七色のガラス

 男子校に進んだからって、恋ができるとは限らない。そんなことは分かっていたけれど、中学時代、ゲイだということを殺して過ごすのがつらかった僕は、高校は男子校を選んだ。
 逆に気持ち悪いかなあ、と心配だったものの、もしかして恋はできなくても同じ指向の友達くらいはできるかもしれない。そんなことを思っていた。
 でも、結局一番仲良くなったクラスメイトである本間ほんま幸悟ゆきさとは、ストレートだった。背が高くて、細身だけど筋肉はしっかりついて、黒い髪や鋭い瞳がすごく綺麗で。
 友達として仲良くしてもらっているのに、僕はだんだん幸悟にどきどきするようになってしまった。罪悪感もあったけど、それ以上にもしかしてこんなに親しい幸悟なら、僕の想いこそ受け入れなくても、ゲイであることは否定しないかもしれない。
 それくらい、僕たちはあっという間に親友同士になった。
「あー、試験終わった! やっと夏休みだなー」
 一学期、期末考査の最終日、放課後の教室に残って幸悟はつくえの上で伸びをした。まだ冷房の名残があって教室は涼しいけど、すぐに熱気がこもってくるだろう。
 七月、外では蝉がもう鳴き出している。
まこと、夏休みって何か予定あるか?」
「僕は、お盆に帰省するくらいかなあ」
「俺もそれくらいだな。二年になったら、もう受験の話だろ。今のうちに遊ぼうぜ」
「そうだね。どこ行く?」
「涼しいとこー」
「はは。プールとか?」
「お、いいじゃん。行こうぜ」
「普通に市民プールだよね?」
「いや、ナイトプールとか怖いわ」
 僕は咲って、「一番近いプール探しておくね」と言った。「おう」とうなずいた幸悟は、「とりあえず帰りますか」と身を起こして席を立つ。僕も自分の席からスクールバッグを取ってきて、幸悟と並んで教室をあとにした。
 高校生になって、スマホを持つようになった。それでSNSを通じ、同じくセクマイの人と緩いつながりを持つようになっていた。僕はゲイであることと、友達に片想いしていることだけプロフィールに書いて、年齢とかはDMのやりとりまで発展した人にだけ打ち明けている。
『好きな人とプールに行く約束した』とつぶやくと、けっこういいねがついて、『誘惑しちゃえ』とかリプをくれる人もいた。幸悟と別れた帰りの電車でそれを見た僕は、苦笑いしつつ、僕に誘惑されてもあいつには迷惑なんだろうなあと切なくなった。
 ──なのに。
 髪がまだ湿っている帰り道、幸悟は僕をにぎやかな声がはじける市民プールの建物の影に連れこむと、ゆらりと瞳を合わせて唇を重ねてきた。僕は幸悟のTシャツをきゅっと握った。幸悟の舌が口の中にもぐりこんできて、僕の頭の中までかきまわす。
 荒い息遣いがたまにこぼれる。だるい夏風が抜けて、髪のカルキのにおいをそよがせた。
 さっきまでいたプールで、同年代の女の子たちからのナンパに僕がおろおろしていていると、「こいつは俺のなんだよー」とか言って幸悟が助けてくれた。女の子たちは、不快感を見せるどころか、むしろ嬉しそうな悲鳴を上げて「ごめんねーっ」とさっさと退散してしまった。
 幸悟に肩を抱き寄せられた僕は、じかに感じるその筋肉に頬を染めてしまった。そんな僕を覗きこんで、不意に幸悟は「かわいい」と僕の頬に触れてきた。僕は濡れた瞳で幸悟を見上げた。
「幸悟……」
「ん?」
「……すき」
「えっ」
「僕、幸悟が好き」
 幸悟は驚いたように目をみはったけれど、「そっか」と微笑んで僕の水気を帯びた髪を撫でた。そして、幸悟は僕の耳に口を寄せた。
「じゃあ、つきあう?」
 僕の潤んだ瞳が、幸悟の瞳に映りこむ。
 つきあう。幸悟と?
