月を終えたら

 昨日の夜、お風呂を上がって髪を乾かしていると、弟の夕絽が「おねえちゃん」と声をかけてきた。私はかちっとドライヤーの熱風を止めると、「なあに?」とまだしっとりしている髪で首をかしげる。
 夕絽は何やら言いよどんだあと、「日曜日ね」と小さな上目遣いで言葉を選んだ。
「家に、お客さん連れてきていい?」
「お客さん」
「その、えっと……」
 頬を染めるその様子に思わずくすりとしたあと、「私の許可なんて取らなくていいよ」と私はにっこりする。
「もしかして、彼氏くん?」
「う、……うん。一緒に期末考査の勉強しようって」
「そっか。私も挨拶したいし、彼氏くんが良ければ来てほしいな」
「おとうさんとおかあさんも、いいって言ってくれるかな」
「言うでしょ。気になってるんだから、あのふたりも」
「そうなの?」
「きっと喜ぶよ、訊いてみてごらん」
 夕絽はこくんとすると、「ありがとう」と私に言い置いて、両親のいるリビングのほうへ行った。
 夕絽の彼氏か、と私はまたドライヤーにスイッチを入れて髪を熱風にさらす。同じ高校の後輩に自分の同じゲイの男の子がいて、お互い叶わぬ好きな人がいる状態を経たあと、次第に惹かれあって五月の連休からつきあいはじめたのは聞いている。その男の子といて、夕絽が今とても幸せそうで、私もおとうさんもおかあさんも、本当にほっとしている。
 夕絽は、一度、最悪なところまで追いつめられたから。スマホにおかあさんから連絡が入って、夕絽が手首を切って救急車で運ばれたと聞いたときには、頭の中がばらばらに砕けた気がした。
 夕絽が落ちこんでいるのは気づいていたけど──気づいていたのに、一番恐ろしいことをさせてしまった。まさかそこまで思いつめていたなんて、とそれまで夕絽の暗い表情に悠長だった自分に腹が立った。
 そしてそのとき、夕絽にセクシュアリティを告白された。夕絽がまだ生きていて、私たち家族に話してくれたことにすごく安堵して、弟にいつか同性の恋人ができるのは気にすることじゃなかった。むしろ、恋人が現れてこの子の自信になって、二度とこんな怖いことはしないようにしてほしいと思った。
「何だよ? 嬉しそうじゃん」
 そんな昨晩を思い出す今は、お昼時だ。陽の当たる大学のカフェテラスで、ランチを食べている。フィッシュフライとタルタルソースのハンバーガー、フライドポテト、アイスカフェラテ。
 どんな男の子だろうなあ、なんて昨夜からわくわくしていることを考えて、つい笑みをこぼしながら香ばしいカフェラテをすすっていると、不意にぽんと頭を小突かれて正面の席に倉橋くらはしが座った。
「いちいちはたかないでよ」
 私がむっとして言うと、「そんな強くないだろ」なんて倉橋くらはし美鶴みつるというこの男は、私のフライドポテトまで何本かさらって口に放ってしまう。倉橋は高校のときに同じクラスになり、それからよく私に構ってくる。
 進学した大学が同じと知ったときには、ため息も出ないほどあきれてしまった。色気のある空気になることはないし、単なる友達なのだろうけど、何でそんなに構ってくるのかは訊いてみたことがない。
「で、どうしたんだよ」
「何が」
「ついに彼氏でもできたかー?」
「私じゃないよ」
「私じゃない」
「週末、弟が恋人連れてくるの」
 私はいつも倉橋に仏頂面だけど、こればかりは笑顔で言うと、彼は少し億面した。それから、「弟」と言葉を拾い、一考した倉橋は「お前ってかなりブラコンだったよな」とか言う。
「大丈夫かよ。修羅場じゃね」
「うるさいなっ。ちゃんと祝福してます!」
「えー、でも陰でイジメる──」
