ZOMBIE VOICE

 声が膿んだことがある。喉がつっかえ、音が腐って、嗚咽も出ない。一生、このまま、俺の声は出ないのかと──
 放課後、真夏の陽射しを逃れて騒がしいファーストフードのボックス席で、氷がきいた冷たいコーラの刺激を吸いながら、スマホをいじっている。音楽ニュースをたどっていたら、XENONがレーベルを立ち上げて、新人のプロデュースを始めることが話題になっていた。『気に入った奴にしかやらないけど』なんてインタビューには答えている。
 梨羽りわはしゃべってねえな、と名前をたどりながら、頬杖をついたときだった。
じょう
 相席している彼女の真里亜まりあが、退屈そうにフライドポテトをマスタードに浸していた。「んー」と生返事して画面をタップしていると、真里亜が低い声で言った。
「……ジョー」
 俺は正面の真里亜にぎろっと目をやり、「そのアクセントで呼ぶな」とスマホを置いた。
「やっとこっち見た」
「何なんだよ、ジョーって。何のキャラだよ。俺の親おかしいよ」
「まあいいけどさ、人が話してるときにスマホいじってるって何なのさ」
「XENONがプロデュースとか始めんだってさ。そのインタビューで、梨羽が相変わらずしゃべってねえ」
「梨羽がべらべらしゃべったら世界終わるよ」
 真里亜は香ばしいカフェラテをすすり、同じ制服もちらちらいる周囲のざわめきに目を投げる。
「つーか、プロデュースってマジか。そんなのより、メジャー来いよなあ。アルバム探すの大変なんだよお」
「流通はしてるだろ。ネットで買えるじゃん」
「自分のアカウント持ってないの。あたしも、城の両親みたいに甘い親が欲しかったなー」
 俺は真里亜をちらりとして、甘いんじゃないよ、という言葉を飲みこむ。
 そう、俺は甘い親なんて持っていない。両親は、俺を腫れのもののように育てた。一度、失いかけたぶん──
「真里亜って、何でXENON好きなんだっけ」
「反社会的なところが」
「……にわかか」
「っさいな。城は何なんだよ」
「………、やっぱ、梨羽がなあ」
「あの人、カリスマだよねー」
「……うん」
 俺はホーム画面のXENONのジャケ写を眺めた。テーブルに散らばる錠剤の抜殻、倒れたコップの水たまり、それに浸る蒼白い手。相変わらず病んだ趣味だ。
 こういうのを考えるのは、ヴォーカルの梨羽だと聞いたことがある。梨羽はヴォーカリストのくせに、歌うのが嫌いらしい。
 じゃあなぜ歌う?
 そう突っ込んだ記事で、彼はかなり黙りこんだあと、ぽつりとこう答えた。
『……声が死なないから……』
 ──梨羽。声ってさ、死ぬよ? 俺、死んだことあるもん。
 今ではこの通り、普通の高校生だけど、昔、俺は声を出せなくなったことがある。
「きどりやがって。お前、ムカつくんだよっ」
 五年生に進級した頃だろうか。先生のいない教壇で、俺はクラスメイトの男子の何人かに囲まれていた。
 中でもどぎつい眼つきを刺してくるのが、そう吐き捨てて、黒板に俺の背中をたたきつけた吉口よしぐちだ。俺は眉をゆがめて、吉口の豚みたいな顔を見た。太った頬、切れると膨らむ鼻、二重顎。「何だよ」と吉口は俺の胸倉をつかんだ。
「お前、ちょっと女子にモテるからっていい気になってんだろ」
「調子に乗ってるのが態度に出てるぜ」
 吉口の鼻息に乗っかる周囲に、俺はうんざりと顔を背けた。最近、こういうのが増えてきた。別に吉口だけじゃない。女子はともかく、俺はどうやら同性に好かれないタイプのようだ。
 さらさらの黒髪、涼やかな目元、削られていく頬から顎のライン、たぶんこのクラス、いや学年で有数の容姿だ。実際、女子にはちやほやされる。
 けれど、調子に乗っているつもりはない。むしろ鬱陶しくて迷惑なくらいだ。だが、モテない奴は、俺が女子に笑顔で接しても、ぞんざいにあしらっても、こうやって文句をつける。
「お前なんか、学校来なくていいんだよ」
 吉口を見た。一瞥しただけだが、俺の目はそれだけで生意気に見える。俺は胸元をつかむ吉口の手を振りはらった。