「でも、幸悟は──」
「別に、偏見とかないし。誠のこと、嫌いじゃないし」
「幸悟……」
「てか、誠ならいけんじゃねって正直思う」
 僕が頬をほてらせてうつむくと、幸悟は僕の手を引いて更衣室に向かった。そこで着替えを済ますと、市民プールの建物を出てすぐの路地に連れこまれて、僕は幸悟とキスをしている。
 晴れすぎた青空も、反響する蝉の鳴き声も、何だか遠い。ただ真夏の熱気に溺れ、だいぶ長いあいだ、むさぼるような口づけを交わしていた。
 ふと「やば……」とささやいて幸悟は僕を抱きしめる。幸悟の体温が、軆の弾力が、僕をくらくらさせる。
 幸悟は僕の頭を撫でて、「誠」と名前を呼んでくる。僕は彼を見上げる。
「どうする? つきあう?」
「え……っ」
「俺は誠ならいける」
「僕……は、」
「……気持ち悪かった?」
 僕はぶんぶんと首を振り、幸悟の首に腕をまわした。
「嬉しい」
 幸悟は咲い、「誠は全部俺のものだ」と抱きすくめてくれた。
 幸悟のものになれる日なんて来ないと思っていた。いや、同性とつきあえることだって半分はあきらめていた。でも僕は、こんなに好きになった幸悟の腕の中にいる。
 そうして、僕と幸悟の交際が始まった。プールから数日後、誰もいない日中の僕の家を訪ねた幸悟は、僕の名前を呼びながらいっぱいキスしてくれた。
 Tシャツを脱がせて、うなじから鎖骨、乳首まで丁寧に舌を這わせ、手が僕の脚のあいだに忍びこんでくる。僕のそこはすでに反応して硬くなっていたから、ちょっと恥ずかしくて腰をよじる。
「逃げるなよ」
 幸悟はくすくす笑いながら僕の腰を引き寄せ、ジーンズのジッパーをおろした。下着の上からかたちを揉まれ、僕は声をもらして幸悟にしがみついた。
 すると幸悟は僕の頭を愛撫して、「誠、かわいい」とささやく。幸悟は下着の中に手をさしこみ、直接僕に触れた。
「俺のも触って」
 幸悟が僕の耳元で言って、僕は恐る恐る幸悟に触れた。硬い。僕で硬くなってくれている。
 ゆっくり手のひらで幸悟にさすり、本能的にそこに口づけたいと思った。幸悟はシャツもジーンズを脱いで下着だけになると、僕の手をつかんでベッドに押し倒してきた。
 幸悟が僕に当たり、こすりつけあうように腰が動く。
「誠」
「ん……うん?」
「もっと触りたい」
 僕は幸悟を見上げ、幸悟は僕の唇をふさいで深く口づけてくる。頭が発熱でポタージュみたいにとろとろになっていく。
 腰のあたりには緩やかな快感がただよって、たまにびくんと震えてしまう。幸悟は僕の肌をまさぐって、ほぐすように温めていく。僕は幸悟の肩甲骨のあたりをつかんで、弱く喘ぐ。
「誠……好きだよ」
 僕の耳を食みながら幸悟がささやき、僕は薄目を開けて彼を見つめる。
「めちゃくちゃかわいい……」
 僕も好き──そう言いたいのに、切ない声がもれてしまって、声にならない。
 幸悟は僕の下着を脱がせて、お互いはだかになった。幸悟は当たり前のように僕を口を含んで、その包みこむ温かい柔らかさに僕はいっそう声を上げて、爪先まで痙攣してしまう。僕をきゅうっと吸い上げてくれる音が響く。
「ゆき……さと」
 僕が幸悟とつないだ手に力をこめると、幸悟は僕をしごきながら顔を上げる。
「ん? どした?」
「きもち、よくて……何か、怖い」
「怖くないよ。いっぱい気持ちよくなって」
「僕も、幸悟の……したい」
「一緒にする?」
「うん……」
 すると、幸悟は身を起こして僕をまたいで、脚のあいだを僕の目の前に持ってきた。僕はどぎまぎしながらも、幸悟のそれが愛おしくて、手を添えるとちゅっと音を立ててキスをする。
 幸悟は僕のことを飲みこむようにくわえて、ねっとりと舌を絡みつける。息遣いを荒くさせながら、僕たちはお互いが射精するまで快感をさぐりあった。
 その日、幸悟が帰ってしまっても、僕は軆がうずうずして自分でなぐさめた。幸悟の指や舌、鼓膜に溶けた熱っぽく甘い声を想って出してから、ベッドに横たわって大きなため息をつく。