「イジメませんっ。やっと弟が幸せになってくれたんだから。応援してるよ」
「ふうん……?」
「どんな子だろうなあ。夕絽のこと大事にしてくれてるみたいだから、お礼言わなきゃなー」
「菓子折りでも渡せば」
「あ、お菓子用意しとかないとねっ。ありがと」
 調子が狂うのか、倉橋は息をついて、自分の牛丼を食べはじめた。私もハンバーガーの包みを開き、こぼれそうになったタルタルソースのところからかぶりつく。白身のフライとタルタルソースは、やっぱり相性がいい。
 男の子が喜ぶお菓子って何だろうなあ、と思ったので、私は倉橋に目を向けた。
「倉橋」
「あん?」
「お菓子もらえるなら何が好き?」
「お菓子……?」
「クッキー? チョコ? ポテチ?」
「その中なら俺はポテチ」
「そうなんだ。男の子って甘いのダメなの?」
「生菓子はわりと好きだぞ」
「ケーキ? シュークリーム?」
「そういうの」
「そっかあ。なるほど、参考になった」
「弟より彼女に合わせてやれよ。ほんとブラコンだな」
 私は倉橋を見て、まあこいつに夕絽のセクを話すこともないかと思い、「そうだねー」と咲っておいた。ケーキやシュークリーム。じゃなかったら、エクレアとかクレープもいいかも。何か楽しいな、とまた笑みを浮かべてしまうと、「変な奴」と倉橋を肩をすくめた。
 そうして、七月に入ってすぐの日曜日がやってきた。梅雨はまだ明けていないけれど、よく晴れていて暑いくらいだった。
 彼氏くんは、本屋で夕絽と参考書を選んでからうちにやってくるそうだ。それなら、と私はそのあいだにお菓子を買いにいくことにした。昨日買っておこうかと思ったものの、生菓子ならやっぱり当日に買ったほうがいい。夕絽が彼氏くんとの待ち合わせに向かうと、私も軽く化粧して家を出た。
 日射しが半袖の肌に染みこんで、日焼け止め塗ったほうがよかったかなあとちょっと後悔する。すっかり葉に染まった桜の緑が鮮やかな公園沿いを歩き、コンビニの前を通りかかったときだ。
「紗暁」と名前を呼ばれて立ち止まると、コンビニからふくろを提げた鈴里が出てきていた。夕絽の親友で、私たちの幼なじみの男の子だ。「また呼び捨てするー」と私がむすっとすると、「もう呼び捨てでいいだろ」と鈴里はあきれながら歩み寄ってくる。
「アキねえちゃんとか呼ばれたい?」
「呼ばれたい」
「やだよ」
「夕絽は『おねえちゃん』って呼んでくれるのに」
「夕絽はシスコンだからな……」
「そう? 私がブラコンとは言われるけど」
「それは言うまでもない」
「うるさいなー」
「どっか行くの?」
「うん、お菓子買いに」
「紗暁、ダイエットとか気にしないよな」
「夕絽と彼氏くんに買いにいくのっ。このあと、うちに来るんだって」
「深実くんが?」
「そう、そんな名前。期末考査の勉強だって。鈴里はやってる?」
「これ食いながらやる」
 がさっと鈴里はコンビニのふくろを掲げ、私は無言でその中身を覗いた。スナック菓子とプリン。「なるほど、プリンね……」とつぶやくと、「悪いかよ」と鈴里は少しばつが悪そうにする。
「いや、やっぱり男の子は生菓子の甘いの好きなんだなあと」
「夕絽は和菓子のほうが好きだけどな」
「そうなの?」
「春にはいちご大福を必ず食ってるよ」
「あ、そういえばそうかも。和菓子かあ。じゃあ、夏の和菓子といえば」
「水ようかんじゃない」
「あ、いいねえ。よし、水ようかんにしよう」
「ちなみに、夕絽はこしあん派だぞ」
 私は鈴里を見て、「鈴里はほんとに夕絽と仲いいよねえ」とくすっとしてしまう。
「それは紗暁が一番知ってるだろ」
「そうだけどね。でも、きっと彼氏くんに一番は取られちゃうね」