「てめ──」
「……くだらねえ」
 そう吐き捨てて、俺は自分の席につかつかと戻った。すると、女子の数人がそろそろと歩み寄ってきて、「大丈夫?」とか訊いてくる。無視して、次の科目の教科書を引き出しから取り出した。
 男子には嫌われ、女子には冷たく、俺は次第にクラスから分離しはじめた。同じクラスになったときは喜んでいた女子も、あまりにもの俺の無愛想さに、遠巻きにひそひそ話をするようになった。その展開が男子共を勢いづかせ、毎朝つくえには『死ね』とか『消えろ』とかチョークで殴り書きされたりするようになった。
 トイレの便器に捨てられた体操服に小便を引っかけられ、やってきた宿題のページだけ破られ、びしょびしょの汚い雑巾をランドセルに突っこまれ──
 ゴミを捨てに、焼却炉に行ったときだった。扉を開けてゴミぶくろを焼却炉に突っこんだ瞬間、どんっと背中を押された。俺は目を剥き、振り返ったことで体勢を崩した。大声で笑うでかい口しか見えなかった。
 俺はそのまま、煙たさと熱っぽさが充満した焼却炉に倒れこんだ。さいわいまだ燃えていなかったが、噎せ返る臭いとこもった熱気、何より完全な暗闇にパニックになった。すぐ出ようとしたけど、扉ががしゃんっと笑い声を遮断した。
 やばい。これはさすがにやばい。死ぬ。焼け死ぬ。
 扉の内側に取りついて、声を上げようとした。でも、その異変にすぐさま脳内が真っ青になった。真っ暗闇の中で、体温がすうっと凍った。
 何だ。あれ。出ない。声が出ない。おかしい。声を出さなきゃ。死ぬだろ。助けてって叫ばなきゃ、俺──
 突然、光が眼球を刺した。悲鳴が聞こえた。そのときのことはよく憶えていない。とにかく、さいわいにも直後に六年がゴミを捨てにやってきて、俺を助け出してくれたらしい。
 保健室に連れていかれて、いろいろ訊かれた。何も答えられなかった。唇を噛んで煤けた手を見ていた。それは答えたくなかったからだけど、もう、そのときにはすでに、俺の声は死んでいたのだと思う。慌てて駆けつけたかあさんに付き添われて帰宅して、もちろん、イジメられているのかとか訊かれまくった。
 別に。
 平気だし。
 焼却炉は焦ったけどさ。
 そう言いたかったのに、刺さった魚の骨が取れないみたいに、それすら喉に引っかかって声にならない。「言ってくれないと分からないじゃないの」とかあさんは俺の肩をつかんだ。
「このまま学校行ってて、平気なの?」
 俺はかあさんの目を見た。かあさんの目は濡れていた。
 俺がイジメられているなんて知ったら、その水分はとめどなくあふれることになって、かあさんを悩ませることになる。声は出ない。だから、俺はせめてこくんとした。かあさんの不安そうな瞳は晴れない。俺は何度もうなずいた。
 大丈夫。そう言いたいのに、首を絞められているみたいだ。やがて、かあさんは立ち上がって俺を抱いて頭を撫でると、「無理なんかするんじゃないよ」と絞り出した。
 すぐ治ると思っていた。ぶっちゃけ、翌日になれば戻ると思っていた。朝、俺は一階に降りて、朝食をとっていたとうさんに「おはよう」と言われて同じ言葉を返そうとした。でも、開いた口から言葉が声をともなうことは、なかった。
 それから、焼却炉の件で、さすがに学級会議が開かれた。結局、犯人は分からずじまいだった。でも、下手をしたら死んでいたこの事件に、クラスは俺に何か仕掛けてくることはなくなった。代わりに始まったのが、無視だった。
「あいつって、ぜんぜんしゃべらなくね?」
「春は声出てたよな」
「何か、気味悪いな」
「話したくないんだろ。こっちもほっとこうぜ」
 そんな話し声が、ぼんやり聴覚を素通りする。俺だって、お前たちとなんか話したくないけど。それでも、変だ。さすがにおかしい。
 朝の出席で「はい」も言えないのだ。だから、いつも俺でつっかえて、舌打ちやため息が教室に渦巻く。
 何で。何で声が出ないんだろう。
 声を……出しても、誰にも届かない……から?
