコールの臭いがする。スーツはもう着替えているけれど、それでも煙草の臭いがする。
内腿にゆっくりこすりつけられるものが、硬くなっていく。あたしは祥佑の腕の中で、軆を返して彼と向き合い、その柔らかい茶髪を撫でる。祥佑はあたしの胸に顔をうずめ、服の中にほてった手をもぐりこませる。
「──芽依子ちゃん、今日、大丈夫な日?」
来る前に、一応、祥佑はそう確かめる。あたしがうなずくと、祥佑はそのままあたしに分け入ってくる。
祥佑の熱が奥まで満ち、あたしは壊れそうな声をこぼしてしまう。その声をキスでふさいだ祥佑は、舌に舌を絡めながら腰を動かす。ベッドがかすかにきしみ、あたしは祥佑の背中に腕をまわし、細身の軆にぎゅっとしがみつく。
やがて、祥佑はあたしの中にあまさず吐き出した。深く刺さったものが、子宮に生々しく浴びせたのが、その温度で分かった。
祥佑は安堵した様子で、あたしを抱きしめるまま、眠りに落ちてしまう。引き抜かれて、膣から内腿にゆっくりしたたった精液を感じながら、あたしも睫毛を伏せた。
朝起きたときには、祥佑はまだ眠っている。あたしは壁にかけたカレンダーを眺め、まあ今回はほんとに大丈夫だろうな、と思った。生理、おととい終わったばっかだし。
祥佑の朝食の準備も含めた朝の支度を終え、「行ってくるね」と彼の耳元でささやく。祥佑は唸ったけど、目は覚まさない。あたしはそのこめかみに軽く口づけて、寝汗をかいた茶髪を撫でると、クーラーはそのままにして仕事に出かけた。
ホストの祥佑と知り合ったのは、やっぱりホストクラブだ。失恋した同僚が、「行ってみたい」「男に癒されたい」と言うので、あたしはただ、彼女がぼったくられないように付き添った。
イケメンにちやほやされて、あっさり機嫌を良くしたその同僚が、その後ホスト狂いになったのはさておき、輪を外れていたあたしの相手をしたのが祥佑だった。
「あたしはただの付き添いだから、あの子にかまってくれたらいいよ」
そう言ったあたしに、「付き添いでも、ほっとかれるのは寂しいでしょ」と祥佑はにっこりとした。少し上目遣いの、かわいい笑顔だった。
「……いくつなの?」
「二十一だよ」
「あたし二十七だけど、おばさんだね」
「俺は気にしないよ」
同僚が入れたシャンパンのお裾分けを飲みながら、仕事だもんね、というひと言は飲みこんだ。別に、この子と喧嘩したいわけでもない。
あたしのことは祥佑がひとりで担当してくれて、席に着いたほかのホストたちは、酔い過ぎて元彼の浮気まで暴露する同僚に構っていた。
帰り際、祥佑はあたしだけにこっそり名刺をくれた。
「また来てくれる?」
「……分かんない。来ないかも」
「そうだろうと思ったから、書いておいた」
名刺の裏には、携番とメッセアプリのIDが走り書きされていた。あたしは祥佑を見上げる。祥佑は微笑んで、「また会いたい」とあたしの瞳を見つめた。
あたしは、そのホストクラブには二度と行っていない。行かなくても、祥佑は外であたしに会って、子犬みたいに懐いてきた。やっぱりかわいい子だなあ、と苦笑しているうちに、あたしは彼に恋をしていたし、祥佑も「自分であったかい家庭を作りたい」と冷遇されて育った家のことを語ったりしてきた。
「祥佑、結婚願望、強いよね」
「強いと思う。子供もたくさん欲しいな」
子供──かあ。正直、イメージしたこともなかった。けれど、祥佑が欲しいならあたしもたくさん子供が欲しい。
そう思いはじめてから、あたしはひとり暮らしの部屋の壁に何気なくかけていたカレンダーをよく眺めるようになった。あたしの生理は、だいたい三十日周期だ。月末に来ることが多い。毎月、かなり規則的にやってくる。今はそれがちょっと鬱陶しい。
生理が止まって。もしかしてって婦人科行って。おめでたですよって言われて。
