暁に冠を

「え、美海くんも今夜のショウ呼ばれてんの?」
 せっかくのオフだというのに、うちの黒服である美海くんは〈ナーシャ〉に来て、カウンターで水割りを飲んでいる。
 もてなしていた団体が零時を機に帰っていって、僕はいったんカウンター内に入って烏龍茶を飲んだ。美海くんにヒマなのか尋ねると、週末である今夜、〈モイストローズ〉でトリを務める泪音に店に呼ばれていると返ってきた。
 実は僕も「今夜は絶対来てね」と泪音に言われていたから、少し驚いてそう言ってしまう。
「咲羽さんも呼ばれてんすか?」
「一応。僕はよくあることだけどね」
「俺、ゲイストリップとか見たことないし、何ならゲイが集まる場所にもほとんど行ったことないっすよ……」
「怖い?」
「何つーか、俺が行っていいんすかね?」
「男ならいいんじゃない? 僕は女装したまま行くこともあるし」
 美海くんはため息をついて水割りに口をつける。僕の隣ではもうひとりの〈ナーシャ〉の黒服である紀本きもとさんが、手際よくグラスを洗っている。
 かっちり黒服を着て、人当たりの良いロマンスグレーといった感じのこの人は、四十のときから五年間つきあってきた不倫の彼女と半年前の春に破局した。そのショックで腑抜けて、奥さんにも娘さんにも見捨てられ、職場にも居づらくなり、脱サラして〈ナーシャ〉で夜の仕事を始めたという経緯を持つ。
「美海くん、泪音のショウ見れるの?」
「そこなんすよね。泪音さんが男とエロく踊るわけですよね」
「トリなら絡み演出はあるだろうね」
「つらい……」
「美海くんも泪音にハマったねえ。片想いもう何年?」
「五年くらいっすね」
「意外とおあずけ期間長いよね。泪音も受け入れてよさそうなのに」
「俺がストレートだから安心させられないのかなあ」
「ストレート落とすのが泪音の趣味だからね」
「俺、泪音さんしか無理なんですよ。ずっと、女の子と寝てないし、ほかの男は論外だし」
「ということは、五年間エッチをしていない」
「泪音さんが今まで一番うまかったんですよ……それ以下なのに、金はらって風俗とか意味分からん」
 僕は烏龍茶をすすって、泪音もそろそろ生殺しはやめたらいいのになあと思う。五年間、一途に想われて、それでも自信がないような奴でもないだろうし。
「咲羽ちゃん、ママが呼んでるよ」
 ふと紀本さんに声をかけられ、はっとホールを見ると、ゆるりと烏龍茶を飲んでいる僕に、とっとと仕事に戻れとママが目配せしている。
「やば」と僕は飲み干したコップをシンクに置いて、鏡でルージュが落ちていないのを確認するとホールに出る。
「美海くん」
「はい?」
「どうせだし、〈モイストローズ〉は僕と一緒に行こうよ。ひとりで行ったら、美海くんそこそこ狙われそうだし」
「……すんません、何か」
「いいよ。じゃ、僕はもうちょっと働いてくるね」
 そう言って、ムーンイエローのミニドレスの僕は、すらりと脚を伸ばしてママと同じ団体の席に着く。もうひとつの席では、すっかり〈ナーシャ〉の顔になった美瑠が三人の客相手にひとりで頑張っている。「脚綺麗だなあ」とさっそく言われた僕は「金かけて永脱しましたから」と笑った。
 そして、「水割り、いただいてよろしいですか?」と問うと、「ああ、飲め飲め」と言ってもらったのでささっと水割りを作り、「いただきまーす」とみんなと乾杯してから、ふわりとウイスキーが香るそれをこくんと飲む。
 今日も午前三時までがっつり働いた。いつのまにか、美海くんは水割りに飽きたのか食器洗いを手伝っている。そのおかげで閉店作業は速やかに終わって、僕と美海くんは一緒に泪音がダンサーをしている〈モイストローズ〉というゲイストリップ劇場に向かった。
 ネオンの中を夏風がだるく抜けていく。
 僕と美海くんは一見男女に見えるものの、このへんはちょっとしたセクマイ地帯だから、男同士や女同士がよくいちゃついている。「泪音さんは俺と違って男と寝てますよね」と美海くんがつぶやき、「泪音は禁欲はできないからねえ」と僕は肩をすくめた。美海くんがため息をついているのに苦笑していると、僕たちは〈モイストローズ〉が地下に入ったビルに到着した。
 いつものおにいさんに三千円はらって、ドリンクチケットとチップに引き換えてもらう。「何すか、これ」と美海くんが首をかしげるので、「チップだよ」と僕は終演後にダンサーが客席を練り歩き、チップを乞うときに衣装にこの紙切れをねじこむことを説明する。
「チップ追加したいならドリンクについてくるよ。あと、めんどかったらお札をそのままねじこんでもいいし」
 クーラーが行き渡ったホールに踏みこむと、ショウの最中だったので僕は美海くんと空いている席に着いた。美海くんは、ぽかんと見慣れないゲイストリップショウを眺める。
 僕はテーブルに頬杖をついて、僕はまだしも美海くんを呼ぶって泪音何か企んでるな、と何かを察しつつ、チケットと引き換えたジントニックを飲む。