 親が帰宅する前に片づけて、SNSを開くと『親友とつきあうことになった』と入力したものの、送信はやめた。
 分からない。まだ分からない。だって、幸悟はストレートだし。もしかわいい女の子に出逢ったら、僕のことなんか──
 僕の不安をよそに、夏休みのあいだ、幸悟は僕に会いにきてくっついたり、触れたり、キスもしてくれた。お盆のあいだは、帰省で幸悟に会えないのが寂しかった。やっと地元に戻ってきて、いつもより積極的に甘える僕を、幸悟は微笑んで受け入れてくれた。
 そして、「もっと誠のかわいいとこ見たい」と言って、ローションで僕の体内をほぐしていくことを始めた。僕は全身の関節が蕩けてしまうような快楽に震えながら、次第にそこを幸悟のものでつらぬいてほしいと願うようになった。
 夏休みのあいだは、誰もいない昼の僕の家を使えた。けれど、二学期が始まってからは、そうもいかない。しかし我慢などできない僕たちは、学校のひと気のない場所で制服のまま求めあった。
 どこかで誰かの笑い声や話し声が聞こえている。カーテンのない窓はパノラマの快晴で、室内は汗ばんでくるほど暑い。わずかなホコリっぽい匂い。
 そんな空き教室の教壇で、黒板にもたれながら、はやる指でお互いのシャツのボタンをはずしていく。
 制服を着崩して、その中に手をもぐりこませると、互いの肌をクリームをすくうように愛撫する。夢中でキスをしているうちに脚のあいだは硬くなり、膝が崩れそうな僕の腰を抱き寄せ、幸悟は僕をもっと刺激してくれる。
 声を抑えるのが大変で、僕は自分の指を痕が残るほど咬んだ。幸悟の指が僕の中を柔らかくして、それから立ち上がってファスナーをおろすと、幸悟の先走った先端が僕に分け入ってくる。
「誠……」
 僕の中に飲みこまれながら、幸悟はいつも名前を呼んでくれる。咬みつく僕の指に指を絡め、首筋に唇を当てて「好きだよ」「かわいい」とささやいてくれる。
 幸悟が僕をつかんでゆっくりしごく。僕は浮かされた目を空中に彷徨わせ、幸悟の手の動きに合わせて呼吸をはずませる。
「もっと……」
「……ん?」
「もっと……誠をめちゃくちゃにしたい」
「幸悟……」
「いやらしいとこ見せて。声も聴かせて」
「……でも、誰か……来たら、」
「来ないよ。だから、声聴きたい……」
 そうなのかな。大丈夫なのかな。そう思いつつ、僕はそっと指を咬みしめる歯を緩めた。幸悟が僕の奥を突いて、思わず声が出てしまう。その声で幸悟がもっと硬くなったのが分かった。
「誠……すき、かわいい……もっと俺だけのもんになって……」
 幸悟はさらに僕の中を動き、制服を着たまま僕はこめかみや背中に汗を伝わせ、切なく喘ぐ。
 黒板につかまって、そこに頬を当てると意外とひんやり冷たい。僕の我慢できない透明なものが、失禁みたいに床に飛び散っていく。
 次第に、僕も幸悟も互いの名前しか声にならなくなって、まるで深いクッションの中に身を投げるように、吐精して座りこむ。幸悟は僕の背中を抱いて、僕は幸悟の胸に頭を預けて、そのまま動かなかった。
 秋になっても、冬になっても、幸悟は僕を大事にしてくれた。二年生の春、違うクラスだと分かったときには、僕より幸悟のほうががっかりしていたぐらいだ。「これからも仲良くしてくれるよな」と言われて、「つきあってるんだから」と僕がはにかんで言うと、幸悟はやっと安心した笑みを浮かべた。
 つきあっている。そう、僕は幸悟とつきあっているのだ。何だか、そのことにようやく自信が持ててきた。だから、下書きに残ったままだった『親友とつきあうことになった』というひと言を、やっとSNSに投稿した。
 フォロワーの人たちは思ったより祝福してくれて、『俺ももともと親友だった奴とつきあってるよ』と話しかけてくれる人もいた。でもやっぱり、ストレートとの恋なんてないと思う、という感じのことをつぶやいてきた僕だから、それに同感していた人たちには『気をつけなよ』と心配されたり、『どうせ女に取られるのに』と意地悪なことを言われたりもした。でも、夏になって交際が一年を過ぎても、幸悟は僕を裏切ったりしなかった。