「深実くんはいい奴だから。安心してるよ」
「会ったことあるんだね」
「学校同じだしな。夕絽に紹介された」
「かっこいいの?」
「けっこうイケメン」
「へえ。ふふ、でもわりと独占欲あるっぽいよね? ペンギンのストラップ知ってる?」
「知ってる。指輪も交換すればいいのになー」
「高校でつけられないからじゃない?」
「あー、そうか。そういや、壱野も『こういうのもありだな』とか言ってたな」
「壱野くんって、夕絽のクラスメイトだっけ」
「そう。保健室登校してたときに友達になった奴。彼女は中学生」
「中学生……。鈴里もその壱野くんと仲いいの?」
「三人でファミレスで勉強したりはする。金曜日にもしてきた」
「そっか。壱野くんにも、一度ご挨拶したいなあ」
「おもしろいから、紗暁は気に入ると思うよ」
「そっか。今は夕絽の周りにたくさん大事な人がいるね。シスコン卒業されちゃうかな」
 私が苦笑すると、鈴里は「夕絽はずっと紗暁のことも大事だと思う」と言った。
「俺も紗暁のこと──」
「ん?」
「……いや。何でもないや」
「何?」
「何でもありません。夕絽、家で待ってんじゃないの」
「いや、夕絽は彼氏くん迎えにいってて──ああ、そうだ。帰ってくる前でお菓子買わなきゃ。えっと、何だっけ」
「こしあんの水ようかん」
「ありがとっ。じゃあ、またいつでもうちに遊びにおいで」
「ん。夏休み、夕絽が相手してくれたら、大学受験の勉強とか一緒にするかも」
「夕絽と鈴里も大学受験かあ。頑張れよ」
「サンキュ。じゃあな」
 そう言った鈴里とすれちがって、私は駅前に急いだ。
 こしあんの水ようかん。スーパーにあるだろうけど、スーパーの奴じゃちょっとな。そう思って、商店街の中の和菓子屋さんに行った。若干高いけども、かわいい弟とその彼氏くんのためだ。クーラーがひんやりする店内では、この季節なので水ようかんはちゃんとショウケースに並んでいた。
 そのほかにも涼しげな和菓子が並んでいたけれど、さすがにそこまで持ち合わせていない。水ようかん、おとうさんとおかあさん、自分のぶんも買っていくし。店員の女の子は保冷もしてくれてから、「ありがとうございました」と商品を渡してくれた。私もお礼を言いながら紙ぶくろを受け取り、よし、と早足で家に戻った。
 家にはまだ夕絽は戻っていなくて、少しのあいだでも私は水ようかんを冷蔵庫で冷やすことにした。「何にしたの?」とおかあさんに訊かれて、「水ようかん」と答えると、「ああ、夕絽は好きねえ」とおかあさんもうなずいてくれた。
「紗暁」とおとうさんに呼ばれて「んー?」と冷蔵庫を閉めてリビングに行くと、おとうさんは何やら財布を開いていて、「これ取っとけ」と私に五千円札を渡してきた。
「えっ、何で」
「それくらいしただろう。そのふくろ、よくおとうさんも買いにいく店だからな」
「え、いや、六個入りで三千円くらいだったよ」
「やっぱり、いい奴を買ってるじゃないか。いいんだよ、もらっておきなさい」
「……いいの?」
「おとうさんからも気持ちだ」
 私は咲って、「私に恋人できるより、夕絽にできるほうがおとうさん寂しいよね」と言った。「そうかもしれないな」なんて決まり悪そうにするおとうさんに、「ありがとう」と私は素直にお金を受け取った。
「夕絽、帰ってくるのお昼くらいかしらね」
 掛け時計を見上げておかあさんがつぶやき、私も十一時になりそうな時刻に気づく。
「お昼ごはん、彼氏さんのぶんも用意したほうがいいかな? 食べてくるかしら」
「連絡して訊いたらいいかも」
「あ、そうね。ええと、スマホどこ置いたかな」