 それから、だんだん内界に閉じこもるようになった。誰とも目を合わせない。口をきかない。席でじっとして、ぎゅっと握りしめてこぶしを見つめ、うつむいて、散らばる雑音に目を閉じる。
 そうして、いつしか俺は、完全に世界から遊離して、孤立していった。
 六年生への進級のひかえた冬、ついに窮屈すぎて学校に行かなくなった。でも、家に引きこもることもできなかった。とうさんもかあさんも、口をきけなくなったことを、口をきかなくなったと思っている。家庭内は水中のような息苦しさで、ぎこちなかった。
 俺は通学路をそれて、住宅街を抜け、たまに犬の散歩が来るくらいのうらぶれた公園で時間をつぶすようになった。
 手入れされた公園ではなかったが、冬場のせいか、雑草は少なかった。遊具もなく、ベンチが離れて向かい合ってふたつあるだけだ。届く物音もなく、冷え切った風の音だけが耳たぶを切る。雨のあとでもないのに、泥っぽい臭いがかすかにただよっていた。
 俺はベンチに腰かけ、ランドセルは地面に放り、うつむいてため息ばかりついていた。
 ため息と一緒に、はあ、と声がもれることもない。人形みたいだ。でなければ、死体だ。本当に、死んでしまったと感じる。声が出せないだけで、こんなにかけはなれてしまうのだ。まだ声の出るうちに、吉口たちのことをチクっておけばよかったのか。そうしたら、大人が助けてくれて、声が死ぬこともなかったのか。
 分からない。むしろイジメが陰湿になって、やっぱり声は死んでいたかもしれない。俺は声だけ寿命が短かったみたいだ。たぶん、もう、誰とも話せない。話しかけてもらえない。俺は一生、この公園のように、誰にも相手にされずにひとりぼっち──
 そんなことばかり考えて、そういえば、涙も出なかった。首を垂れて、薄汚れたスニーカーをぼんやり見つめていた。
 死にたい、とか思うようになった。声が出ないのは、息ができないのと同じぐらい胸苦しい。叫びたいのに、音がなくて、想いは現れる前に消える。
 唇をぎゅっと噛んで、何かに耐えるようにその痛みに集中していたときだった。
 足音がして、前髪の隙間から視線だけ上げた。脚が見えたが、犬はいない。まあ、たまに老人も散歩に来たりするので、特に気にせず再度目を落とそうとした。が、その脚は向こう側の出入り口付近のベンチの前で止まり、おもむろにそこに腰かけた。
 眉を寄せて、顔を上げた。ブルージーンズと黒いダウンジャケットの若い男が、垂らしたイヤホンでたぶん音楽を聴きながら、冷たくて蒼い天を仰いでいた。眼鏡をかけるほどではなくも、俺はちょっと近視だ。顔はよく見えなかった。
 向こうは別に俺のことなんか気にしていないようで、何だかそれに教室での無視を思い出した俺は、勝手に傷ついてうつむいた。
 散歩の人は、公園をぐるりとしたらすぐ出ていってしまうが、その男は、俺がのろのろと立ち上がる放課後の時間帯まで座っていた。ニートなのか、とか思いながら、ランドセルを背負った俺は、公園をあとにすることにした。道路に踏み出す前、目線だけ振り返ってみた。
 そして唾を飲んだ。ずっと空を見ていたはずの男が、こちらを見ていて、嗤っていた。
 一瞬硬直したものの、ランドセルの肩ベルトを握りしめ、侮辱された気分で駆け出した。そのまま住宅街を抜けて、寒さも忘れて家に着いて、かあさんが顔を出す前にばたんと部屋に閉じこもった。
 何だ。何なのだ。あいつは誰だ。
 というか、何でいきなり嗤われなくてはならない? 確かに俺はみじめな奴だが、あいつが何を知っている。他人に突然嘲笑してくるとか、何だというのだ。
