僕の幼なじみは、僕のためなら何だってやる。あいつを殺してと言えば満面の笑みで殺すだろうし、お前なんか死ねと言えば僕を殺してから死ぬだろう。
そんな彼女が、正直、僕は怖い。
花乃子という彼女は、道を歩けば、だいたいの人がちらっと目で追うと思う。それは、花乃子がとんでもない美少女だからというより、黒基調のゴスロリの服ばっかり着ているからだ。
薔薇の刺繍があるヘッドドレス、これでもかというフリルのセパレート、繊細なレースがあしらわれた姫袖、パニエでたっぷりふくらませたスカート、なめらかな素材のニーソに高いヒールのエナメルシューズ。
これらがほとんど黒、ちょっとだけ白、稀に赤のアクセントが入る。
何でそんな人形みたいな格好をするのかと問われたら、花乃子はにっこり咲って、こう答える。
「だって私は、太陽ちゃんのお人形だもの」
いろいろ誤解されるから、その回答はやめてほしい。
しかし、これは幼き日の僕が悪いのだ。花乃子に「私、太陽ちゃんのお嫁さんになる」と言われ、絶対彼女には言えないけどほかに好きな女の子がいた僕は、「花乃子は僕のお人形さんだから」と将来とんでもない誤解を生むことも知らずに言った。
花乃子は一瞬きょとんとしたものの、「じゃあ、太陽ちゃんにかわいがってもらえるお人形になるね!」とある意味ギリな感じで答え、それから彼女のゴスロリ人生が始まった。
哀しいかな、花乃子はそれが似合ってしまう黒髪白皙の美少女だったので、周りもあまり疑問を持たずに「かのちゃんかわいー」と女子は喜び、男子の性癖は妙にメイドに偏った。
しかし、そういう奴らに対して、花乃子はドライアイスみたいに冷たく非道だ。彼女が笑顔を見せるのは、僕が関係しているときだけで、僕は見たことがないから聞かされた話に過ぎないのだが、あろうことか花乃子に告った男子は無言で股間を蹴りあげられたらしい。その男子がそれで新たな扉に目覚めたという続きはさておき、花乃子は本当に僕のために存在しているかのような女の子だった。
さて、ここで僕が花乃子を恋愛対象として見たことがないのは、断っておきたい。だって、好きとか何とかの前に怖い。僕のために何でも犠牲にするから、本当に怖いのだ。
たとえば「明日の運動会やだなあ」と僕がぽつり言えば、雨が降る──みたいなファンタジーなことは起きないが、校長と教頭が急病で生死を彷徨うとかいやにリアルな緊急事態が起きる。その知らせを受けて、運動会が延期になると、「死んだら中止かな……」とか花乃子はつぶやいたから、僕は真っ青になって「運動会は金メダルもらわないとね!」と慌てて言った。
そしたら、花乃子は「そうだよねっ」と笑顔になって──その後もらった僕の金メダルだけが、どう見ても金メッキではなくずっしり本格的だったのは、なぜなのだろうか。
花乃子はかわいい。しかも社長令嬢で、お金持ちでもある。そして、僕に一途すぎるほど一途だ。とはいえ、やはり花乃子と恋愛はできそうにない。けして、嫌いではないのだ。だから面倒くさいのだけど。僕は花乃子を彼女にしたいとは一ミクロも思えぬまま、高校生になった夏、ついに初めての彼女を作った。
風香という彼女は、何と、ちゃんと高校に制服でやってくる。何と、朝は自分が配属された教室に向かう。何と、その教室で自分の席に着いて授業を受ける──分かっている、どこが「何と」というレベルなのかと。
しかし、花乃子はこれらがすべてできないのだ。高校でもがっつり私服のゴスロリ。一緒に登校した僕にくっついたまま、自分のクラスには向かわない。そして僕の膝に腰かけて首に腕をまわしっぱなしで、自分の教室では授業を受けない。花乃子の狂気がそろそろ伝わってきただろうか。
風香はもちろん花乃子のことを知っている。僕に手紙を押しつけられたときはびっくりしていたし、靴箱に入っていた返事には、『花乃子さんとつきあってるんじゃないですか?』とあった。しかし、僕は隣のクラスの風香に春からひと目惚れしていた。
花乃子は僕のためなら手段を問わない。だったら、僕だって風香を落とすために手段を問わない。僕は厳重な警戒をして呼び出した風香にきっぱり伝えた、花乃子は僕のストーカーなのだと。
「ストーカー……?」
放課後、図書室の奥まった場所だった。ふだん生徒はほぼ近づかない、何かむずかしい辞書や辞典ばかりの場所。