 おかあさんはきょろきょろしたあと、ダイニングのテーブルに自分のスマホを見つけると、夕絽に通話でなくメッセを送る。すると、わりとすぐにおかあさんのスマホに着信がついて、「あらあら」と何やらおかあさんは微笑む。「どうしたの?」と訊いてみると、「彼氏さん、エビが苦手だからそれ以外にしてねって」とおかあさんが言って、私とおとうさんは噴き出してしまった。
「エビ苦手って……あ、でもアレルギーとかかな」
「夕絽はねぎがダメだよなあ」
「特に長ねぎね。お鍋でもラーメンでも、いつも残してるもん」
「紗暁が食べてあげちゃうから」
 スマホを置きながらおかあさんが言って、「残るよりいいじゃない」と私は肩をすくめる。
「で、それなら、お昼ごはん作ってあげるんだ」
「そうだね。エビとねぎがダメ、となると──」
「お素麺、は質素かあ。冷やし中華は?」
「あ、いいね。うちはゴマダレだけど、彼氏さん大丈夫かな?」
「そこはうちの方針に慣れてもらうとこ」
「そうね、いつか一緒に暮らすかもしれないしね」
「そうなの?」
「気が早いかしら」
「それくらいのつもりで受け止めたほうが、彼氏くんも気が楽だろう」
「息子が増えるんだねえ。おかあさん、かっこいい子だと嬉しいな。夕絽はかわいいから」
「イケメンではあるらしいよ」
「あら、いいじゃない」
 嬉しそうなおかあさんに私もおとうさんも笑い、しばらく彼氏くんがどんな男の子かという話をした。
 それからおかあさんは昼食の支度に取りかかり、私も手伝った。きゅうり、ささみや金糸たまごを千切りにしていく。おかあさんは四人ぶんの面を湯がいている。それを五人で分けるみたいだ。五人ぶんは買い置きがなかったのだろう。
 お皿に盛りつけて、トマトやゆでたまごも乗せていると、不意に「ただいまー」という声が玄関から聞こえた。夕絽の声だ。「行ってあげて」とおかあさんに言われたので、私はうなずいて手を洗ってから玄関に向かった。
「おかえり、夕絽」
 私の足音と声に顔を上げた夕絽は、「ただいま、おねえちゃん」と微笑む。
 その背後に背の高い、艶やかな黒髪や切れ長の瞳が整った印象の男の子がいた。彼は私と目が合うと、「えと」とちょっと困ったようなそぶりを見せたけど、ぱっと頭を下げる。
「初めまして。深実信哉です。その、今日は急にお邪魔してすみません」
「いえいえ。夕絽に話よく聞いてましたから」
「俺もおねえさんの話、夕絽さんによく聞いてます。あ、おねえさん、ですよね」
「はい。姉の紗暁です。気にせず紗暁さんとでも」
「紗暁さん、ですね」
「信哉くん、僕のことも名前で呼ぶようになったのはこないだなのに」
「それは──先輩もそうじゃないですか」
 夕絽が首をかしげてみせると、「あ、」と深実くんは夕絽を「先輩」と呼んだことに気づいたみたいだ。そんなふたりに思わず笑ってしまって、「外、暑かったでしょ」と私はふたりを家の中に招く。
「とりあえず麦茶でも飲みなさい。熱中症も心配だし」
「うん。おとうさんとおかあさんはリビング?」
「ふたりとも待ってるよ。あ、お昼は冷やし中華だけどよかったかな」
「僕は食べれる。信哉くんは大丈夫?」
「大丈夫です」
「おかあさんが、うちのタレはゴマダレなんだけどって、少し気にしてたんですけど」
「食べれます。すみません、気を遣わせて」
「いえいえ」と言いながら私はクーラーのきいたリビングに引き返して、「夕絽と彼氏くん来たよー」と声をかけた。
 リビングのソファにいるおとうさんも、ダイニングのテーブルに冷やし中華を並べるおかあさんもこちらを見る。深実くんは私のとき以上に緊張した面持ちになったものの、「お邪魔します」と頭を下げる。「あら、本当にいい男」とおかあさんがころころ咲って、「夕絽はなかなか面食いだなあ」とおとうさんも噴き出す。