それを報告したら、あたしは祥佑の夢に一歩近づいて、彼との家庭を持って幸せになれるのかもしれない。
祥佑は、きっちりした男ではない。セックスのとき、黙って冷静にゴムをつけたりしないことで、それは分かる。つけなくていいなら、なし崩しにそのほうがいいし、ゴムなんか面倒だと思っている。だから、念のため安全日かと訊きつつ、いつも「大丈夫だよ」と答えるあたしが都合よくて生でむさぼる。
何度も、カレンダーの前で、今回はできるかもしれないと思った。でも、まだ、あたしのお腹に祥佑の血が通う命は宿らない。今月も生理が来てしまった。あたしは舌打ちして、七月はまだ終わっていないのに、びりっとカレンダーを破る。
「実菜が妊娠したんだって」
その夜もあたしに中出ししたあと、祥佑はぽつりとつぶやいた。あたしは少し首を捻じり、「誰?」と眉を寄せる。
「話したことなかったっけ」
「知らない」
「俺が小学校のときから好きな女の子」
「そんな子、いたんだ」
「好きな子ぐらいいるよ」
「妊娠って、父親は祥佑?」
「俺の友達」
「………、泥沼じゃん」
「ふたりとも、俺の気持ちは知らないけど」
暗がりの中で、瞳をゆらゆら湿らせる祥佑を見つめた。好きな女の子。祥佑は今年、二十三歳になる。まあ、たとえ片想いでも、普通に本命ぐらいいるか。
どこかでは分かっていた。だから、祥佑の子供が欲しいと思った。子供さえできれば、祥佑を手に入れられる気がしたのだ。
「俺、二十歳からホストやってて」
「うん」
「けっこう、実菜には『やめなよ』って言われてて」
「うん」
「秀哉──友達にも、真っ当に働けって言われて」
「うん」
「俺のことどうしたもんかな、ってふたりで相談してるうちに、雰囲気でやっちゃったって」
「……そっか」
「俺、バカだよね」
「ホストもきちんとした仕事だと思うけど」
「そんなことないよ。俺、売れてるわけでもないし」
「あたしは祥佑のそばにいるよ」
祥佑はやっとあたしを見たけど、何とも言えない表情をうつむかせて、「一度、実菜と寝たことがあって」と言う。
「ゴムつけずにしようとしたら、引っぱたかれたけど、そういうとこが好きだった」
「………、」
「芽依子ちゃんがいつも生でさせてくれるのは、俺が好きだから?」
「……子供、たくさん欲しいんでしょう?」
「俺が欲しいのは、好きな人との子供だよ」
「……それは、」
「芽依子ちゃんがいつも生でさせてくれるのは、重い」
口をつぐんだ。祥佑はベッドを這い出すと、床に散らかした服を身につけはじめる。
「帰るの?」
「うん。合鍵も置いてくね」
「もう来ないの?」
「実菜に告白する」
「……でも、」
「秀哉がパニクってる隙に、俺が実菜を支える」
「自分の子供じゃないのに?」
「実菜の子供ならかわいいよ」
あたしはまくらに顔をうずめ、「いつか後悔するよ」と言った。祥佑は答えず、鍵束から外した合鍵をベッドスタンドに置いた。「じゃあね」と残し、まだ夜明けでもないのに、祥佑はあたしの部屋を出ていった。
それから、祥佑は本当にあたしの部屋を訪ねてこなかった。
ぼんやりしていたら、九月になっていた。なのに、カレンダーはまだ今月になっていない。八月は破らなかったのだ。だって、生理が来なかった。
先月のカレンダーに額を当て、「もう遅いんだよ」とつぶやく。ほんの少し、涙がこぼれる。ああ、もう、ほんとに最低だ。
財布から、かかりつけの婦人科の診察券を取り出す。
あたしはもう望んでいない。彼にもまったく望まれていない。そんな命を、むかむかしてくるほど重く感じる。そんな自分が嫌いだ。祥佑の無責任にやっと腹が立つ。
お腹に宿った愛に恵まれない子供の顔を、ただただ、見たくもない。
誰にも愛されない。きっとあたしにそっくりだ。
FIN