いつかの告白

「あたし、両想いなんて神話は信じないわ」
 夜二十二半時、地上波初登場のノーカット映画が終わった。それから同棲している恋人の孝優たかまさと私は、次はゲームで経験値を溜めるか、あるいは録画したアニメを消化するかで喧嘩を始めた。
「アニメは毎週溜まっていくんだから!」と私が主張していると、突然ドアフォンが鳴る。ついでにドアに蹴りも入った。
 私たちは顔を見合わせ、「園実そのみちゃんじゃん?」と孝優が言って、たぶんそうだろうと私も思ったので立ち上がる。そして、「ドア蹴らなくても分かるから」と私が玄関を開けると、甘めの栗色のボブショートの園実が、大まじめな面持ちでそんな開口一番を言い切った。
「何、また振られた?」
「うっさいな。そうだけど」
「最後に園実がうまくいった報告したの、いつかなあ」
「忘れたわ、年単位のことなんか」
 園実は部屋に踏みこみ、「酒持ってきたぞー!」と孝優にエコバッグをさしだす。「でかした」と孝優はそれを受け取って、私は息をつきながら、ドアの鍵とチェーンをかける。
「ほーら、真帆子まほこでも飲める炭酸抜きのスムージーカクテルも買ってきたよー」
 リビングに戻った私に、園実は小さめの缶を二本押しつける。青りんごのグリーンスムージー。マンゴーのオレンジスムージー。まあ、おいしそうではある。
「で、今回こそ祝杯なの?」
 そう言った孝優に、園実は「うるさいな眼鏡野郎」と人の彼氏にも容赦ない口調を使う。
「園実、今回は何て言われたの? それともフェードアウト?」
「『一緒にいて楽しいから、恋愛対象として考えられない』」
「何それ……。意味分かる?」
 私が投げると、孝優はわりとあっさり答えた。
「つまり、性的に興奮できないと」
「はあ!? そういう意味なの? クソが!」
 言いながら、園実はぷしゅっと缶ビールを開けて、一気にあおる。
「一緒にいて楽しくなくても、男ってつきあわないよね」
「そりゃあな」
「じゃあ何であんたは私とつきあってるの?」
「楽なんだよなあ」と孝優はしみじみとワンカップを飲む。
「結婚するときの妥協条件、その一だわ」
「でも、私たち、けっこう喧嘩してるよ? 今もね、ほら、こいつしれっとゲーム始めてるでしょ。私は録画したアニメが観たいって言ってるのに」
「真帆子は、もうアニメ配信サイトに登録すればいいじゃん。そしたら、録画の手間もないし、容量も心配いらないし、スマホで観れるし──」
「月額はらってくれるの?」
「保存してるDVDのが絶対高いぞ」
「くっ。でも、スマホって……せめてタブレットで観たいよ。買って!」
「自分で買って」
「うおおおお!」と園実はすごい勢いでビール缶をフローリングにたたきつけ、「失恋した奴の前でいちゃつくんじゃねえっ」と叫ぶ。近所迷惑もいいところだ。
「これは口論なんですけど」
「カップルが噛み合った会話してるだけで不快なのっ。何なの……何であたしには彼氏ができないの?」
「ちょっとぐらい最初は猫かぶっておけば?」
「そしたら、最初だけじゃない。本性知られた時点でおしまい」
「知られるとヒカれる本性と自覚してるなら、根本的に変わるしかないな」
 そう言って、孝優はくいっと眼鏡を抑える。
「てかさ、男から告ってくることはないの?」
「昔はあった」
「昔か……」
「二十五過ぎたら、マジで何もないわ。このまま三十五歳になって、四十五歳になるんじゃないの、あたし」
「それに抵抗して、いろいろ頑張ってるのは認める」
「俺はマッチングアプリとか怖くてできねえな。待ち合わせに変なの来たら怖いし」
「出たよ、社内恋愛カップルが」
 私と孝優の職場は、同じヲタ系グッズのメーカーだ。ちなみに園実は美容師をしていて、死ぬまでに自分の店を出したいと言っている。私が高校のときの学園祭でコスプレすることになり、園実がヘアアレンジをやってくれたのが仲良くなった切っかけだ。