「し、信哉くんはかっこいいだけじゃないよっ」
「分かってるよ。夕絽をずいぶん支えてくれたんだよなあ。ずっとお礼を言いたかったんだよ」
「ほんとに。ありがとうね、ええと──信哉くん」
「いえっ。そんな。壱野先輩とかもいたので」
「そうそう、夕絽、今度は壱野くん連れてきてよ。私、会ってみたい」
「壱野くんは彼女いるけど……」
「もう、そういう意味じゃないよ。彼女いるの知ってるし」
「え、知ってるの?」
「鈴里に聞いた」
「見澤先輩も近くに住んでるんですよね」
「歩いて三分ぐらいだよ」と言っている夕絽と深実くんに、私は麦茶をそそいで氷を浮かべたグラスを持っていく。グラスを受け取ったふたりは、ひとまずそれで喉を潤した。やはり暑かったのか、すぐに飲み干してしまう。
 それを見計らって、「じゃあ、みんなで昼飯にするか」とおとうさんが言って、私たちはダイニングのテーブルに集まった。夕絽の隣である私の席は深実くんに譲って、私はお誕生日席に置いた椅子に座っておく。
「参考書はいいの見つかった?」
 完熟で蕩けそうなトマトを食べて私がそう訊くと、「僕はとりあえず過去問だよ」と夕絽は箸で麺をすくっている。
「信哉くんは、去年僕が使ってた奴の新版だよね」
「貸してあげればよかったじゃない。捨ててないでしょ?」
「中身見たら、けっこう問題入れ替わってたから」
「あー、そんなもんか」
「夕絽は福祉に進みたいんだったな。とりあえず資格か?」
「うん。夏休みになったら、オープンキャンパスとか行ってみる」
「家からは通えそうなところ?」
 おかあさんが心配すると、「通えるところをいくつか見つけてるよ」と夕絽はうなずく。
「家を出るにしても、信哉くんが一緒に暮らしてくれるなら安心だけどねえ。でも、卒業が一年違うのよね」
「えっ、俺、一緒に暮らすとか、……いいんですか」
「夕絽ひとりより安心ね」
「安心だな」
「うん、安心」
 おとうさんと私が続くと、夕絽と深実くんは顔を合わせて照れ咲う。
「信哉くんに、将来のこととか訊いていいのかしら」
「あ、俺は建築に興味あります」
「まあ、土方……?」
「夕絽さんにも言われました。でも──何というか、インテリア考えたり、そういうのが好きなんで」
「インテリアコーディネーターとか」
 その仕事はよく知らないけど私が言うと、「そうですね」と深実くんはうなずく。
「横文字職業か。かっこいいね」
「俺もまず資格なんですけど。紗暁さんは大学生ですよね」
「私は学校の先生とか考えてたけど、今年から養護教諭の勉強始めたの」
「保健の先生ですか」
「そう。夕絽のことがあってからね。勉強教えるより、そういうのを受け止める先生になりたいなって」
「保健の白田先生、すごく優しかった」
 夕絽がそう言って、「その先生ほんとかっこいいよねー」と私はしみじみ言う。
「おねえちゃんなら、優しい保健の先生になれると思う」
「ふふ、ありがと。あ、でもさ、深実くん、インテリアコーディネーターならおとうさんとつながりがない?」
「えっ、そうなんですか」
「小さなところだがね、リフォーム会社に勤めてるよ。深実くん、資格取ってもし行くところがなかったら、うちにおいで」
「ほんとですか。わ、すげえ嬉しいです。お仕事の話も聞きたいです」
「はは、じゃあまた、いつでもうちに遊びにおいで。深実くんが来てくれると、夕絽も嬉しいだろうから」
「はいっ」と深実くんは思いがけず将来の先輩が見つかって嬉しそうにする。