 ボリュームが上がった音楽と共に泪音が登場したのは、予告通りトリのステージだった。
 小麦色の肌の軆がまとうのは、初めて見る純白のふわっとしたドレスだ。用意された椅子に泪音がかったるそうに腰かけると、相手役らしき男がタキシードのようなすがたで現れる。その対で気づいたけれど、泪音の衣装、もしかしてウェディングドレスだろうか。
 男は泪音の足元にひざまずき、その片脚をうやうやしく持ちあげて口づける。しかし、泪音は脚を組み替えてそれを拒否すると、立ち上がって音楽に合わせて悩ましく軆を手のひらでなぞる。
 すると、今度は逆の袖からやっぱりタキシード衣装の男が出てきて、泪音を抱きよせる。椅子に手をついて突き出した泪音の腰に腰を擦りつけ、疑似行為に合わせて泪音は身を反らせたものの、やはり途中で「何か違う」と言いたげに首を振って、男を突き放す。
 泪音はいろんなタキシード男を渡り歩くように、洗練された足取りで音楽に合わせてステージを彷徨った。ビッチ演出かなあ、と僕が思っていたとき、「あの、すみません」とそばで抑えた声がして僕はそちらを見た。
 見憶えのある新人のダンサーで、声をかけられているのは僕でなく美海くんだった。
「よかったら、ステージに上がって、これを泪音さんに渡してくれませんか」
 まばたきをしている美海くんは、白い生花の冠をさしだされていた。「え?」と美海くんはわけが分からない様子でおろおろしたけど、僕はすぐに意味が分かって噴き出してしまう。
 美海くんが僕を見て、「あのステージ見てたら分かるでしょ」と僕は笑みを噛む。
「何か……男ったらし?」
「そう見えるけど、泪音は探してるだけなんだよ」
「探してるって……」
「その冠で本気のプロポーズしてくれる人を」
 美海くんは目を見開き、一瞬、泪音が踊っているステージを見た。それから、そろそろとした手つきで冠を受け取る。「よろしくお願いします」と新人ダンサーは身を引き、「早く行きなよ」と僕はくすりとした。
「曲が終わったら、もうチャンスないかもしれないよ」
 美海くんは緊張した息を吐いて、「俺、合わせて踊ったりできないけどなあ」とぼやきつつも立ち上がった。それを泪音も視界の端で確認したのか、ドレスを脱がせにかかっていた男から離れる。
 ステージへと近づく美海くんに、客席が早くもざわめいて、口笛や冷やかす歓声が上がった。半裸の泪音は、美海くんと引き合うようにステージを降りた。けれど、スポットライトがその褐色の肌をなめらかに照らしている。
 向かい合ったふたりは、言葉も交わさずに自然と口づけあった。それから、美海くんは泪音に白い花の冠をかぶせる。泪音のファンはおもしろくないかな、と心配したものの、わりとそんなことはなく、「おめでとーっ」「やったねっ!」なんて声が上がった。
 泪音は美海くんの手を引いてステージに上がると、微笑んで器用にステップに誘う。それでも足取りを間違える美海くんに、ふたりとも咲っていて、それがとても幸せなそうな笑顔だから、僕も観客もちょっと泣きそうなくらい嬉しくなってしまった。
 ああ、今日は昼まで〈ピーチィミルク〉で泪音と美海くんをお祝いだな。そう思ったから、僕は一度席を立って出口の静かなところでスマホを取り出した。
 そして、一緒に暮らしている「彼女」に断りの通話を入れておくことになる。
「あ、紗鈴ちゃん? 今日、昼まで泪音たちと飲んでるかも。──うん。ごはんは明日食べるから取っておいて。──お祝いだからけっこう飲んで帰るかもしれないけど許して。眠かったら休んでね」
 返ってくる愛おしい声を聴きながら、僕は壁にもたれてステージのほうを見る。
 音楽は終わって、泪音はつまりモブだったタキシード軍団に、花束から大人のおもちゃまでいろいろ渡されている。その隣には、照れているような笑みの美海くんがいる。
 泪音はもう一度美海くんと手をつなぐと、「ご祝儀上等!」とか言いながら一緒に客席を歩きはじめ、めいっぱいチップを集めていた。
 通話を終えて客席に戻ると、僕も「おめでとう」と泪音の腰にチップを全部ねじこんだ。泪音は「咲羽に一番に報告したくて呼んじゃった」と照れ咲う。僕は「ありがと」と咲ったあと、泪音としっかりハグをした。
 ステージを終えた泪音の汗の匂いに混じって、花冠からほんのり甘い香りがする。
 ふらふらしていたこの親友も、ついに恋を始めるんだな。そう思うと感慨深かった。僕も今ようやく「彼女」と結ばれて幸せだから、きっと泪音も──
「幸せにね」と僕は言う。泪音はうなずき、「このあとピーチでパーティだから来てよね」と応じる。「そんなことだろうと思った」なんて答えつつ、僕はおそらく今日は泪音と同じくらいに酔っぱらって、全力で祝杯をあげるんだろうなと思った。

 FIN

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