まだ、甘酸っぱく

「あ、そうだ。紗月、これ」
 紗月くんと一緒に、仕事に行く弓弦を見送りに玄関に行くと、思い出したように、弓弦が真冬の深夜をしのぐ厚いジャケットのポケットから、小さな白い箱を取り出した。紗月くんはちょっとまばたきしたけれど、なぜか恥ずかしそうに受け取る。
「僕もあるけど──」
「んー、いつものが欲しい」
「い、いつも……」
 頬を染めている紗月くんに、弓弦はちょっとにやにやしている。あたしは首をかたむけて、紗月くんが持つ箱に手を伸ばそうとした。「こら」と弓弦はあたしの頭を小突き、ぽいっとピンク色の同じくらいの箱を投げてくる。
「お前はこっち」
 自分には投げられたことにむうっとしながらも、あたしは紗月くんの白い箱にもかかっている赤いリボンをほどいた。すると、ふわっと甘い香りがして、「わあっ」とあたしは顔をあげる。
「チョコ!」
 その中には、ころっとした、ピンクのチョコがふたつ並んでいた。
「今日はバレンタインだからな」
「ばれんたいん?」
「好きな奴にプレゼント贈るんだよ。日本だとチョコが多いな」
「何で?」
「チョコなのは、どっかの菓子メーカーが考えたんだろうけど。まあ、好きな奴にプレゼントするのは世界的」
「そうなんだ……食べていい?」
「おう。ちょっとシャンパン入ってるぞ」
「ん、お酒は平気」
 あたしは笑顔で食べようとしたけれど、ふと、隣の紗月くんを見あげた。紗月くんは、妙に弓弦から視線をそらして、うつむいている。
「紗月くん?」
 あたしが声をかけると、紗月くんははっとこちらを見る。
「紗月くん、弓弦のプレゼント、嫌なの?」
「えっ」
「なー、紗月、毎年こうなんだよ」
「え、弓弦のプレゼント嬉しくないの?」
「ちっ、ちが……だって、弓弦、僕のチョコは受け取ってくれないし」
「えっ!? 紗月くんと弓弦、恋人なのに……」
 弓弦は笑いをこらえて、紗月くんは困りきっていて、あたしは理解できずにふたりを交互に見る。弓弦はふとケータイを取り出すと、どこかに電話をかけ、すぐにあたしに渡した。
「何」
「ちょっとあっちで翼とおしゃべりしてろ」
「何話すの」
「チョコのうまさでも語ってろ」
 ケータイを受け取ると、「翼?」と呼びかけてちらちら振り返りながら玄関を離れる。紗月くんはやっと箱を開けているけれど、明らかにしぶしぶと言った感じで、あたしは心配になってくる。
『結音?』
「……ん、あたし」
『着信は弓弦さんからだったんだけど』
「何か、弓弦があんたと話してろだって」
『は? また何かあったのか』
「んー、何か、紗月くんと弓弦がね──」
 言いながら、キッチンの陰からそっと玄関を覗いたあたしは、どきっと動きを止めた。
 ココア色のチョコを口に含んだ紗月くんが、そのまま、背伸びして、弓弦に口づけていた。弓弦は紗月くんをぎゅっとして、そのチョコを口から口で受け取る。翼が何か言っているけれど、聞こえない。ふたりはそっと唇を離して、紗月くんは弓弦と目は合わせないまま、弓弦の肩に顔を伏せる。
「……おいしい?」
「ん、めちゃくちゃ」
「もう、そろそろ普通に交換しようよ……」
「嫌?」
「恥ずかしい、よ」
「こうでもしないと、紗月からキスってもらえねえもん」
「……バカ」
「んー、今年のチョコはちょっと洋酒ききすぎだったかな。紗月はうまかった?」
 紗月くんが顔をあげて、やっと弓弦と視線を重ねる。弓弦はびっくりするくらい優しい微笑を見せる。それを見つめた紗月くんは、少し仕方なさそうに咲うと、「弓弦とのキスがおいしくないわけないよ」と弓弦の背中に腕をまわした。
『……おい! おい、結音っ。何なんだよ。電波悪いのか?』
 あたしはふたりに気づかれる前に、またキッチンに身を隠して、冷蔵庫にもたれて床にぺたんと座った。
 手にしたままの箱の中のピンクのチョコを口にして、ぎゅっと噛んでみる。とろりと甘酸っぱいいちごと、ちょっと不思議な味が広がって──でも頭がほてって、酔っているように感じるのは、シャンパンの味のせいじゃない。
『何なんだよ。おい、切るぞ?』
「翼……」
『あ、何だよ、ちゃんと返事──』
「……あたしは、まだいちごでいい」
『は?』
「あたしには、甘すぎる」
 わけが分かっていない翼の声を無視して、甘いけど、酸っぱいいちご味を飲みこむ。このくらいでいい。あのふたりみたいにただ甘いのは──あたしには、どうやら、まだ早い。

 FIN

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