 心の中で一気に毒づいて、ベッドに身を投げた俺は、捨て鉢に心で吐き捨てた。
 あんな奴、死ねばいいのに。
 そんなことがあった翌日、公園に行って俺は仏頂面になった。あの男がいた。やっぱりイヤホンをして、空に顔を向けている。
 別の場所に行こうかとも思ったが、「こんな時間に何してるの」とランドセルつきの子供に声をかけ、何も言わない俺に、不愉快そうに顰め面になる大人がうざい。俺は男とは逆に地面に顔を向け、空いている奥のベンチに行き、ランドセルを足元に放って、乱暴にベンチに座った。
 一日、何だか対決しているような気分で公園に居座った。男は空を見て、俺は地面を見ている。対照的に過ごして、その日は俺は振り向かずに公園を出ていった。
 次の日も、その次の日も、男は公園にいた。いつのまにか、俺はその男を内心ニートと呼んでいた。ニートはいつもイヤホンをしていて、たまにリモコンをいじるほか、ほとんど動かずに天を眺めていた。
 イジメが始まった頃から、自然と俺の目は地面に投げ出されていることが増えた。でも、ニートがいる公園で過ごす時間が重なるごとに、地面よりちらちらとニートを観察するのが増えてきた。そんな俺に、ニートもたまに顔をこちらに向けるようになった。嗤っているかは、距離で分からなかった。
 でも、何となく俺はニートと共に過ごしている気がして、胸を締めつけていた孤独感を霞ませていった。
 その日も、俺とニートは公園にいた。いつも通りだった。何だかんだで、この空間が一ヶ月くらい経とうとしていて、二月の寒風が吹き荒れている。俺は知らないうちに、ぼさっとニートを眺めるようになっていた。
 ニートはいつも、俺より先に帰ったり、ベンチから動いたりすることはない。だから、その日突然立ち上がったときには、俺はびくっと目をそらした。
 じゃり。足音。じゃり。じゃり。何だ。じゃり。近づいてくる。じゃり。じゃり。じゃり……
「『俺は自分じゃ狂ってるとは思わない』」
 低い声が、ゆっくり歌う。
「『でも狂ってんだよな』」
 緩い冬陽があたっていた頭に、影がかかる。
「『みんなそう言う』」
 俺は、ゆっくり、こわばっている首をいたわるように顔をあげた。ニートが目の前に立って、薄い唇で嗤っていた。静かに黒い瞳が重なる。
 ニートは笑みのままポケットを探り、俺の目の前にリモコンを垂らした。曲名とアーティストが表示されていた。不意にしゃかしゃかと騒がしい音がして、はっとすると、ニートがイヤホンをはずしていて、そこから悲鳴のようなヴォーカルがかすかに聞こえた。
“俺は気が違ってる──”
「ずっと見てたよ」
 ニートを見上げた。ニートは指先を枝のように伸ばし、俺の顎に添えた。
「君のこと」
 その指は唇をたどり、頬を撫であげる。
「でも、僕は学校に入れない」
 ニートは目を細め、じわっと俺に顔を寄せる。
「君のほうから学校から出てきてくれるなんて……」
 ニートの歯磨き臭い息が、俺の震える息と混ざる。
「いいよね?」
 瞬間、ニートはすごい力で俺の髪をつかんだ。ついで頭皮を引っぱり、俺の顔面を自分の股間に押しつけた。俺は目を剥いて、顔を背けようとした。が、ニートの力は容赦なく、もう一方の手で俺の喉をぐっと捕らえる。息が強制的につまって、視界が灰色に圧される。
 何。
 何だこいつ。
 何する気だ。
 わけが分からなかった。こいつ、もしかしたらいい奴なのかもとか思っていたのが、残酷に引き裂かれた。その裂傷から生まれるように、気づくと俺は、物凄い声を上げていた。