 温かくて、七色みたいに色鮮やかな毎日だった。幸せすぎて、こんな毎日がずっと続いていいのかなと思うぐらいだった。
 三年生になるときにはクラス替えがない。それでも、僕と幸悟は仲がよくて、同級生には「あいつらデキてるんじゃね」とささやかれるほどだった。そのうわさが不快ではないかと不安になると、「実際デキてるからなー」と幸悟は笑った。そんな幸悟の笑顔に安心していると、僕たちは大学受験も終えて卒業式を迎えた。
「誠は家族来てんの?」
「おかあさん来てるよ」
「そっかー。挨拶したほうがいいのかな」
「幸悟は?」
「んー、俺のとこは来なくていいって言っといたし──」
 まだ肌寒いけど、桜は咲きはじめている。式が終わり、体育館の前で卒業証書の筒を持ったままそんな話をしていると、不意に「幸悟!」と元気のいい声が聞こえた。
 振り返ると、ワインレッドのコートを着こんだ長い髪の女の人が、こちらにぶんぶんと手を振っていた。その人を見て、幸悟がこぼした名前に僕ははっとする。
「……真琴まこと
 僕は幸悟を見上げた。幸悟もはっとして僕を見て──でも、割りこむみたいに女の人が幸悟に抱きついて、その頭をくしゃくしゃに撫でた。
「卒業おめでとーっ。ったく、家族は来なくていいとか冷たいこと言いやがって。あんたがそういうの言うと、気にするのはかあさんなんだからねっ」
「いや、高校の卒業式ぐらいひとりで──」
「ダメ。そういうのがダメ。あたしたちはわざとらしいほど家族っぽいことしていきたいんだから」
「家族っぽいって……別に、それっぽくしなくても家族だろ」
「それをかあさんととうさんに言ってあげてよ、ほんと。あれ、この子、友達?」
「ああ。──ごめんな、こいつ真琴っていって」
「姉を呼び捨てにすんなっ」
「義理じゃねえか」
「義理とか関係ない!」
 真琴さんに小突かれて、「痛ってえな」とか言いつつ、幸悟は笑顔を見せている。僕にはそんな無邪気な笑顔、見せてくれたことはない。というより、「マコト」って僕と同じ名前──
 すき。
 かわいい。
 もっと──
 ……ああ、そうだよね。姉弟なら言えないもんね。どんなにそう甘くささやきたくても、相手にしてもらえない。だから僕に言ってたんだ。代わりに。そう、幸悟が好きだったのは、いやらしいことしながら、いつも呼んでいたのは──
 僕はうつむいた。風が頬に当たって、その冷たさにびっくりしたら、知らないあいだに涙がこぼれていた。
 驚いた幸悟と真琴さんに、ごまかすために僕は咲って、心がばらばらに砕けるのを感じながらも咲って、「今頃泣けてきたかも」とか言っておく。いつもの幸悟なら、僕の頭を撫でて優しくキスしてくれるのに、やっぱり真琴さんの前ではそうしようとしない。
 それが幸悟の本音なのだ。
「……ごめんね」
「えっ」
「さよならだから」
「───……」
「いいんだ、さよならで」
「……俺、」
「じゃあね、おかあさん探さなきゃ」
 身を返した。一瞬、期待した。幸悟が僕の手をつかんでくれるのを。でも、あの体温が僕の手につながることはなくて──
 ああ、僕はバカだな。ずっとなんてありえない。永遠なんてやっぱりなかった。
 信じてなかった。分かってた。だからいいんだ。
 温かい恋だと思っていた。でも今、胸の中の陽だまりは砕け散り、七色の夢心地も消滅していく。ただ冷えきった風が頬を殴る。さよなら、ともう一度口の中でつぶやくと、僕は冷たく色あせていく高校時代を想って校舎を見上げる。
 横切る桜の花びらは白くて、ぜんぜんピンク色じゃなくて、僕の破片さえも漂白していくようだった。

 FIN

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