「お月様は、ずっと私を追いかけてきたの」
夏休みが終わった、二学期のことでした。
蒸し暑い下校の道を、小学一年生のるりちゃんは、お友達のほのかくんとたどっていました。
そして、夏休みのおでかけのことを話します。
遊園地に出かけて、夜遅くなった帰り、るりちゃんは車の後ろでおでこを窓にあてて、流れていく景色を見ていました。
いろんなかたちのおうち、暗い山、過ぎ去っていく車。
パパとママは、おしゃべりに夢中です。
さっき、おいしい湯気を立てるハンバーグをレストランで食べたるりちゃんは、今にも眠ってしまいそうです。
「るりちゃん。眠かったら横になりなさいね」
ママに声をかけられて、そうしようとしたるりちゃんは、ふと窓の向こうに気がつきました。
お月様です。
お月様が、暗くなった空でずっと輝いているのです。
ほかの景色はどんどん流れていくのに、お月様だけるりちゃんを乗せた車を追いかけるように、過ぎ去っていきません。
るりちゃんは眠たい目をしばたいて、窓からお月様を見ていました。
お月様は、るりちゃんの家までついてきました。
ベッドに入る前にカーテンをめくると、やっぱりお月様はそこにいました。
「すっごく遠くまでおでかけしたのに、おうちまでついてきたんだよ」
ほのかくんは首を振りました。
クラスメイトで物静かなほのかくんは、いつも家がお隣のるりちゃんと一緒なので、「女みたい」と揶揄われます。
雪のように色が白く、細く、ガラス細工のように繊細な雰囲気を持っています。
「るりちゃんは嘘をついてるよ」
「嘘?」
「月はいつも僕のそばにいるんだよ」
るりちゃんは、得意になって話したことを否定されて、少し、ふくれた顔になりました。
「ノノのお散歩のとき、月は僕とノノをいつも明るくしてくれてるんだよ」
「嘘だよ。私のほうが、あんなに遠くからついてきたんだよ。私のそばにずっといるもん」
ノノは、ほのかくんがかわいがっている雑種の犬です。
ほのかくんに似ておっとりした、白茶の子でした。
「月は、出てる日はいつも、僕とノノについてきてるよ」
「違うもん。いつも私のそばにいるもん」
負けず嫌いのるりちゃんと、いつもは優しいほのかくんのあいだに、この気温のようなむっとした感じが流れました。
家も近く、あたりにはそっくりな家が立ち並んでいます。
ひと足先におうちについた子たちが、ランドセルを脱ぎ捨て、騒がしく駆けまわりはじめていました。
「じゃあ、こうしようよ」
急にほのかくんが顔を明るくして、いつもの柔らかな笑顔をるりちゃんに向けました。
「今日、僕とノノのお散歩のあいだ、るりちゃんは家の前で月を見ててよ。そしたら、るりちゃんのそばにいるか、僕を追いかけてくるか、月がどうするか分かるよ」
るりちゃんも自分が正しいことを証明できる実験に、ぱっと瞳を輝かせました。
「分かった! じゃあ、今日の夜だよ。お月様、出るかなあ」
顔をあげると、雲もない青空が広がっていました。
そこにもうっすらとお月様がいることに、ふたりは気づきません。
日が落ちると、お月様は夜空にきらめきはじめました。
ほのかくんはいつもより遅めにごはんを食べて、ノノのお散歩を遅めにしてくれました。
すっかり日が暮れると、実験開始です。
るりちゃんは、家の前の段差に腰かけました。
ほのかくんは、るりちゃんにじゃれようとするノノを連れて、町内一周に出かけました。
ほのかくんが通る道は、ほかにも犬のお散歩をしている大人が多く、ほのかくんのママもこの時間のお散歩を許してくれたのです。
夕食も食べたるりちゃんは、お腹いっぱいで、星をちりばめながら輝くお月様をずっと見ていました。
動く気配はありません。
ささやかな光は、身動ぎもせずにるりちゃんの肩に降りそそいでいます。
心地よい夏風が、どこかの夕食の匂いを運んできます。
「やっぱり、お月様は私のそばにいる」
るりちゃんはそうつぶやいて、満足してにっこり咲いました。
やがて、ほのかくんが頬を赤くさせて戻ってきます。
ノノは、るりちゃんの足元にじゃれつきました。
「やっぱり、僕が間違ってなかったよね」
「えっ」
ノノの頭を撫でながら、思いがけないほのかくんの言葉に、るりちゃんは睫毛をぱたぱたと上下させました。
「月は、僕とノノを追いかけてきたよ」
「嘘だよ!」
暗くなったあたりにその声は大きく響きましたが、るりちゃんは構わずに立ち上がりました。
ノノがきょとんとふたりを見あげます。
「お月様はずっと私といたよ」
「ううん、僕とノノと一緒だった」
「私、ずっとここで見てたもん」
「嘘だよ」
「ほのかくんが嘘つきだもん」
ふたりのあいだには、またあのむっとした空気が流れました。
ノノが心配そうに「くうん」と鳴きます。
ほのかくんは、ふくれっ面のまましゃがんで、ノノの頭を撫でます。
るりちゃんも頬をふくらせていましたが、だんだん、胸のあたりに哀しさがこみあげてきました。
ほのかくんが怒っている。
せっかく仲良しなのに、喧嘩してる。
でも、私は──
「ほんとに、ずっと見張ってたもん……」
ほのかくんは顔をあげて、泣きそうに声を震わせるるりちゃんを見つめました。
ですが、どう言ったらいいのか分からないようです。
ノノをなだめながら、困ってしまい、しばらく眉毛を寄せていました。
けれど、「そうか」とまたひらめいた目で立ち上がります。
ほのかくんが笑顔になって、ノノは尻尾を振りましたが、るりちゃんは目をこするために顔を背けます。
「月はたくさんあるんだよ」
るりちゃんは、手首の影からほのかくんを見ました。
「だから、るりちゃんがここにいても見えるし、僕がノノと散歩にいっても見える。みんなにひとりずつ、お月様がいるんだ」
るりちゃんは、お月様を見上げました。しっとりときらめいているのは、ひとつだけのお月様です。
「今は、ひとつしか見えないよ」
「誰かと一緒に見ると、重なるんだよ」
お月様は、みんなにひとりずついる──
ほのかくんが嘘つきなんかではないのは、本当はるりちゃんが一番よく知っています。
「……でも、そしたらすごいよ」
「え」
「みんなお月様はひとつしかないって思ってるのに、私たちだけ秘密に気づいちゃったんだ」
“ひみつ”という言葉に、ほのかくんの瞳もお月様のように明るくなりました。
「そうだね。すごいね」
「どうしよう。誰かに言う? ふたりだけの秘密にする?」
「秘密にしようよ」
「やっぱり、そうだよね」
「じゃあ、月がたくさんあるのは、ふたりだけの秘密だよ」
「うん。秘密」
ふたりは、にっこりと顔を合わせました。
ノノが仲直りしたふたりに大きく尻尾を振っています。
透明な虫の音色が、風鈴のように響いています。
夏の夜空では、お月様が、ふたりと一匹ぶん重なったお月様が、よりいっそう輝いていました。
FIN