それでも花乃子の嗅覚はあなどれないので、僕はきょろきょろしたあと風香を見つめた。
「僕は入学式から君のことが好きだった」
ストーカー付きの男なんか怖い、と振られるのは覚悟していた。でも、花乃子の存在はそう説明しておくしかない。
風香はややとまどった様子だったものの、「太陽くんのことを知ったのは、花乃子さんの彼氏だと思ってだったから」と長い睫毛を伏せる。
「好きになっても意味がない、無駄だって思ってた……」
僕は目を見開いて、頬を染める風香を見つめ直した。風香は深呼吸して、それから僕を見つめ返すと、「よろしくお願いしますっ」と一礼してからさわやかに微笑んだ。
いつも僕の恋は、花乃子がいて、うまくいくことがなかった。花乃子のことが怖いと僕を避ける子もいれば、花乃子のほうが好きだと僕を突き飛ばす子もいた。でも、今、初めて好きな女の子と結ばれたのだ。
僕は笑顔になって、風香を抱きよせようとした──が、こんなときに姫袖がひるがえる音が図書室に入ってきた。僕はポケットに入れていた連絡先のメモを風香に渡した。「登録して」と素早く言ったとき、ヒールの靴音がこちらに向かってくる。
姫袖のはためく音はともかく、ヒールの音には風香も気づいたみたいだ。「気をつけて」と風香は心配そうに言ってくれて、僕はうなずくとその場から立ち去った。
すっとひとつ奥の棚の列に僕が逃げこんだとき、「太陽ちゃんっ」と花乃子が風香しかいなくなった列を覗いたらしい声がした。危ない、と息をつく間もなく、僕は窓側の通路で大回りして図書室をあとにした。ちょっとだけ、風香と花乃子をふたりにしたのはやばかったかなと思ったけど、聡い風香はうまくごまかすと信じることにした。
靴箱でスニーカーに履き替えて校舎を出た。花乃子は完全に土足でやっているけど、あれって何で許されているのだろう。花乃子の周りが闇すぎる。
怖い、ああ怖い。そんなことを思っていると、着信音が鳴って僕はスマホを取り出した。
『風香です。登録しました。
花乃子さんも図書室出ていったみたいだから──
そこまで読んだとき、「太陽ちゃんっ」という凛と通る声が頭上に聞こえた。僕は慌ててスマホをポケットに入れて、顔をあげる。
すると、二階の窓から花乃子が頭を覗かせ、「見いつけたっ」と笑顔で手を振っていた。僕がどうにか引き攣った笑みを返すと、「そこにいて!」と花乃子はひらっひらの服装にも構わず、いきなり窓の高さまでよじのぼりだす。え、何、と唖然としている間に、「太陽ちゃーんっ!」と叫んだ花乃子は、はちきれそうな笑顔のまま窓から僕のほうへと飛び降りてきた。
花乃子のことを、女の子として好きだと思ったことなんかない。
たぶん、死ねと言えば死ぬのも知っている。
でも、そのときは必ず、彼女は僕の喉を掻っ切っていくだろうから、死ねと言うに言えない。
それに、本当に、なぜだかどうにも憎めないから──
「花乃子っ」
僕は全身で踏ん張って、二階から飛びこんできた花乃子の軆を、両手を広げて必死に胸に受け止める。それでも、衝撃で地面に尻もちをついてしまって、がつんと腰を強打する。
マジ? これ、骨折れてない?
そんなことを考える僕の首に、花乃子はいつものようにするっと腕をまわしてしがみついてくる。「もー、太陽ちゃんの笑顔がかわいいから我慢できなかったよっ」とか何とか花乃子は言ってるけど、ほんと、何なんだこの女の子は。
周りの人たちも、さすがに茫然としていて駆け寄ることもしてこない。花乃子にぎゅうぎゅうと抱きつかれ、僕は白目を剥きそうになりながら天を仰いだ。そうしてみて、三階の窓に風香のすがたを見つけてはっとする。
だが風香は苦笑いを浮かべながら、頑張ろうね、と言うように小さくガッツポーズをしてみせた。それに僕は咲ってしまいつつ、ついに地面に大の字に寝転がる。
花乃子は僕に馬乗りになって、何か言っている。ようやく人が「大丈夫?」とか何とか近づいてくる。まったく。ぜんぜん大丈夫じゃないぞ。僕の恋は、このお人形ストーカーの前でいったいどうなるんだ?
分からない。何かもう、今は何にも分からないけど──僕は風香を幸せにしたい。それだけは固く誓おう。そう、僕のお嫁さんは風香だ。花乃子じゃない。
絶対に、絶対に、絶対に。僕が結婚するのは、花乃子じゃないんだ!
FIN