 それからも、五人でなごやかに昼食を取った。深実くんは少しずつ緊張をほぐし、私たちが「夕絽の彼氏」として受け入れていることも感じた様子で、ほっとしているようだった。
 昼食を食べ終わり、夕絽と深実くんが二階の部屋に行こうとすると、その前に私は冷えた水ようかんを渡した。「夕絽の好みで買っちゃったけど」と気にすると、「俺も和菓子好きです」と深実くんは微笑んでくれた。「おねえちゃんたちのぶんも取っておくね」とふくろを抱えて夕絽はにっこりし、私はその頭をぽんぽんとする。
 そうしてふたりは二階の夕絽の部屋で勉強会を始め、おとうさんはリビングでテレビをつけ、私とおかあさんはキッチンで洗い物をした。「どんな男の子かなと思ってたけど」とおかあさんはレモンの香りがする泡でグラスをこする。
「いい男の子だったね」
「そりゃあ、夕絽の彼氏だもん」
「あの子と出逢ってくれたから、夕絽も元気になったんだね」
「……うん」
「今、男の子同士でも結婚できるの?」
「結婚じゃないけど、パートナーとしては認めてもらえるはずだよ」
「夕絽と信哉くんがそこまでいったら嬉しいね」
「夕絽は白タキシードで、深実くんは黒タキシードだと思うの」
「結婚式?」
「そう。そんな日が来たらいいなあ」
 そんな話をしながら食器を片づけると、私は両親とリビングで過ごした。
 休日の昼のあんまりおもしろくないテレビを観ながら、何となく、私たちは去年の夕絽のことを話した。暗い表情で落ちこむのが増えて、どんどん思いつめているのが分かった。でも何もできずにいるうち、自殺未遂まで思い至らせてしまった。
 あのとき、夕絽が死んでしまわなくて本当に良かった。精神科の先生のアドバイスも仰ぎながら、夕絽はしばし不登校をしたあと、保健室登校を始めた。そこで例の壱野くん、そして深実くんにも出逢って、また夕絽には笑顔が増えてきた。着信のついたスマホを嬉しそうにいじったりするのも多くなった。
 夕絽の心を吹き返らせてくれた深実くんたちには、私たちは本当に感謝している。家族だけでは、今の夕絽はなかったと思う。
 深実くんは夕方くらいまで夕絽と期末対策をしていて、「夕絽さんは受験でいそがしいのにすみません」と帰り際の玄関で謝っていた。「僕の家に来てほしかったから」とはにかんだ夕絽に、深実くんも「来れてよかったです」と微笑む。
 そして、リビングの入口まで見送りにきた私を見ると、「今日はありがとうございました」と頭を下げる。うん、礼儀正しい。「これからも夕絽と仲良くしてあげてください」と私が言うと、「はい」と深実くんはうなずいた。「じゃあ僕、信哉くんを駅に送ってくるね」と夕絽もスニーカーを履き、ふたりは自然と手をつないで家をあとにした。
 もう夕絽には深実くんがいるんだなあ、と改めて実感した。いつも私の陰に隠れていた夕絽だったけど、もう違うのだ。自分の恋をして、好きな人の隣を居場所にしている。これからだって夕絽は大切な弟だけど、いつも見守っている私の役目は終わったのかもしれない。
 私は私の恋をしていかなくちゃ。でも、私にそんな男の子、いたかなあ? まあ、そのうち見つかるか。
 夕絽。たくさん傷ついたけど、今はとっても幸せそうな私のかわいい弟。これからも、深実くんの隣で咲っているんだよ。
 何かあったらすぐ駆けつけるけど、そんなのは万が一で、夕絽と深実くんがいつまでも寄り添い合っていますように。
 そんな願いをこめて、夕絽の月のようだった私は、そろそろ自分の恋でも考えはじめるんだ。

 FIN

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