 殺されそうなその声に、一瞬ニートの力がすくんだ。俺は無意識の素早さで、ニートを押しのけた。ランドセルもそのままに、混乱と恐怖に引き攣った絶叫を発しながらその場を逃げ出した。
 公園を走り出て、住宅街を突っ切っていく。俺の狂ってしまったかのような悲鳴に、視界の端に玄関を開く家が引っかかった。でも誰の声も俺を止められなかった。俺は足に任せてひたすら走って、突き刺さった包丁が抜けないみたいに声を上げて、家にたどりついていた。
 もちろん、驚いてかあさんがドアをあけた。俺はかあさんに一直線に駆けよって、エプロンにしがみついて、その匂いに一気に泣き出した。大声をあげて泣いた。声が出なくなっていたなんて、嘘のようだった。涙がどくどくと伝う喉が、はちきれそうに声を上げる。かあさんが強く抱きしめてくれたとき、俺は初めて、イジメからニートのことまで、滝のように打ち明けていた。
 声を取り戻したことで、両親はただの反抗期と思っていた俺の沈黙をようやく理解してくれた。小学校はそのまま行かず、中学も別室登校だった。だが、さいわい俺の事情を聞いて親身になってくれた先生がいて、その先生が厳しく勉強を教えてくれた。おかげで、同じ中学が出身の奴が少ない、ちょっと家から遠いけれどレベルの高い高校に進めた。
 友達もできた。彼女もできた。いつしか、俺はありふれたどこにでもいる高校生になっていた。
 両親は、俺に優しく接してくれている。俺の心の傷もちゃんと認めている。でも、肝心な当時に何も力になれなかったことを悔やみ、また、消えない傷にどう対応すべきかとまどい、どこかしら優しさが他人行儀だ。きっとそれは仕方ないのだとは、俺も分かっているから、何も言わない。
 高校二年生の進級祝いが、ノートPCだった。俺はぼんやり、あのニートが歌っていた歌詞を検索してみた。そして、あのときあいつが歌い、一瞬聴かせた曲がXENONの“LOBOTOMY”だと知った。いまだに、この曲を聴くと嫌悪感が脊髄を這いまわる。
 なのに、どうしてだろう。俺はXENONをよく聴いて、好きなアーティストを訊かれると「XENONかなあ」とか答えてしまう。実際は、好きというか──無意識にたぐりよせてしまうのだ。
 XENONのバックグラウンドはけして明るいものでなく、元気づけられるわけでもない。むしろ、ヴォーカルの梨羽の凄まじい孤立感が圧倒的で、フラッシュバックを起こすこともある。でも、その表現された孤立は、ときとしておなじく孤独感に溺れそうになったとき、同じ水底で寄り添ってくれる。
「プロデュースがメインになったら、XENONのバンド活動はどうなるのかな」
 人生でふたりめの恋人である真里亜が、参考書を取り出しながら言う。高校三年生、俺も真里亜も大学進学をひかえている。「さあな」と俺もスマホを置いて、かたわらのリュックからノートや問題集を引っ張り出す。
「梨羽の声が生きてる限り、やるんじゃねえの」
「あれ意味深だよねー。声が死なないとか意味分かんない」
 俺は笑いながら、授業の内容がつまったノートを頼りに問題集を開く。真里亜はまだ何か言っているけれど、俺はコーラも脇にやって勉強を始める。
 梨羽。大丈夫だよ。声は死ぬよ。
 でも、伝えたい限り、声はゾンビだから生き返る。どんなに腐っても、壊れても、膿んでも、よみがえって、誰かに届く。そう、梨羽の刺激的な声は、届かなくていい奴にまで届いてしまう。そんな声は、きっと、残念ながら永遠で──あんたの声は、これからもっと、感染者を増やすんだ。

 FIN

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