「うちは店内恋愛は暗黙で禁止だしなあ」
「気になる人いるの?」と問いながら、私もオレンジスムージーをちびちびいただく。
「笑えるぐらい、みんなよそに彼女がいる」
「孝優、紹介できそうな友達はいないの?」
「むさいヲタ野郎でよければ」
「やだよおおおお。男でも最低限のおしゃれはしてええええ」
「園実自身が変わりたくないなら、男のハードル下げるしかないよ」
「真帆子は、孝優くんとつきあうときハードル下げたの?」
「こんなもんかなとは思ったけど」
「あたしは好きな人に好きって思われたいだけだよ。そこまで贅沢言ってる?」
「好きな人には、どっちかと言えば好きかなあって思われたら、それで儲けものだよ」
「すべてにおいて緩い……。相思相愛になるポイントが緩すぎて、あたしにはつかめない」
 園実はぐったり床に伏せり、お酒がまわってきたのか、しくしくと泣き出した。泣き上戸なのだ。
「俺はさー」
 マッチングアプリは怖いと言いつつ、ゲームではどこかの誰かとパーティを組んでフィールドを走っている孝優がつぶやく。
「園実ちゃんぐらい、全力で恋愛感情ぶつけるのもいいと思うけどな」
「私は感情表現が質素ですみませんね」
「俺も年単位で真帆子に好きとか言われてないもん」
「あんたは言ったのか?」
「言ってないです」
「前は毎日のように言ってたよねえ」
「あれほど言わなくていいけど、たまに言われたほうが安心かなあ」
「言えって言ってるの?」
「今じゃなくていいけど」
「……そりゃ、嫌いではないぞ」
「アニメ観せないし、タブレット買ってやらないし、友達ヲタばっかだけど?」
「言わせようとしてるでしょ」
「言うかなーと」
「まあ……どんなアニメ観ててもひかないし、動画観たいときはPC貸してくれるし、友達の奴らはみんなおもしろいから──」
 そこまで言いかけたら、それだけで、孝優は私に嬉しそうな笑顔を見せる。
 何だよ。言わせないのかよ。まあ、確かに「好き」なんて気持ちは、もはや私たちのあいだでは秘密ではないけれど。
 零時が近づいてきた頃、園実のスマホが鳴っているので、私は眠りこける彼女を揺り起こした。「んー、何だよお」とぼやきながらバッグに入っていたスマホを見た園実は、「あー、竹下たけしたさんだ……」とすぐ床に伏せってしまう。
「誰? 同僚?」
「お客さん……連絡先渡されたから、たまに連絡取りあってるだけ……」
 私と孝優は顔を合わせた。何だ。ちゃんと、目にとめてくれている人もいるんじゃない。「だけ」って言い方からして、園実のほうは完全に度外視しているけど。
 そういうのに気づくとこからだよ、と私は眠ってしまった親友に毛布をかける。それを見守っていた孝優が、ふと私の名前を呼んだ。
「うん?」
「お前の友達、恵まれてるよな」
 私は孝優を見つめ、くすりとしたあとに「そりゃそうでしょ」と返す。孝優は私を小突くと、放っていたゲームに向き直って、チャットに急いで『ごめん、彼女が甘えてきてた』とか入力する。『死ねリア充よ』とか『仲いいよねー』とか続いて、私まで笑ってしまう。
 ねえ、孝優。私は忘れてないよ。大学を卒業して、同じ会社に入社した孝優が、「離れたくなかった」と必死な表情で伝えてくれた日のこと。
 あの日、君は気の合う友達から、気になる男の子になった。それをきっと、ずっと忘れない。だから、私はこれからも君と一緒にいるんだと思う。
 ──なんて話は、今は黙っておくんだけど。いつか打ち明けられるかな。すごく長いあいだ共に過ごしたあと、そんな話もできるといいな。

 FIN

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